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小麦畑の君に  作者: おはよう


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14話


執務室の主――宰相様が、しわくちゃになった服を抱えたまま次の会議へ向かっていく後ろ姿を見送った後、私は部屋の片付けに取り掛かった。


まずは大きな窓を開け放つ。

カーテンを揺らす暖かな風が、心地よく室内へ流れ込んできた。


床に散らばる本を拾い集め、とりあえず本棚の前へ積み上げていく。


かろうじて棚に残っている本も、きちんと戻されているとは言い難く、半ば押し込まれるように並べられていた。


紙くずで溢れたゴミ箱。

机の端に置かれたカップは、いつから放置されていたのか、カップの底には茶色い染みがこびりついている。


初めて会った時から、宰相様はずっと“王子様”のような人だった。


けれど今こうして目にするのは、意外なほど生活感のある一面。


(宰相様は、甘いものが好きで……片付けが苦手)


そんな人間らしい部分に、不思議と親近感を覚える。


周囲から聞かされる“アルヴァート公爵”ではなく、自分の目で見て知った宰相様。


そのひとつひとつが、なんだか嬉しくて――

思わず、頬が緩んでしまうのだった。




片付けに夢中になっているうちに、気が付けば執務室は夕焼け色に染まっていた。


ふぅ、と小さく息を吐いて顔を上げる。


辺りを見渡せば、先ほどまでの惨状が嘘のように、部屋はすっきりと片付いていた。


ひとり満足げに笑みを浮かべた、その時。


二つある扉のうち、廊下へ続く扉が静かに開かれる。


「これは……見違えたな」


驚きを滲ませた声に振り向けば、そこには目を丸くした宰相様が立っていた。


「あ、宰相様! おかえりなさい」


「……」


「宰相様?」


呆けたように立ち尽くす宰相様に、思わず首を傾げる。


すると彼は、はっとしたように小さく笑った。


「ああ、ごめん。……なんだか新鮮で」


「新鮮、ですか?」


「うん。この部屋で、誰かに出迎えてもらうのは初めてだから」


いつからあの惨状だったのかは分からない。

けれど、確かにあの状態では、誰かが帰りを待つような空間ではなかっただろう。


私は改めて宰相様へ向き直る。


「宰相様、おかえりなさい。……お疲れさまでした」


「ただいま、グラント秘書官。君もお疲れさま」


交わしたのは、それだけの言葉。


けれど、その何気ないやり取りが、なんだかくすぐったくて。

胸の奥が、じんわりと温かくなる。



二人で微笑み合っていると、不意に補佐官室へ続く扉が叩かれた。


宰相様が返事をすると、ハルクス補佐官とディオス補佐官が執務室へ入ってくる。


「うわー! 俺、この部屋の床を見たの初めてです!」


「ハルクス補佐官、落ち着いてください」


物珍しそうに辺りをきょろきょろ見回すハルクス補佐官を、ディオス補佐官が苦笑交じりにたしなめた。


「二人とも、見学に来たのかい?」


「いえ! レイトン補佐官より、グラント秘書官の机をこちらへ移すよう命を受けまして!」


宰相様の問いに、ハルクス補佐官は背筋を伸ばし、わざとらしく敬礼してみせる。


「私の机、ですか?」


「本来なら、こちらの部屋にあるべきものだから――とのことです!」


疑問を口にすると、ハルクス補佐官が元気よく頷いた。


確かに、同じ部屋で業務を行ったほうが効率は良いだろう。


――けれど。


朝、片付けを任せる際に、早口でまくし立てていたレイトン補佐官の姿が脳裏をよぎる。


それはまるで――


「……レイトン補佐官から、厄介事を押し付けられているような気持ちになるのは、気のせいでしょうか?」


「押し付ける、とは語弊がありますね」


「レイトン補佐官!?」


いつの間に現れたのか、執務室の入り口にはレイトン補佐官が立っていた。


彼は心外だと言わんばかりに、わずかに眉を寄せている。


「押し付けているのではなく、グラント秘書官の力量を見込んで、至極厄介だった仕事をお任せしているのです」


「……厄介であることは否定されないんですね」


レイトン補佐官の言葉に、ディオス補佐官がぼそりと突っ込みを入れた。


そんなやり取りを苦笑交じりに眺めていた宰相様が、ふと私へ視線を向ける。


「まあ……厄介なことも多いとは思うけど、僕はほとんど部屋に戻ってこないし、あまり気負わなくていいからね」


「は、はい……」


「それに、この部屋には君の欲している“知識”もたくさん眠っている。君にとっても、悪いことばかりじゃないと思うよ」


そう言って、宰相様は本棚へ視線を向けた。


片付けをしている時から、ずっと気になっていた。

ここにあるのは、先人たちが残した記録。 積み重ねられてきた知識の数々。


それを読むことができるのは、彼らの知恵に触れられる、またとない機会だった。


「よろしいんですか?」


「もちろん」


思わず目を輝かせると、宰相様は優しく微笑んでくれる。


――しかし。


「そんな暇があれば、ですが」


レイトン補佐官の冷ややかな呟きに、今朝見た書類の山が脳裏をよぎり、私はそっと笑顔を引き攣らせたのだった。



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