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小麦畑の君に  作者: おはよう


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13話


令嬢たちからの手紙で、ゴミ箱が満杯になった頃。


朝からの会議を終えた宰相様が、補佐官室へとやって来た。

私に気づくと、ふわりと微笑む。


「あ、グラント秘書官。今日からよろしくね」


「よろしくお願いします!」


勢いよく立ち上がり頭を下げれば、宰相様は可笑しそうに笑った。


「うん。元気で良いね」


そう言うと、部屋の奥に備え付けられた、一際大きな机へと向かっていく。


その姿を不思議そうに眺めていると、宰相様が首を傾げた。


「どうかした?」


「いえ……てっきり、宰相様専用の執務室があるのかと思っていたので……」


王宮内で実務の頂点に立つ宰相様が、補佐官たちと同じ部屋で仕事をしているのが意外で、思わず目を瞬かせる。


「あー……一応、あるんだけどね」


「一応?」


どこか気まずそうに濁された言葉に首を傾げると、レイトン補佐官が小さくため息を漏らし、補佐官室の奥にある扉へ視線を向けた。


「実際にご覧になった方が早いのでは?」


「?」


レイトン補佐官の言葉に、周囲の補佐官たちがくすくすと笑い声を漏らす。


ますます訳が分からず首を傾げていると、宰相様が困ったように頭を掻いた。


「あー……うん。グラント秘書官、こっちへおいで」


「はい!」


どこか気まずそうな宰相様の手招きに応え近づくと、彼は扉に手を掛けたまま、ちらりとこちらを振り返った。


「いいかい。ここで見たことは、決して口外してはいけないよ」


「は、はい!」


宰相様の言葉に、緊張が走る。

この先に何が待っているのか。

王国の中心部。

宰相の執務室ともなれば、どんな機密が隠されていてもおかしくはない。


ゆっくりと開かれていく扉。

何があっても冷静でいようと、ぎゅっと両手を握り締める——けれど。


扉の向こうに広がっていたのは。


大きな窓の前に置かれた執務机。

その手前にはソファとテーブル。

壁一面には、大きな本棚。


——確かにそこは、宰相様の執務室“だった”。


机の上には、丸められた紙くずや書類の束が散乱している。

ソファには毛布やシャツらしきものが無造作に積まれ、テーブルの上には本と紙束が山のように積み上がり、もはや足元しか見えない。


本来なら本が整然と並んでいたであろう本棚は、妙にすかすかで、その場に居るべき本たちは床や机の上に散らばっている。


「こ、これは……」


「……執務室だよ」


「執務室の成れの果て、ですね」


いつの間にか隣に立っていたレイトン補佐官が、重々しいため息をついた。


「優秀な宰相様の、唯一にして最大の欠点ですね」


楽しそうに様子を眺めていたハルクス補佐官の言葉に、宰相様は肩を竦める。


「……どこに何があるかは、ちゃんと把握しているよ」


「貴方はそうでしょうが、ここから探し出さなければならない私の身にもなってください」


「ならセイル、君が片付けてくれても良いんだよ?」


「私の許容範囲は机の上までです」


レイトン補佐官は冷たく言い放つと、そのまま自席へと戻っていった。


宰相様が、ちらりとこちらへ視線を向ける。


「まあ、そんな訳で、補佐官室で仕事をしているんだ」


「そうでしたか……」


苦笑を浮かべる宰相様に、なるほど、と頷き返す。

確かに、この惨状の中では快適に仕事などできそうにない。


「初日から上司の駄目なところを知って、嫌になった?」


どこか自嘲するような声音。

それを、私は即座に否定した。


「そんなことありません!」


思っていた以上に大きな声が出てしまい、宰相様が目を瞬かせる。


「それだけお仕事がお忙しい、ということですし……なにより——」


一度言葉を切り、私はまっすぐに宰相様を見つめた。


「得手不得手があって当たり前です。人間なのですから!」


両手を握りしめ、そう言い切ると、宰相様はぽかんとした顔でこちらを見つめた。


「……ふっ」


どこかから漏れた笑い声に振り返る。

そこには、わずかに俯いたレイトン補佐官の姿があった。

その肩は小さく震えている。


周囲を見渡せば、他の補佐官たちも顔を伏せ、必死に笑いを堪えているようだった。


「……私、変なことを言いましたか?」


そんなつもりで口にしたわけではなかったため、不安になってしまう。


「いえ。グラント秘書官は、至極真っ当なことを仰っただけですよ」


レイトン補佐官は咳払いをひとつすると、すぐにいつもの無表情へと戻った。


「そうですね! ただ、宰相様にそんなふうに言うご令嬢は初めて見ましたけど」


ハルクス補佐官は、もう堪えるのをやめたのか、満面の笑みで頷いている。


皆の反応にいまひとつ納得できないまま、私は首を傾げ、もう一度執務室の惨状へ視線を向けた。 


(きっと、このままでは不便よね)


「あの、宰相様」


「え?」


先ほどから呆然としていた宰相様に声を掛けると、彼ははっと我に返ったようにこちらを見た。


「なんだい?」


「私が、こちらを片付けても問題はありませんか?」


「問題?」


「はい。機密書類などもあると思いますので、私が目にしてはいけないものもあるのではないかと……」


「秘書官になった貴女が、目にしてはいけないものなんてありませんよ」


宰相様に代わり、レイトン補佐官が即座に答えた。 その目は、どこか嬉しそうに輝いている。


「部屋の隅から隅まで片付けていただいて構いません。扱いに迷うものがあれば、後ほど一緒に確認しましょう。……とはいえ、あの紙くずの大半は破棄して問題ありません」


そこで一度言葉を切ると、レイトン補佐官は淡々と続けた。


「本日の業務はこちらで引き受けますので、どうぞお気になさらず、片付けに専念してください」


まるで、私の気が変わる前に話をまとめようとしているかのような早口だった。


その姿に、この惨状がどれほど深刻だったのかを察してしまう。


「えっと……良いんでしょうか?」


ちらりと部屋の主へ視線を向けると、宰相様は苦笑交じりに頷いた。


「……僕からもお願いするよ」


「はい! 掃除は得意なほうなんです」


「それは助かる」


笑顔で答えると、宰相様もようやく小さく笑みを浮かべた。


――しかし。


「ご令嬢に脱ぎ散らかした服まで片付けさせるのは“問題”だと思いますよ、宰相様。」


レシア補佐官の一言に、宰相様の身体がびくりと跳ねた。


そして次の瞬間、勢いよく執務室へ飛び込んでいったのだった。



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