11話
「リディオル・アルヴァート。……一応、この国の宰相をしているよ」
呆然としたまま差し出された手を取ると、しっかりと握り返された。
「リディオル・アルヴァート公爵様……女性にとって悪い人」
「え?」
以前、同僚たちとのおしゃべりを思い出し、そのときに聞いた言葉が、そのまま口から零れ出た。
王子様——もとい、宰相様は目を丸くする。
ハーヴィス書記官長は顔を逸らしているが、その肩は小刻みに震えていた。
「……確かに、危機管理能力に長けたご令嬢ですね」
レイトン補佐官が笑いをこらえるように呟くと、宰相様は納得がいかない様子で眉を寄せた。
「も、申し訳ありません!」
自分の失言に気づき、慌てて頭を下げる。
ここはあの裏庭ではないのに、気を抜いてしまっていた。
「……その件は、追及しないでおくよ」
宰相様は苦笑を浮かべ、ゆったりとソファに腰を下ろす。
その表情から、自分が周囲から——特に女性からどのように噂されているのか、理解しているようだった。
ハーヴィス書記官長とレイトン補佐官が倣うように腰を下ろすのを見て、私も慌てて席につく。 そして、おずおずと口を開いた。
「それで……宰相様と補佐官様が、何のご用件で……?」
「グラント書記官に、部署異動の打診に参りました」
「部署……異動……?」
やはり、何かしでかしてしまったのか。
不安に胸がざわめき、ぎゅっと手に力が入る。
その様子に、宰相様は柔らかく微笑んだ。
「心配しないで。……君にとって悪い話ではないから」
そう言うと、宰相様は姿勢を正す。
「グラント書記官。君に、僕の秘書官として働いてほしいんだ」
「秘書官……」
「長らく秘書官を置いていなかったんだけど、そろそろ手が回らなくなってきてね。そこで、君の働きぶりを見て、声を掛けたんだ」
宰相様がレイトン補佐官に視線を送ると、彼は一枚の紙を差し出した。
そこには労働条件が記されている。
内容に視線を走らせると、一点に目が止まった。
「……宰相様、このお給金は……」
「やっぱり少なかったかな?」
「ぎゃ、逆です! まだ半人前である私には多すぎます!」
「グラント書記官の仕事ぶりと、ハーヴィス書記官長のご意見をもとに設定しておりますので、決して多くはないかと」
レイトン補佐官の言葉に、ハーヴィス書記官長へ視線を向けると、彼は静かに頷いた。
「本当は手放したくないんだよ」
「え?」
「君の仕事は丁寧で、そして努力家だからね」
思いがけない評価に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……もちろん、無理強いはしない。けど、君の能力をより活かせると思うんだけど、どうだろう?」
「あ、ありがたいお言葉ですが……もっと相応しい方がいらっしゃると思います……」
国王の右腕である宰相の秘書だなんて、田舎貴族の自分に務まる気がしない。
提示されたお給金の額も、喜びより重荷に感じてしまう。
迷うように視線をさまよわせていると、ハーヴィス書記官長がそっと肩に手を置いた。
「もし無理だと思ったら、いつでも書記官として戻ってくるといい」
「……いいんですか?」
「君が承諾することはもちろん、辞めたくなったらいつでも書記官に戻すこと。——それが、ハーヴィス書記官長が出した条件だからね。」
「君は惜しい人材だ。——だからこそ、いろいろな経験をしてほしい」
ハーヴィス書記官長は柔らかく微笑んだ。
その表情に、背中を押された気がする。
私は深く息を吸い、宰相様の目をまっすぐに見つめた。
「分かりました。——有難く、お受けいたします。」
しっかりと頷くと、宰相様は目を細め、にこやかに微笑んだ。
「うん、よろしくね。——グラント秘書官」
——グラント“秘書官”。
その一言に、自然と背筋が伸びるのだった。




