セイシの真理・7
玉帯で支えているとはいえ2キロもある睾丸は寝ても座っても邪魔だった。可愛い我が子が入っているとはいえ、トイレに行くのもままなければ、申し訳ないと思いつつも舌打ちとため息が止まらない誠志郎である。
立ち上がるときはそろりと持ち上げ、2~3歩とはいえ歩くときは太ももで蹴らないように前かがみになり、もう一度座るときには衝撃を与えないよう、そろりそろりと太ももに乗せる。
排尿も排便もこの調子で無駄に時間がかかるので、漏らさないよう便意が来る前に先へ先へとトイレに行くようになってしまった。妊娠の影響でただでさえ頻尿気味だというのに、1日中トイレに行ったり来たりしているようで、誠志郎はいささか憂鬱だった。こんなことだから男性の妊娠はしない方が良い、なかったことにしようと国が隠しているのではないかとさえ思えてくる。
女性も頻尿だとか腰に負担だとか妊娠は相当大変なこととは聞いていたが、果たして外でぶらぶらしている睾丸で妊娠とどちらが合理的かと問われれば、彼女らはどう答えるのであろうか。
いや、そもそも女性は身体の外側にぶらぶらしたものなど持ち合わせていないのだから、このぶらぶらしたものが大きくなる感覚など想像もできずに「空き部屋があるのであれば是非そちらで」とか言うのであろうか。いや、決して空き部屋ではないのだが、女性からすれば子宮とはいえ普段は小さい空き部屋なのだから、そちらもどうぞ空き部屋で子供を育ててくださいという感覚を持つのであろうか。そちらの空き部屋は外に突き出しているのですからいくらでも大きくなれるでしょう。こちらの空き部屋は身体の中にありますゆえ、大きくなるにも限界というものが。子供が大きくなるごとに内臓は押し合いへし合いし、背骨はぐいんと湾曲し、歩くも寝るも座るのも一苦労。その点睾丸は外でぶらぶら、せいぜい歩くときに邪魔になるくらいで……。
突如頭の中に沸いて来た女性代表みたいなものを、誠志郎はかぶりを振って追い出す。いかんいかん、憂鬱すぎて好戦的になっている。
誠志郎は匠海の護衛に貰った六尺棒を持って素振りの稽古に向かった。鬱々としたときは身体を動かすに限る。六尺棒をフットレストから肩に立てかけ中庭に移動すると、隅の木陰に見慣れた顔を見つけた。
「多田さん……」
研究所で用意されたであろ手術着のような前合わせの服にカーディガンを羽織った勝臣が顔色も悪く木にもたれかかっていた。
「どうしたんです……、あ、人呼んできます!」
室内に人を呼びに行きながら、堕胎手術後の経過でも悪かったのだろうかと誠志郎は不安になった。
『ああ。会ったんだ』
「知ってたの?」
スマホの画面の向こうで匠海は呑気にカップ麺をすすっている。今日の晩御飯はカップ麺と嬉々として言う匠海に誠志郎は栄養バランスを心配するが、「明日はちゃんと牛丼食べるから」とわけのわからない言い訳をする。
『うん。なんかのついでにちょろっと』
「堕胎手術の影響かな……」
男性妊娠に関係することであれば誠志郎とて他人事ではない。
『いや。堕ろしてないってよ、多田さん』
「え?」
驚く誠志郎に匠海はあっさりと言う。
『生むんだって。生んで養子に出すんだってさ』
一瞬喜びかけた誠志郎の顔はすぐに曇る。
『人には人の事情があるって言ってたの誠志郎さんじゃん』
「……なんでそんなことまで匠海が知ってんの?」
それはそうなのだがと思いつつ誠志郎が探ると匠海はいとも簡単に言った。
『楢崎先生に聞いたから』
誠志郎は眉をひそめる。
「医者が患者の個人情報をそんな簡単に教えるか?」
『信用されてるんじゃない?僕』
「匠海」
誠志郎は声を荒げたことがない。だが落ち着いて歯切れよく名前を呼ぶときは、少し怒っている。匠海はカップ麺を汁まで全部平らげるとカップと箸を置き、テーブルに肘をついて画面越しに誠志郎と目を合わせた。
『うちの実家を襲撃して来た奴らのこと調べてたら、多田さんのお父さんが誘拐されたことがわかったんだ。で、何か知らないかな~と思って楢崎先生に話聞いたら、多田さんの子供とお父さんを交換するっていう話になってるって』
「……なんだそれ……」
言葉を失いかけながらも誠志郎は絞り出す。
『あっちはあっちで男性妊娠のこと調べてるんだろ?特に多田さんは単為生殖っていう世にも珍しい症状だし、興味深々なんじゃない?』
症状?症状っていうのかなあれも、などと匠海は独り言ちる。
「子供を……、そんな得体の知れないところに……」
『どうなんだろうね。堕ろされるのと、生まれてすぐ養子に出されるの。どっちがその子の幸せかは僕たちにはわからないよね』
「でも……」
『じゃあ、助けに行った方がいい?』
「え!?」
誠志郎は驚いて匠海を見る。
『成功するかどうかはわからないけど、やれない事もないよ。ちょっとばかし命がけになるかもしれないけど』
「いや!待って待って!」
さわやかな笑顔を向けてくる匠海に誠志郎は焦る。
「そんな!匠海に危ない真似して欲しいわけでは……!」
『ありがと』
匠海は微笑んで誠志郎を見る。
『多田さんだって、考えて出した結論だと思うよ。他人の僕らがどうこう言う問題じゃないよ』
十も年下の匠海に諭され、誠志郎は口を閉じる。いつもは若者らしく浮ついているのに、たまにこうして大人びた顔を見せる匠海が魅力でもあり、誠志郎には心配でもあった。
そして匠海は匠海で、本当のことは絶対に誠志郎には言うまいと心に誓った。
男性妊夫が生む子供は十中八九男児だった。出産の途中で妊夫が死亡し、生まれてくることができなかった子供であっても、おしなべて男児であったと記録に残っている。結局のところ男性の遺伝子のみが働くからではないかと推測されているが、まだ研究段階であるので断定はできない。だが、生物界における単為生殖では親である雌の遺伝子を受け継いだ雌しか生まれないので、その推測がおおむね正しいのではないかと思われていた。
だから、楢崎の研究所では性別の事前告知は特別してこなかった。これまでの夫夫からの要望もなかったかし、実際生まれてみれば100%男児の双子だったからである。週に一度行われるエコー検査でも、性器の発達の遅い早いはあれど、週が進めば楢崎が目視で確認できていた。
7ヶ月も過ぎれば胎児の性別ははっきりと確認できるようになってくる。だが、27週を過ぎても誠志郎の右の睾丸の胎児の性器が確認できなかった。
右の睾丸と左の睾丸に分かれれて胎児は育っているものの、やはりそこは双子。ぎゅうぎゅうに詰まっているため折り重なった身体で絶妙にエコーに映らなかったりするものだ。女性が一人の胎児を妊娠していても角度によっては性器の確認は難しい。6ヶ月7ヶ月の頃はそう思っていた楢崎だったが、もうそろそろ8ヶ月にもなろうというのにいつまでも確認できないのも何かおかしい。しかも左の睾丸の胎児は6ヶ月の頃にはすでに性器が確認できていたのだ。
まさかと楢崎は思う。だが確かに単為生殖で生まれてくる生物の中にも、たまに環境に適応するため雄を排出するものもあるという。そして誠志郎は単為生殖ではなく匠海の遺伝子と掛け合わさっているのだ。違う性別の子供が生まれる可能性は単為生殖よりもあるのかもしれない。
単為生殖。
楢崎は口の中でつぶやく。
男性妊夫の死亡が当たり前だった時代の情報が無い以上、データは松室のものしかないので当然男児が生まれるものだと思っていた。だが、生物界の単為生殖を例に取ってみれば、単為生殖ほど親と違う性が生まれる可能性はあるのではないか。
果たして勝臣の胎児は……?
楢崎自身も当たり前に男児だと思い込んでいるし、『楪』もそう思って勝臣の父親との交換条件を出して来たのであろう。
もし、女児であれば。『楪』はどう出るのか。




