セイシの真理・4
戸籍には『母親・不詳』と書いてある。
「だからせめて本当はひろパパが生んだんだよって。間違いなくひろパパがおまえたちを生んだんだよって教えておきたかったんです。だって何かのはずみで戸籍を見たときに『母親・不詳』ってショックじゃないですか。ヒロキにだって失礼だし。だからってひろパパが生んだって簡単には信じてもらえないだろうから、証拠を残したかったんです」
男性妊夫の写真や動画はいつどんなきっかけで流出するかはわからないからと、自宅に持ち帰ることは遠慮するように研究所の方から言われていたという。
「それって変でしょ。生んだの俺なのに」
ひろパパは堂々と言い放つ。もう一組の夫夫も写真も動画も持ち帰ったという。
珍しいことだけれど。信じられない事かもしれないけれど。何も恥ずかしいことではない。子供を生んだことは誇りだし、自分たちは自信をもって子育てしていると彼らは言った。
睾丸の中にたまたま人の形をしたできものができただけだ。勝臣は忌々しく思う。
なまじそんな形をしているものだから、切除するだけでこちらはこんなにも罪悪感を持たなければならない。ただの丸い腫瘍なら、誰だってなんだって早く切除するものだろう。それなのに。
楢崎に渡されたエコー写真を、勝臣はクシャクシャと丸めてゴミ箱へ投げ入れた。
扉を軽く叩く音が聞こえた。勝臣は「はい」と返事をする。
「鍵崎です」
勝臣は眉をひそめたが、扉を開けた。車椅子に座った誠志郎だけがそこで微笑んでいた。
「食事、まだでしょ?よかったら一緒に」
「明日手術なんで、今日は絶食なんです」
被せるように勝臣は言い放った。
「手術?」
誠志郎が虚を突かれた顔をする。
「堕胎手術です」
感情も何もなく淡々と述べる勝臣に、誠志郎は口を閉じた。
「僕は鍵崎さんたちと違って一緒に子供を育ててくれる人もいないし、望んで子供を授かったわけでもない。だから堕ろすんです」
じゃあ、と閉じられようとする扉を誠志郎は車椅子を進めて阻んだ。阻んだものの、正直どう声を掛けたらいいのかわからない。想像だにしていなかった妊娠に対する拒絶感はよくわかるし、これからどうなるのかわからない恐怖もあるだろう。だが、ただの思い込みかもしれないが、『堕胎』という行為に罪を感じた。
「……後悔しない?」
ありきたりの言葉しかかけられなかった。後悔も何も、勝臣は望んで妊娠したわけではないのに。でもそれ以外思い浮かばなかった。
見透かすように勝臣は薄ら笑った。
「僕、恋愛対象は女性なんで」
片玉も残るし次はある、と言外に勝臣は言っていた。
この研究所で出産した5組は皆、男性との性交渉による人たちだった。松室医師の父親が単為生殖で出産したとはいえ、存命ではない。経験者のひとりも目の前にしていない勝臣にしてみればそれが幸せなことなのかとか、やってみるべきことなのかとか、まったく実感は湧かないに違いない。むしろあるのは嫌悪感だけだろう。誠志郎はゆっくり車椅子を引いて扉から離れようとした。
「……最近彼女と別れたんです」
閉じられようとする扉を抑えたまま勝臣は言った。
「子供が出来たから別れてくれって。結構長い付き合いだったんですよ、俺たち。大学入ってすぐだから、6年……7年ぐらいかな。二股掛けられてるなんて全然気づかなかった。先に『結婚しよう』って言った方か、子供が出来た方と結婚しようと思ってたって。凄いっすよね、女って。こういうのもしたたかって言うんすかね。でも俺、ホッとしちゃって」
勝臣は自嘲して俯いた。
「だって、俺が『子供が出来たから結婚してくれ』って言われてたら、たぶん、『堕ろせ』って言ってたと思いますもん」
勝臣は底が見えない目で誠志郎を見た。
「だって、怖くないですか?子供なんてどうやって育てろって言うんです?まだ俺の方が子供ですよ?こんな大きいなりしてまだなんの覚悟もできてない出来損ないですよ!?そんなのの分身?子供?遺伝子継いでる?しかもお願いしてもないのに単為生殖!?ウソでしょ、クローン!?冗談じゃない!」
まくしたてる勝臣を誠志郎はただ静かに見つめている。勝臣は大きく息を吐き整えた。
「……別に、もう一個睾丸があったって使う予定無いし、全部無くなったっていいんです。更年期が辛そうだから残すだけで。子供なんて、いらないです」
静かに閉まる扉を、誠志郎はただ見送った。
匠海は毎日しつこいほどにメッセージを送ってくる。朝起きて、学校に行く前、昼食、昼の授業の合間、バイト前、バイト終わり、風呂、寝る前。勉強しろと誠志郎が怒っても「寂しいでしょ?僕は寂しい」と構わず送ってくる。マメな男だなと呆れる反面、こんな日には匠海のメッセージがありがたかったりする。なんだかんだで拠り所にしているのだなと自分にも苦笑してしまう誠志郎であったが、今日寝る前のメッセージに限って短かった。昼間、二組の出産経験者家族と懇談したこともあり、時間的にゆっくり過ごせたから満足したのかとも思ったが、腑に落ちない感じもした。大学の課題を慌ててやってるだけならいいがと、誠志郎は少し不安に感じていた。
企業からの就職案内とか高校からの卒業生向けの新聞とか、ありもしないダイレクトメールが郵便受けに入っていたら父及び父の部下からの連絡である。そこまでしなくていいんじゃないの?と匠海は呆れるが、「いつなんどきも警戒を忘れないように」と真剣に父は言う。たぶん単純に面白がっている。
勝臣の父親の資料が入っていた。経歴もごく普通の人で、病歴も異常がない。離婚歴はあるが、男性妊娠とは関係が無いようだ。そもそもあの研究所で生んでもいないのに無事でいられるはずはないので、勝臣は間違いなくこの別れた母親から生まれたのだろう。出産した病院の裏も取れている。
なのに勝臣の父親の身辺がきな臭いと報告書にあった。
「つけ回してるだけなんじゃないの?多田さんが赤ちゃん連れて来ないか見張ってるだけとか。お父さんだって最近は平和だったんでしょ?今さらこの年代の人誘拐したってそうそう妊娠も出産もできないわけだし」
茹でたパスタのお湯を切りながらスマホに匠海は話しかける。
『男性に閉経はありませんからね。いつまで妊娠出産できるかは本当のところ誰にもわかっていませんよ』
平然と言う電話の向こうの父の言葉に、匠海は嫌な顔をした。
「え~……」
『それに多田さんは単為生殖です。父親の遺伝子も何か関係があるのではないかと疑うのは無理からぬことでしょう』
「まあね、うん……」
パスタと一緒に茹でていたレトルトソースの袋をあちあちと切る。
『行けますか?』
「わかった。行く」
『単位は大丈夫ですか?』
「俺、頭いいから多少出席日数足りなくても大丈夫」
『ブロッコリーは?』
「え?なに?」
今にも食べようとパスタを混ぜていた匠海は思わず画面の父を見る。
『一緒に茹でなかったんですか?』
「ないよ、そんなの」
『ブロッコリーぐらい買って来なさい。それくらい仕送りしてるでしょう。野菜もちゃんと取ってください。身体壊しますよ。匠海君の身体はもう匠海君だけのものではないんですからね。健康に、長生きして、いいお仕事に就いて、誠志郎さんも生まれてくる子供たちのこともちゃんと面倒見てあげないと』
眉をひそめる父に面倒くさそうに匠海は「はいはい」と言って通話を切った。お母さんがいるといらないことを言って話が長くなるからと、わざわざ会社から内緒で電話をかけてくるくせに、結局父も母のようなことを言う。愛情だとはわかっているが、若いから押しつけがましく感じるの、お父さんごめんなさいと思いながら匠海は「ごちそうさまでした」と空になった皿に手を合わせた。
深夜、匠海と父の配下たちは勝臣の父の様子を伺いに行った。
だがすでに、彼は連れ去られた後だった。




