セイシの真理・2
「堕胎の期限まであと10週あります。決断する前に、私の話を聞いていただけますか?」
聞いたところで気持ちは変わらない。だが結局堕胎するにしろ、楢崎の手は借りねばならぬのだ。勝臣は黙って話の続きを待った。
「出産する際、胎児と共に睾丸も摘出します。これは堕胎の際も同じです。つまり、男性は妊娠するとその後の生殖機能を失うんです」
「え?」
勝臣は目を見開いて楢崎を見た。
「精子を作る精巣を失うわけですから、その後、ご自身も、あるいは女性の方と性行為を行ったとしても子供は望めません。ですから、妊娠した男性が子供を授かれるのは、これが最後のチャンスとなるんです」
「そんな……」
聞いてない、と勝臣は言いたかった。望んでもいなかったのに、恋人とセックスしたわけでもないのに勝手に妊娠して、挙句にもう2度と子供は授かれないなんて。いや別に子供が絶対欲しいわけではない。将来のことも、結婚とか子供とか展望があったわけでもない。でも、なにが起こるかわからないじゃないか。近い未来に愛する人が出来て、子供が何人欲しいね~なんて言い合うかもしれないじゃないか。それが、それが……。
絶句する勝臣を安心させるように、楢崎は穏やかに言う。
「ですが多田さんの場合、片方の睾丸は残ります。ですから、絶対に赤ちゃんが望めないわけではありません。睾丸はひとつでも、性行為や精子の量に問題はありません」
勝臣は大きく息を吐く。子供にそんなにこだわりがあるわけではなかったが、今まで当たり前にできると思っていたことが不可能となると、こんなにも不安になるものなのか。
「ただ、子供はあくまで授かりものです。今後どんな病気や、あるいはお相手との相性で授かれるかどうかはわかりません。今ここで授かっている命を諦めてしまったら、後悔することになるかもしれないんです」
少し強くなった楢崎の口調に、勝臣は眉を寄せた。
「……だとしても、俺には育てられません」
きっぱりと言い切る。だが楢崎も続けた。
「お仕事や、これからの生活のことが不安なんですよね。会社の方にはこちらから診断書を提出して、緊急の療養が必要だということにしておきます。お父様にも必要ならばこちらからご説明させていただきます」
勝臣は驚く。
「ちょっと待ってください!親父のことも調べたんですか!?」
「失礼ながら、ご家族関係のことも簡単に調査させていただきました」
「なんで!?」
「男性妊娠が遺伝によるものなのか調べるためです」
「……言ったんですか?俺が妊娠してるって……」
自分の口からも言ってないのに、赤の他人に息子が妊娠していると聞いて父は納得できたのか。あるいはショックだったのか、笑い飛ばしたのか。
「いえ。直接お話はしておりません。健康診断の結果を病院から取り寄せただけです」
勝臣は露骨に安堵した。
「ですが、多田さんが入院していると知ればお父様は心配されると思います。ご自分で連絡を取られることは自由ですが、もし何か説明が必要だと感じられればいつでもこちらからご連絡差し上げます」
出産前提で話されているようで、勝臣はいささか不愉快になる。悪い笑みを浮かべて勝臣は楢崎を見た。
「もしですよ。例えば、もし僕が子供を生んだとしてですよ。生まれた子供はどうなるんです?戸籍は?母子手帳は?僕はシングルファザーなんですか?マザーなんですか?僕に育てられると思います?犬や猫じゃないんですよ?犬猫でも無理ですよ、生き物なんか育てたことないんだから。俺ひとりですよ?さっきの鍵崎さんたちみたいにパートナーがいるわけじゃあないんですよ?俺ひとりで生んで、ひとりで育てるんですよ?誰が信じます?俺が生んだって。お父さんから産まれてきたんだよって。いじめられますよ。あいつ嘘ついてるって、小学校で。いや、子供も信じないでしょう、お父さんから生まれてきただなんて。子供がかわいそうでしょう。いやいや、俺もかわいそうでしょう。妊娠なんて……、出産なんて……、子供育てるだなんて……。全然……、考えたこともなかったのに……」
あふれる不安を取り繕えず『僕』から『俺』になった勝臣は、涙と一緒に恐怖を喉の奥に押し込もうとした。
「……お子さんは、こちらでお預かりすることができます。戸籍は、多田さんがお望みであれば父親の欄には多田さんのお名前を記載することは可能です。もしお望みでなければ、両親の欄共に『不詳』と記載されます」
楢崎の声は始終穏やかで、責めることも説得するおこがましさもない。
勝臣はうつむいたまま声を絞り出した。
「……怖いです……。睾丸があんなに大きくなるなんて……。化け物じゃないですか……」
胎動を教えてくれた誠志郎は優しかった。朗らかに笑っていた。子供が動いたことに手放しで喜ぶ匠海は幸せそうだった。
だが、とても信じられない。あまりにもグロテスクで滑稽なありさまだった。
あれを『幸せ』とは、とてもじゃないが自分は受け入れられない。
妊娠そのものも、出産した後の子育ても。
『幸せ』とは思えない。
「……堕ろしたいです……」
しばらくののち、楢崎はただ「わかりました」と答えた。
堕胎の手術を2日後に控えた勝臣は、入院棟にあるごく普通の病室へ通された。出産してからもしばらく研究所に留まる誠志郎の部屋は住居のようになっており、勝臣のいる病室とは少し離れているらしい。悪いことをしているつもりはなかったが、正直堕胎するまで、できればもう一生会いたくないと思っていたので勝臣はほっとした。
会社には5日ほどの検査入院と研究所の方から伝えてくれたらしい。さっき上司から『くれぐれも無理をしないように』とメッセージが届いた。腫瘍の出来た場所が場所だけに社内でも病状は詳しく説明せず、簡単な検査入院だからと見舞いも遠慮するようにと言ってくれたようだ。面倒見がよく頼りになる上司。実は妊娠してて堕胎するんですと言ったら同じように案じてくれただろうか。止むに止まれぬ嘘とはいえ、どうにも心が痛む。やりきれないまま窓の外を見ていると、中庭を車椅子を押している匠海とそれに乗った誠志郎が通って行った。お幸せなことだと勝臣はため息が出た。うらやむ気持ちは別に無い。パートナーさえいれば堕胎しなかったのにという気持ちはさらさらない。妊娠なんて、出産なんて。子供を望んでいる人だけがやればいい。勝臣は、パートナーも子供も望んでいない。ただそれだけのことだった。
好きな人の子供だったらあんな身体になっても受け入れられるのか。好きな人の子供だったら、生まれて来てもかわいがれるのか。母が狂った勝臣にはよくわからない。
でも、父は狂わなかった。むしろ大事に育ててくれた。
何をどうすれば正しいのかわからないが、とりあえず妊娠を辞めることはできる。
辞めてしまえば考えなくて済む。
前の生活に戻れば、少なくとも生まれてきたかもしれない子供の心配なんてしなくていい。
あんなみっともない身体になってまで生んだ子供の人生まで背負うなんて、自分には荷が重すぎる。
たぶん、おまえを生むのは大変だったんだとか、おまえのせいで片玉無くなったとか。くだらないことで責めてしまう。
そもそも、おまえはなんなんだ。おまえは誰の子だ。俺の何だ。俺の分身か?クローンか?なんで俺の睾丸の中になんか生まれてきたんだ。俺じゃなくていいだろう。なんで俺なんだよ。俺の遺伝子なんかさほど必要じゃないだろう、世の中に。だから。
だから、堕胎は正解なのだと勝臣は思った。




