第24話
聖の助力もあって、あれから話はとんとん拍子に進んだ。
穂波さんに話を通してくれたおかげで彼女の診療所の一部を借りることになり、本格的な引っ越しについては世羅の方が動き始めてくれていた。世羅に避難先の目処が立ったと連絡した時には次の引っ越し先についてほとんど話がまとまっていたようで、最終的な新居の住所も確定した、と聞いた時にはかなり驚いた。
「こういうのは早くやるに越したことはないんだよ」
そう言って笑っていた世羅は、まるで過去の自分を振り返るような口ぶりだった。思い返せば、世羅が家出をしたときの用意周到さは相当の物だった。ただの家出少女を捕まえられなかった当時の藤嶺の人たちの慌てぶりもすごかったし、そこから諦めるまでの期間も、そしてもう捕まらないのだと諦めた時の落胆ぶりも、すぐに思い出せるほどだ。
逆を返せば、それくらいしてようやく、分家の人間として縁を切ることができる。それほどしない限り、縁を切ることはできないのだ。
「大丈夫、よね……」
改めて自分の立場を考えて、不安がよぎる。
今のところ、全部が順調だ。なんの妨害も、トラブルもない。静か過ぎて、逆に不安になるほどに順調だった。
それほど秘密裏にできているのか、それとも向こうは私を泳がせているのか。それを確かめようにも手段はなく、疑心暗鬼になる自分の迷いを何度も振り切った。
一人きりの家で、軽い荷物をまとめていく。世羅曰く、荷物は引き払う準備はあくまでも外に見えないようにするといい、と再三注意された。大型の家具の引き払いなどの日程は向こうが決めてくれたが、細かい荷物は一度穂波さんのところに預けるのがいいだろう。
とはいえ、まだ一つ、大きな問題が残っている。
自分の婚約者――藤嶺真斗のことだ。
彼にはもちろん、今までの動きについて話をしていない。彼に話してしまえば計画の全てが狂ってしまうし、仮にばれてしまったらすぐに対策をとられるだろう。
だって彼は、向こう側の人間なのだから。
「なんとか、しなくちゃ」
そしてこれは、私が解決しなければならない問題。聖はもちろん、世羅や穂波さん、他の人たちを巻き込む話じゃなくて、私と真斗さん――金杉家と言う私個人の問題なのだから。
***
「随分荷物が少ないんだね。もう少しあると思って広めの部屋を用意しておいたんだが」
荷物を受け取ってくれた穂波さんは、合流早々苦笑いを浮かべていた。
「えぇ、せっかくの機会だからいっそ断捨離するのもいいかなと思って」
「それにしたって大分少ない気もするけどね」
「さすがにこれだけ、というわけではないですけど……何度かに分けて持っていきます」
「それもそうか。ある程度の荷物は保管できるくらいのスペースは用意してあるから安心して構わないよ」
穂波さんの気遣いに感謝しつつ、持ってきた荷物を少しずつ部屋に入れていく。
断捨離、とは言ったが大半の荷物はレンタルのガレージに放り込んだ。今ここにあるのは私が生活するうえで必要になる細かいものだけ。一時的とはいえお世話になる人のスペースを占拠するのはさすがに気が引けた。
そんな私の心情を察してか知らずか、穂波さんはそれ以上の追及はしてこなかった。
聖の言う通り、話を通してくれていた分引っ越しの段取りは早かったし、何事もなくこうして荷物の搬入ができるのはありがたかった。世羅にも一応穂波さんのところに避難する話をしたところ、聖との関係があるのかと尋ねてくるくらい関係は薄く見えているようだし、それ以上の追及はしてこなかったが、きっと調べてもつながることはないのだろう。それほどまでの希薄な関係を提案してくれた聖には感謝するしかない。
「これでひとまず全部かな?」
荷物の運搬の手伝いまでしてくれた穂波さんが一息つく。私も頷くと細い体をほぐす様に肩を回していた。
「すみません、ここまで手伝ってもらってしまって」
「なに、今日は特に受診の予定もないからね。深夜にやってくるやつがいるかどうか、ってところだけど」
「むしろそちらが本業でしょう? そちらに支障をきたさなければいいんですけど」
「ははは、だったとしてもこちらから断ることもあるからね。お金にならないことはしない主義でもあるから」
カラカラと笑う穂波さんに、私は苦笑いを返すことしかできない。彼女のことだからきっと冗談を言っているとは思うのだけれど、それに対してどうやって返事をしたらいいのか分からなかった。普段であればもう少し気の利いた言葉をかけられたはずなのに、それができないのはきっと自分がいつもよりも余裕がない証拠だ。
それを知ってかしらずか、穂波さんはそれ以上は言わずに、休憩がてらにとお茶を入れてくれた。
「少し気が早いかもしれないが――覚悟は、決まったのかな」
にこりと微笑みながら問いかけてくる彼女に、私も頷いてお茶を飲む。久しぶりに身体を動かしていた分、身体に染み渡る水分が心地いい。
「そうですね。迷いもありましたが、彼女の傍にいたいと」
「へぇ……その目は確かに、迷いはないようだ」
じっと見つめる穂波さんの視線に少し戸惑ったが、すぐに笑みを浮かべた彼女にほっと胸をなでおろす。彼女の職業柄、というより性分的に興味があることに対しての探究心は深いようで、じっとこちらを見つめているのはやはり何度あったとしても慣れないものだ。
「暴力団の組長で、女性だけど、それでも?」
「……それはそれです。私はただ、織田聖、という女性に惹かれたので」
そう。たとえどんな立場の人間だったとしても、私はきっと彼女に恋をした。自分と同じ立場だったらどれほどよかったか、と考えたところでどうしようもないわけだし、何より。
「何より、このまま実家の言いなりになるのは、嫌でしたから」
これは私の意志だ。私の人生を、私のために動きたい。実家の繁栄における部品として生きる人生のむなしさを、私はこれ以上味わいたくなかったのだ。
私の話を聞いた穂波さんは、面白かったのか声を出して笑った。知り合って間もないけれど、こんなに破顔する彼女を見たのは初めてだった。
「そりゃ随分な言いようだ。金持ちってのはそれだけで大変なんだろうねぇ」
「そうかもしれないですね」
「いやいや、大変愉快だ。あまりない経験だし、聞いていて楽しいもんだ」
他人事のように笑うが、実際その通りだから何も言い返せない。少しむっとした顔をした私に穂波さんはすまないと謝ると、話をつづけた。
「そうともなれば聖との関係はだいぶ堪えることだろうね。一家大騒動じゃないか」
「えぇ。きっと、すぐにでも軌道修正をかけることになるでしょうね」
とはいえ、この後目に見えている展開は明白だ。世羅が用意してくれた新しい家の発覚は遅れるかもしれないが、きっとどこかでたどり着いてしまう。それがどれくらい先になるかはわからないが、そう遠くない未来の話。
それに。
「私の婚約者も、きっと黙っていません」
私の一言に、穂波さんは目を見開く。同時にゆっくりと口角が上がる彼女を前に、私は話をつづけた。
「彼が聖のことをかぎつければ、すぐにでも私の実家に声を上げるでしょう。暴力団と繋がっている、なんて知ったらそれこそ卒倒するでしょうし」
「そりゃそうだ。大事な未来の嫁さんがそんな所と関係を持ってるなんて知った日にゃ、ねぇ」
「……大事とは思ってませんよ。自分が成りあがるための、道具程度にしか思っていません」
真斗さんの本心は不明だ。少なからず好意はあるのだろうけれど、その好意の根幹は自分が本家の人間になって、権力を持つことだろうから。
そのために、私を利用しているだけに過ぎないのだから。
「そりゃ随分だ。愛されている、と感じないってことかい?」
「平たく言えばそうですね。もしくは、愛していたとするのならあまりにも不器用で、不十分。女性の心なんてちっともわかっていないかのどちらかだと思いますよ」
彼のことを思い浮かべるだけで眉間に皴が寄る。その顔が面白かったのか、穂波さんはさらに高笑いをした。
「金杉さんにそこまで言われる彼も可哀想だ。不憫、と言ってもいいくらいかな」
「そう思われているだけ幸せでは?」
「辛口だねぇ。でも、そういうところは嫌いじゃないよ」
思えば、誰かに真斗さんの話をしたことがあるのは、世羅以外だと初めてかもしれない。本家、分家の関係を知っていて、さらにお互いの人物像を知っている世羅以外に伝えても伝わらなかったし、これほどの嫌悪を誰かに伝えるのは憚られるものもあった。
でも、今は穂波さんを前にこんなにすらすらと話せている自分に、今更ながら驚いた。
「……もしかして、私の話を聞いてくれていたんですか?」
「いや? 単純に気になっただけだよ。でもそうだね、少しばかり、君の表情が浮かなかったから何かあるのかな、とは思っていたくらいか」
「本当に、すごいんですね」
胡散臭い、マッドサイエンティスト、と聖の称する彼女の表情は単純な興味からくるものもあるだろうけれど、同時に医者としての側面も持ち合わせているような不思議な空気。
これがきっと、彼女自身の魅力なのだろう。
「そうでもないさ。私だって気になることがなければここまで突っ込んだ話もしない。それに、聖のことを本当に好いている人に、興味があるって方が正しいかね」
穂波さんはそう言ってお茶を含むと、それ以上の質問はしてこなかった。まるで私の方からの質問を待っている、と言った視線を感じたのはきっと気のせいじゃないはずで。
そしてそれは、私が彼女に抱いている質問があることを、彼女は理解している、と言うことだ。
「聖のことについて、なんですけど」
「ん? 何かな」
「病気のことについて、もう少し伺いたいんです」
だからきっと、これは回りくどい質問じゃかわされてしまう。自分だって同じことを彼女にしてきたのだから、私も誠実にあるべきだ。
「聖から話は聞いてます。そのうえで、穂波先生としての彼女の現状を、私にも教えてほしいんです」
私の質問に、彼女はゆっくりと笑う。まるでそれを待っていたように。
「聖からも話していいと言われたからね。これについては君に話しておいても問題ないだろう」
「はい」
いつの間にか握られていた自分の拳に力が入る。
現状の聖について、知ったところでできることはきっと限られている。
だったとしても、それを聞かないのはいつかやってくる彼女の死を受け入れるために、必要なことだから。
そしてこれからの私が、私であるために。レールの外れた大地の先の景色を、知るために必要なことだから。




