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第23話

「さて……話す、とは言ったが、どこから話したものかな」


 引き締まった表情を一瞬解いた聖は、考え込むように視線を天井に向ける。んー、とうなる彼女のそれは、何かを言い淀んでいるというより、説明の仕方を考えているようだった。


「病名から先に言おうか。もしかしたら由良は知っているかもしれないから」

「えぇ、聖の話しやすい順序で構わないわ」


 今度は私が話を聞く番になり、聖の隣に腰かける。私の肩の方に腕を回して近づいた距離は、まるで誰かに聞かれるかもしれないというわずかな可能性すら警戒しているようにも感じた。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、聖は一つ息を吐いてから、私の方をじっと見た。


「少し長い名前になるんだが……原発性抗リン脂質抗体症候群、という病気だ」


 彼女の病名を聞いても、まったくピンとこなかった。長くなる、と言ったが病名だけ聞いても病気の詳細について全く理解できず首を傾げる。それは聖も想定内だったようで、苦笑いをしながら、そうだよな、と付け加えた。


「これを知っている、と言われたらアタシの方が驚くところだったよ。そこまで知れている病気でもないからな」

「そう、よね……ごめんなさい、全く想像もつかないわ」

「そりゃそうだろう。一応指定難病の一種ではあるんだがな、あまり認知度のあるものじゃない」


 難病、という言葉に私の肩がこわばる。さらっという聖に私は気の利いたことも言えなくて、そんな私を知ってか知らずか聖はそのまま話をつづけた。


「簡単に言えば特殊な自己抗体があって、それらが悪く作用し血栓なんかを引き起こす。幸か不幸かアタシには関係なかったが、女性だと習慣的な流産なんかも引き起こすらしい」


 聖は話慣れているのか、その後にも具体的な症状についても教えてくれた。

 動脈、静脈共に血栓を引き起こすため、脳梗塞や皮膚の潰瘍、網膜に関わると視覚障害なんかもあるらしい。静脈系なら主だって下肢に血栓が起こりやすく、それらが肺まで到達すれば、呼吸困難になることもあるらしい。聖自体は現状大きな症状になっているわけではないが、既往としては右目の網膜に異常があり、かなり見えずらくなっているという。


「症状がなければそこまで治療することもないんだが、出てしまっている以上、な」

「……そうね」

「いわば、アタシの身体に時限的な爆弾がそこら中に廻っていて、そいつらが悪さをしないように治療している、と言ったところだ」


 自分の身体をコントロールするのを、他の組員に対してするのと同じように話す聖に、私は何も言ってあげられなかった。適当な相槌を打って、少しでも自分が納得できるようにかみ砕くので精いっぱいだったのかもしれない。

 あっけらかんと話すには、症状の内容が重い。それに、みえる形での症状ではないことも私の心が不安になった要因かもしれない。


「まぁ、見える形の症状が少ないのは、知っている人間からすると不安を煽るだろう。しかしアタシも正直のところ、いつどこで、何が起こるかわからないというのもあるんだ」

「……聖には私の考えていることなんてお見通しね」


 的中させた私の心に、思わず白旗も上げたくなる。顔にはあまり出ない方だが、彼女にはそんなことは関係ないことのようだ。

 そんな私に、聖は笑ってみんな同じ顔をするんだから仕方ないさ、と笑う。


「こればかりは、誰だって似たような反応にもなるさ。アタシ自身、母が同じ病気になったと聞いた時はかなり動揺したものだからね」


 聖曰く、この病気の直接的な原因は不明だが遺伝的なものが多いらしい。必ず、と言うわけではないと付け加えてはいたが、確率としてはそこそこ高いものなのだろう。


「穂波とは母の頃からの付き合いなんだ。アタシたちの難病についての研究をしていた一人で、実際に患者と向き合って研究をしているのが彼女とアタシが繋がっている理由さ」

「なるほどね。だからあんなに仲も良かったの」


 穂波さんとの会話の流暢さは、初めて会ったときから思っていたことだった。なれなれしい、とは言えないが気を許しきっている、と言うわけでもない。何とも表現しにくい彼女たちの間に流れる空気の正体が、ようやくわかった気がした。


「まぁただ、病気になったからと言ってすぐに死ぬわけじゃない。先ほど挙げた症状たちだって最悪のケースを想定してのものだし、普段はそこまで牙をむくわけでもないから」


 いつの間にか私の肩に回されていた手は聖の元に戻っていて、何とも言えない距離が私たちの間に生まれていた。病気のこと、とはいっても重要なことは言い終わったのか――とは思ったのだが、それは次の彼女のセリフで簡単に打ち砕かれた。


「だからと言って悠長にしているわけでもない。穂波曰く、余命は持っても20年前後だそうだ」


 あっさりと告げる聖に、私の息は一瞬止まったかと思った。


「……どういう、こと?」


 私の口からこぼれた言葉は、とても震えていた。それはとても情けなくて、いつもの自信はどこにもなかったように思う。

 そんな私を知ってか知らずか、聖は困ったように笑う。


「言葉の通りだよ。抗体数は徐々にだが増えてきているし、増えればそれだけ可能性は高くなる。今は網膜だけの症状も、心臓や脳に障害を起こす可能性は極めて高いと穂波にも言われている」


 淡々と続ける聖は説明になれているからか、世間話のようだった。ただその話から生まれる話題の重さに、私の心は強く動揺する。

 死と隣り合わせの世界に生きる彼女の最期は、そんなにも短いものだったなんて、と。


「……この話は、誰が知ってるの?」


 次に気になるのは、そこだった。あそこまで話すのを悩んでいた彼女のことだ、誰にでも話している者じゃないのは明らかだった。それによく考えずとも、聖の病気、というのはこれ以上ないほど織田組にとっての急所。そこにつけ込まれてしまわないように普段から配慮しているはずだ。

 私の質問に、聖は少し黙ってからそうだな、と続けた。


「由良が知っている範囲でなら、主治医の穂波だろう。あとはあたしの妹分と幼馴染、と言ったところだな」


 幼馴染、と言うのは恐らく香奈子さんたちのことだろう。彼女たちが穂波さんと繋がる理由はきっとそれくらいしかないのだから。


「組の人には言ってないのね」

「あぁ。特別不安を煽りたいわけでもないし、万が一外に漏れたら大変なことになる。――それこそ、この間のなんかじゃ比にならないくらいに」


 この間、と自分でこぼしてから険しい顔になる。聖にとってあの出来事は自分が信頼して受け入れた人間の裏切りだ。彼女の世界に置いての裏切りがどれほどの影響を及ぼす不義理な行為なのかは知らない人間が想像するだけでも相当だと思う。

 そしてそれを間近で、当事者の一人として巻き込まれた今の私なら身をもって知っている。続きの言葉が詰まって、何も言えなくなった。


「だから、由良にとって穂波はいい隠れ蓑になる。表だった肩書としては申し分ないだろう。私と関わるような人間とは縁もゆかりもないような顔して過ごしているしな」

「ほんと、すごいわよね……そう考えると」

「穂波自身もそうだが、私の後輩も記者の中では有名らしくて、彼女が関わっているということで他の記者たちが近づいてくることもないらしい。全くよくできた後輩だと思うね」


 聖の思いはせる人物たち。上手くできたカモフラージュは、つまり聖の言う通り私の隠れ蓑としては十二分だ、と笑った。


「アタシはつくづく周りの人間たちの運がいいらしい」

「それについては私も同じね。貴女のおかげ」

「アタシは何もしてないさ」

「それは、聖の人徳がなせる業よ。早々できることなんかじゃない」


 これは紛れもない本心だった。少なくとも経営に少しでも携わったことのある人間として、ここまでたくさん、優秀な人たちに囲まれるのはその中心人物だからこそだ。ついていきたいと思える背中を、彼女は普段から見せているからなのだろう。

 ――比較して思い浮かべた自分の婚約者の背中は、とても小さく見えた。


「そう言われると少し照れるが……由良がいいと思うなら、穂波に相談してみるがどうだい?」


 照れをごまかすように一つ咳払いをした聖は、改めて言葉を投げかけてきた。そもそもの本題を、といった目はなんだか面白かったが、少し考えてから頷いた。


「……お願い、できる?」


 彼女の言う通り、現状においての最善策は穂波さんのところに行くことだと思った。

 私や世羅に関わる人間であれば、真斗さんをはじめ実家がかぎつけるのはあっという間だ。だからと言って聖のところに直接行けばこれ以上の問題になることも明白。となれば、おのずと導かれる僅かな選択肢の中でも、ここまでの適任がいるとは思わなかった。

 私の言葉に、聖は強く頷いた。その目に宿る真剣さは、私を守ろうとする強い意志が見えた気がした。


「もちろんだ。穂波にはアタシの方から軽く説明しておくが、日程なんかは二人で直接相談するといい」

「えぇ、ありがとう」


 何はともあれ、世羅の言う一時的な避難先の目処が立ったことは喜ばしいことだ。

 まだ一歩目も踏み出せていない私だけれど、確実にレールの上に乗っている脚は、レールの方向を向いていない。舗装されていない、荒れた大地の方を向いている。

 その先にある景色はきっと、昔までの私なら見ることなんて叶わない景色なのだろうと少しだけ胸が躍った。





「――あぁ、そうだ。もう一つ由良に聞いておきたいことがあったんだ」


 これからの軽い段取りを話した聖は、思い出したように口を開く。首を傾げる私に、純粋な言葉を投げた。


「この間の件で活かしておいた奴が、妙なことを言っていたらしくてな」

「……?」


 神妙、とはまた言い難い、しかし冗談を話しているようには見えない聖。困惑を顔に浮かべる私にとって、それはもしかしたら劇物だったのかもしれない。


「――――」


 私は一体、それをどう扱ったらよかったのか。

 その答えは、まだ出ていない。

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