第22話
私の改まった自己紹介に、聖は黙ってこちらを見ていた。それは決して嫌なものではなく、真剣に私の言葉をかみ砕いて、理解しようとしてくれているものだとわかって、少しだけ肩の力が抜けた気がする。
「財閥の娘、か」
「えぇ、聖のことだからある程度は知っていると思ってたけど」
「まぁな。アタシもそこまで馬鹿じゃないから、由良の身元くらいは調べたよ」
「やっぱりそうよね」
「さすがにね。そこそこの金額を出資できる身分なんて限られている。それにただの金持ち、と言うにはあまりにも浮世離れしているからな、由良は」
私の種明かしついては彼女も想定内だったようで、そこまで大きく驚くこともなかった。私もまたその反応は想定内だったし、変に話が脱線することもなくて安心しつつ、話をつづけた。
「たださっきも言ったけれど、私はいつか家に戻らなくちゃいけない。きっとそれはそんなに遠い未来じゃなくて、もしかしたらもう一年もないかもしれない」
改めて口にして自分の現状を把握すると、そこそこ絶望的だと気付かされる。私の気持ちなんて老いていかれる世界に戻されるまでのカウントダウンは、既にもう始まっているのだ。
「それに、私のお父様が今までのことを調べないとは限らない。私の周囲の身辺なんてもちろん、関わってきた人間関係も」
「……それはつまり、アタシとのことも、ってことかい」
聖の顔が険しいものになる。わかっていたことではあったが、改めて口にしてその現実を強く認識したのか、眉間に皴が寄る。
「そうね。貴女との関係はきっと切っても切り離せない」
「反社の人間と関わっているだけでなく、こうして金銭の関係を結んでいるのは、向こうからしたら家に泥を塗るようなものだからな」
「一応体裁としては関連企業への出資、ってことにはしてるけれど、この関係に気づくのはそんなに遅い話じゃないわ。必要であれば探偵でもなんでも雇って調べるでしょうし、調べた結果聖にたどり着くのは目に見えてる」
こうして逢瀬を重ねているのだって、契約と言う紙切れの上で成り立っていることだし、それを破棄すればいいと言われてしまえば、それまでの話でしかない。しかもその相手が反社会的な組織、指定暴力団ともなればあの人たちが言い出すであろうことなんて手に取るようにわかる。
――そんなことは間違っている。すぐにでも関係を切りなさい。
それはまるで小さな子供を諭すように言うだろう。良い大人なんだから分別を弁えろとか、善悪の判断もできないのか、とか。
そこにある、私の気持ちと言うものは全部置き去りにして。
「……由良は、どうしたいんだい?」
しばしの沈黙を経て、聖が切り出した。少しだけ伏せられていた目が、真剣さを帯びている。いつの間にか襟を正して綺麗に整えられた着物を見て、彼女の真剣さを改めて実感した。
「どうしたいか、って難しいけれど……私は、あの人たちのしがらみから解放されたい」
「そのためにアタシを利用したい、と?」
「そういうわけじゃない。しがらみから離れるための理由じゃなくて、私は聖とこれからも関係を続けていきたいと思ってる。むしろそのために、実家のしがらみが厄介になるの」
聖は小さく息を吐く。その表情は何か決意を固めているようで、揺るがない決心の表れのようだ。彼女としては元から決まっていたものかもしれないが、さらに思いを強固にした、と言ったところとも見える。
聖の険しい表情は変わらない。私の言葉を信じていないわけじゃないのはわかるけれど、続きの言葉を探しているようにも見えた。
「アタシは、由良の自由を尊重したい。それと同じくらい、由良の無事が大事だとも思っている」
「えぇ」
「由良の話の通りなら、アタシとこうして会っているのは決して認められたものじゃないだろう。アタシは追われる立場には慣れているが、由良はそれを望まないだろ?」
「もちろんよ。むしろ私と関わって無駄な争いにもなってほしくない」
聖は私の安否を大切にしてくれているが、私も同じくらい聖の安否を大事にしている。私とのことで彼女の命が危険にさらされるのは、あの事件で十分だ。
押し問答になるな、と思ったのだろう。聖も私も一度落ち着いて深呼吸を一つ。すー、っと頭が冷えていくのを感じて、どうやらそれほど私は思考に熱を帯びていたように感じた。
「結論から言うが、由良がアタシを切ったとしてもそれを尊重する。あの日にあったことを口止めしてほしいとは思うが、必要だと思うのなら他言しても構わない」
深呼吸をいくつかした聖が決心したように放った言葉に、私は首を横に振る。
「そんなことしないわよ。あの日のことを言ったところで誰にも信じてもらえないだろうし、むしろ言ったら私の立場だって危うくなる可能性だってあるもの」
「由良はただ巻き込まれたことにすればいい。怪我の手当てはしたけれど、その先のことは言う必要もないし、むしろそれが由良にとって足枷になるのならなかったことにしてしまうのだってアタシは否定しない。金のことで何か言われたのなら、アタシに脅されたとでも言えばいい」
聖の言ってることは至極まともだ。暴力団である自分に脅されて金を巻き上げられた、と被害者として訴えれば周囲も納得してくれるだろうし、それほどの説得力が実績と言う形で彼女にはある。暴力団の組長だなんて、これ以上ない説得材料だ。
でもそれは同時に、聖のことを売る行為だ。彼女を裏切って、自分は安全なところに。
「嫌よ。そんなのフェアじゃない。それにあの話を持ち掛けたのは私で、聖はむしろ積極的に受け取ろうとなんてしなかったじゃない」
「アタシたちの間ではそうだが、世間一般はそう受け取るとは思えない。むしろ口止め料と言って脅された、と言う方が通りはいいだろう」
「それはそれ、でしょ。……それに私、貴女との関係は切りたくないの。これは、私の紛れもない本音よ」
聖は私の意志を尊重してくれるというのなら、本音を言わないのは違う。私の一言に、聖はぐっと言葉を噤んで、私の続きの言葉を待った。
「そのための一歩に、この家を引き払おうと思うの」
そして、今回の話はここからが本題だ。聖もそれがわかったのか、先ほどとはまた違った表情でこちらを見ている。私なりの提案を、彼女はどう受け止めるだろう。
「私の友人でね、少し特殊な立場の人がいるの。その人に手伝ってもらって、実家の人たちに知られない方法で住居の移動を考えている」
「ふむ……」
「正直、それがうまく行く保証は五分と言ったところだけど、何もしないよりいいと思って。――それで一つ、聖にお願いしたいことがあって」
「できることはしよう」
「ありがとう。――単刀直入に、一時的な避難先が欲しいの」
回りくどい言い方はしない。ここまで探り探りした会話の中でお互いになんとなく理解している思いは、きっと近いところにあると信じたから。
そして聖も私の提案に少しだけ驚いたように目を見開いたが、その表情はまたやら柔らかいものに変わる。どうやら私の言いたいことをわかってくれたのだろう。
「で、あればアタシとそこまで近い関係でないことが望ましいだろう。それこそうちに連れてきても構わないが、そんなことをすれば由良の実家がどうなるかなんて明らかだからね。由良の周囲に関しては、そちらの実家が黙って見過ごすほど馬鹿でもないだろうし、その間をとった形、と言ったところかい?」
「……本当に賢いのね。その通りよ」
彼女の説明に、私は黙って頷いた。こんなにあっさりと理解されるとは思っていなかったし、その後の提案先もあっさりと出てくるのだから驚くほかないだろう。
「であれば、穂波のところを借りるといい。穂波はアタシの主治医ではあるが、彼女自身、表立っているのは総合病院の非常勤医師だからな。そこそこ業界では有名らしいから、隠れ蓑にするのはうってつけだろう」
彼女の提案の抜け目のなさに驚いてしまう。前に穂波さんについて少し調べた時にも出てきたのはベストドクターなどの優秀なものばかりだし、まさか彼女が聖と――もっと言えば暴力団関係者たちと繋がっているなんて思いもしない。ネットに書かれていることだけが全てではないし、探偵たちが来たとしても彼女のことだからある程度ごまかして受け流すのは慣れていることなのかもしれない。
それらをすべて総合して、一番安全なのはきっと彼女のところだと判断したのだ。
たったこの、一瞬で。
「……脱帽するしかないわね」
「伊達にいろんな人を見てきていないさ。それに、アタシも彼女に関連した話を由良にしないといけないとは思っていたから、話題としてもちょうどいい」
聖の表情が、また引き締まる。今度はこちらの番だ、と言わんばかりに真剣な瞳は、心が決まっていることを理解するのには十分すぎた。
ただ、その話題の繋がりはわからない。何があったかしら、と思案していれば聖はゆっくりと、その続きを話した。
「由良が話してくれたんだ、アタシも話さない訳には道理が通らない。――これは、アタシ自身にも関わる、病気の話だから」
その一言は、あの日の出来事たちを思い起こさせて、そして私の知らない織田聖の側面を知る、忘れてはならない話だった。




