第20話
世羅は私の目を見て決意を確認したのか、椅子に座りなおす。その目はいつしか見た、彼女自身が家出をする時、私に事の経緯を説明してくれた時に重なった。
「さっきも言ったけど、まずあの兄貴と由良の家――お父さんの目をかいくぐるのは正直かなり大変だ。シンプルに地の果てまで追いかけてくる二人を振り切って駆け落ちなんて現実的な話じゃない」
「えぇ、そうね」
「それに、相手が暴力団の中でも有名な織田組の、その組長だってわかったらさらに問題だよね。反社の人だし、何より女」
「……金杉の血を引いた子供を産めない」
そう。ただでさえ反社会的な存在であるのに、そこに追い打ちをかけるように性の問題がやってくる。もし仮に聖が男性だったとして、世継ぎの子供がいればもしかしたらそちらに目を向けさせることもできたかもしれないが、それすらも見込めない。彼らにとって血筋と言うのがそれほど重要な観点であり、金杉の血を引いているものも産まれないとなれば、問題はさらに激化することだろう。
そこもすべて踏まえたうえで、それでも私は聖の傍にいたいと願うのだから、はたから見ればさぞ馬鹿な女の愚かな恋路だろう。
私のつぶやきに、世羅もそういうこと、と笑って続ける。
「つくづく考え方古くて笑っちゃうよなぁ。今どきそんなこと言ってたら世継ぎなんて見込めないっての」
「必要なんでしょう、彼らにとっては」
「それもそ。だからどうにでもなればいいのにね、って思うわけなんだけど。……っと、少し話が逸れちまった」
家の話になって険悪な表情を見せた彼女だったが、一つ咳払いをした。
「そんな正直雁字搦めで八方塞がりな由良に、一つ提案するとして――家出をしてみないかい?」
「……は?」
改まった顔の世羅に、私は思わず怪訝な顔を見せてしまう。散々もったいぶっておいて、彼女から出てきたその提案はあまりにも安直で、そして何も意味をなさないものだと思ったからだ。
しかし世羅はそんな私に、ただの家出じゃないさ、と笑う。
「新居の手配は私の方でする。色んな手続きも込みでね」
「そんなの時間の問題でしょ。それに引っ越しともなれば大掛かりにもなるじゃない」
「これでも一応、色んな伝手はあるんでね。早々簡単に捕捉できないようにするに決まってるじゃん」
「……私に夜逃げしろと?」
「平たく言えばそうかな。だけど、夜逃げ先はたどらせないルートを確保できる。これに関しては約束しよう」
世羅の目は本気だ。普段のふざけた雰囲気はどこにもないし、彼女なりに私をあの家から引き剥がそうとする手段として、もしかしたら前々から準備されていたものなのかもしれない。
だったとしても、それをおいそれと飲み込むことはできなくて。
「仮に夜逃げしたとして、世羅の紹介先に乗り込んでくる可能性だってあるじゃない」
「そうなったらむしろストーカーってことで訴えちまえよ。別居中の夫婦ですら適応されるらしいんだから、婚約者段階のあいつなら確実に警察のお世話になると思うよ」
世羅の発言に、思わずため息がこぼれてしまった。
「……貴女、自分のお兄さんがどんな人だかわかってるの?」
世羅の兄であり私の婚約者の藤嶺真斗、という人は絵にかいたような権力を武器に自分の都合のいいように物事を運ばせる。たとえ相手が警察だったとしても、きっと彼のことだから金を握らせて問題を有耶無耶にする可能性も十二分にある。彼にはそれだけの力もあるし、行動力だって間違いなくある。
その妹である世羅は、その兄の背中を一番間近で見てきたはずだというのに。
世羅の提案が思った以上に稚拙だったと思って話を切ろうとすると、話の肝はここからだよ、と笑った。
「由良の言う通り、あれは筋金入りだからね。それくらい由良のこと好きだし、自分のものにしたうえで金杉の当主になることを望んでいるのは確かだよ」
「だったら、」
「だからしばらく、由良は私の提案する家の準備が整うまで、別の所で身を隠していてほしいってわけ」
彼女の提案に、私は改めて首を傾げる。そうなることは予想通りだったのか、彼女は話を続けた。
「簡単なことだよ。由良がまず家に帰らない。そこで奴は不審に思うでしょ。足取りがつかめなかったら、それを探ろうとするのは想像に難くないし、由良の潜伏先を自分で調べて、見つけ出すのはそう時間もいらないんじゃないかな。探偵雇ったりすれば」
「そしたら何も意味がないじゃない」
「ダミーってことさ。そこはあくまでもフェイクで、本命のあたしのところの準備ができたら由良は身体一つで移動してくればいい」
世羅の提案に眉を顰める私。しかし続く彼女の言葉に、はっとした。
「考えてもみなよ。あたしの今の家、あいつら知ってる?」
その一言に、思わず息をのんだ。
彼女の言う通り、世羅の居所を彼らは知らない。良くも悪くも世羅だって立派な元お嬢様で、おいそれと放逐するのは彼らにとって納得の結果ではない。それは世羅が家出をしてすぐのころに、真斗さんが世羅の居場所について何度も訪ねてきたことを思い出した。彼の言葉が正しければ大事にはできないからと探偵を雇いはしたが、芳しい結果は得られなかったと言っていたことも思い出し、最終的には彼女のことを探すことをやめていた。藤嶺家では世羅のことを事実上破門とし、それ以降彼女について触れることはなかった。
「由良とあたしとで立場が違うこともわかるし、同じようになるとは思ってないけど、少なくとも警察の介入困難で、探偵も近づかない領域って言うのはある。こんな何でもない住宅街に住んでるけど、ここってそういう伝手を経て見つけた安寧ってわけ」
だから由良にも、そういう場所に来てほしい。
世羅の目は本気だった。いつもの茶化したようなものじゃなく、本気で私に来てほしいと願っているのが伝わってくるのだ。それはきっと、彼女なりに私のことを思っての提案で、事実八方塞がりの私にとって、やるべきことなのかもしれないのは間違いなかった。
だからといって、すぐに頷くには難しい選択で。
「……世羅の言う、本当の安寧って場所を見つけてもらうまでにどこかに行かなくちゃいけないの」
「だねぇ。あたしは実家から直行だったし、正直本気の調査じゃなかったと思うから何とかなってるけど、由良の場合は一筋縄じゃ行かないだろうからね。一つダミーを挟んでおく方が混乱するんじゃないかな」
「あくまで混乱、でいいの?」
「それで十分さ。それに、ゆくゆくは織田さんと一緒になりたいと思うのなら自ずと終点は決まってるようなものだし」
世羅の表情が少し緩くなる。たとえるなら恋愛の話をしているときにからかってくるような表情だろう。なんだかその表情にいたたまれなくて、居心地の悪い顔をした。
「……そういう話じゃないの。それに、向こうがそのつもりじゃない可能性だってあるわけだし」
「まぁまぁ、その辺は時間が来ればわかることでしょ。とにかく、一時の混乱の間に本命に引っ越せればこっちの勝ち。その後は由良次第」
どうする?
再度問いかける彼女に、私はどんな顔をしていたのだろう。自分の答えもまとまらず、一歩踏み出すのを怖がっている私は――
「やってみるだけ、やってみないとどうなるかわからないじゃん」
「それはそう、だけど……」
「やれることのバックアップはするし、もしその過程でもし向こう側にあたしが見え隠れしてもいいよ。何があったってあたしは由良の味方だし、友人をおいそれと不幸せの渦中に放り込みたくないからね」
世羅の意志は一貫している。本当に私のことを思っての提案だろうし、ここで怖気づいている私とは正反対。彼女の強さで、私が彼女に憧れている部分だ。
そして何より、私が望む幸せの先にあってほしいと思うのは、今の環境ではないから。
「……どのくらい、の関係であることが望ましいかしら」
少しの沈黙を経て、世羅に問いかけた。
「というと?」
「少なくとも私や世羅の共通の知人程度の関係だと、向こうだってすぐに検討が付いてしまうでしょ? だからといって聖に近すぎる関係だと私たちの関係に気づかれてしまう可能性もある。だからどの程度、関係が離れているのが理想なのかしら」
私の質問の意図を理解したのか、世羅は目を輝かせてから続けた。
「由良の言う通り、そこそこ離れてる方が望ましいね。それでいて、どちらかと言うと織田さんサイドの人間の方がいい。うーん、でも織田さん周りの人たちって大体反社会的勢力だしなぁ……」
「……当てがないわけじゃないの」
私の一言に、どういうこと!? と少し大げさな態度の世羅に苦笑いをした。
「この間少しお世話になった方に、話を振るくらいはできるかもしれないから」
言っては見たが、果たしてそれがうまく行く保証はない。なんせこんな突拍子もない提案を飲んでくれるかもわからないし、それによって迷惑をかけてしまう恐れだってある。私の身勝手で、関係のない人たちを巻き込むのは本意ではないのだから。
きっと聖もそうだったのだ。私と初めて会ったとき、彼女が私を頑なに認めなかったのもこういう気持ちだったからなのだろう。その気持ちを今、時間差を経て似たような立場に立っているのが少し不思議だった。
そんな私の不安をよそに、世羅は笑って提案してみなよ、と言った。
「提案してダメでも、もしかしたら代替案が出るかもしれないじゃん? 由良の話しぶり的に、織田さん側の知り合いにいい感じの距離感の人がいるってことでしょ?」
「えぇ、そうね」
「ならその人に一度話してみた方がいいさ。なに、由良が相談してもいい、って思えるような人ならきっと悪いようにはされないよ」
「……」
世羅の、その根拠の全くない自信は一体どこから湧き上がるのだろう。他人事だからと投げやりなわけではなく、私への全幅の信頼からくるものなのだとしたら、お気楽だと思わずにはいられない。
……ただ、彼女のそんな性格だからこんな風に上手く行っているのかもしれない。
「一歩踏み出すのが大事だよ、由良」
世羅の表情の優しさと言葉の重み。私に足りていないものを提示して、差し伸べられる手。
「……頼んだわよ、世羅」
だから私は、この人に賭けようと思えるのだ。
藤嶺世羅と言う、一人の人間に。イカサマもなんでもするカジノのディーラーに。
ベットするのは私自身。ショウダウンの果てにある未来にいる私は、どこにいるのだろう。




