第19話
私が世羅にこの話題を振った時点で、もう後戻りはできないのだろうとは思っていた。
今ならまだ間に合う。この話の続きをしなければ、彼女は食い下がって聞いてくるだろうが、それ以上口を割らなければいいだけのこと。少し問答していれば世羅の方が諦めてこの話は終わる。長らく付き合ってきた彼女の特性を知る私にとって、ここはきっと最後の分岐点。
「――正直、このままだとあの人が邪魔になる」
目を閉じて思い浮かべるのは、自分の婚約者の顔。あの事件のことはもちろん話していないし、これからも話すつもりは無い。まさか自分が暴力団の抗争に巻き込まれたなんて知ろうものなら彼が黙っているわけもない。もっと言えば本家のお父様たちに告げ口をしてしまえば、私と聖の関係にたどり着くのはそう遠い未来じゃないはずだ。
「私はこれからも聖の傍にいたいと思ってる。だけどただ何も行動を起こさなければ、間違いなく障害になるわ」
「うん、そりゃそうだ。あの兄貴がただ黙って織田さんに寝取られるのをよしとはしないわ」
世羅もそれをわかっているようで、紅茶を一口飲んでから言葉をつづける。
「良くも悪くも見栄っ張りだし、暴力団との関係ともなれば、ある程度慎重に行動しそうなもんだけどね」
そう。彼にとってこれはただ婚約者がとられるだけの話ではない。本来関わるべきではない反社会的な人間と高貴な財閥の一家に生じる、家の問題に発展する。私の感情だけで物事が進むほど、単純な話じゃない。
それは世羅ももちろんわかっていて、似たような立場でありながら私と正反対の道を行く彼女だから、さらにいろんな考えが巡るのだろう。世羅自身「私はあの家が嫌で逃げてきた」と今では笑って話す彼女も、逃げる当時はさまざまな葛藤があったに違いないから。
「それにさ、私はなんだかんだ言っても分家の人間だし、あんなんでも長男がいたわけじゃん? 私はぶっちゃけ用済みだったからいいけど、由良の場合はそうじゃないしね」
「えぇ……。ただそれを理由にいつも通り諦めてしまうのは、少し自分の中で納得いかなくて」
世羅の言う通り、私は少なくとも一人娘で、本家の人間の跡取りは必須。婿養子にするにも金杉の血を引く人間の跡取りは必要だ。そういう意味では今の婚約者である真斗さんは適任だし、藤嶺は最悪世羅をこうして放逐することで血は繋がっていくと考えている。
ただそこに当事者である私の気持ちは一切汲まれていない。もっと言えば世羅の本心とも重ならないだろう。
つまり、彼らの考える家の繁栄に関して、私たちの意志の介在など必要ないのだ。もっと言えば、女の意志は彼らにとっては不要で、私たちのことをただの駒としか見ていない。
「私としては由良の意志を最大限尊重したいし、それが回りまわって私の狙い通りにもなるからね」
「なんだったかしら、家の没落?」
「そうそう。あんな家今どき古いっしょ、考え方とかも全部」
思い出したのか、げぇ、とあからさまに嫌な顔をする世羅に私は苦笑いを浮かべることしかできない。彼女のように意志と行動力が伴っていればよかったのだけれど、残念ながら今の私はまだそこまでには至らない。
世間体。両親のこと。――果ては自分が育った家のこと。
それらが複雑に絡み合って、私が単純に踏み出せていないのが、悲しい現実だ。
「まぁぶっちゃけさ、最終的には駆け落ちするしかなくない?」
少し考えてから出した世羅の答えに、私も頷く。どれだけ考えたところで、少なくともお父様を納得させられるだけの交渉材料はそろっていないのだから。
「とはいえ、ただ駆け落ちするだけじゃダメだと思うのよ」
「うん。金杉のお父さんを思えば地の果てまで追いかけてくるっしょ」
世羅の言うことは何の誇張でもなく、本当にそうだから困る。警察も探偵も、彼の使える権力全てを行使して私を探すことだろう。それこそ地の果てまで行ったとしても、地獄の果てまでついてくるといっても誇張表現に聞こえないのが身内ながら怖いとさえ思う、
二人で顔を突き合わせて悩む。結論は出ていても、その後の行動指針が決まらない。私が世羅に相談したのもそれが理由で、同時にこんな話ができるのも世羅しかいないのも悲しいかな現実だ。
「……ぶっちゃけさ、織田さんは由良のことどう思ってるわけ?」
世羅が少し黙ってから、珍しく聞くのをためらないながら問いかけた。内容的にも仕方ないけれど、あまり見たことのない顔をする世羅に微笑みながら、私は答える。
「さぁ? ちゃんと確認したことはないわ」
「マジ? じゃあそれこそ、由良の片思いとかってことも?」
「否定はできないわ。聖に確認したこともないし」
正確に言えば、答えを聞くのが怖かった。もし私の一方通行だったらこんなに虚しいことはないし、むしろこうして行動をとろうとしているのはかえって聖の足枷になってしまうだろう。現に今回の一件でそれはあからさまに露見されてしまったし、彼女のこれからを思えば私との関係を切ってしまうのも無理はない。
――関わるな。
初めて出会ったあの日に、しきりに聖が言ってたこと。私の真意がわからなかったのもさることながら、それ以上にカタギの人間を巻き込みたくないというのが聖の本音だ。きっとそれは今も昔も変わっていない。現に彼女の幼馴染たちにだって一定の線を引いているというし、それはこれからも変わることはないだろう。もちろんその線引きは私にもされるわけであり、必要以上に近づく行為は彼女にとって迷惑以外の何物でもない。
世羅も何かアイデアはないかと考えているようで、天井に視線を向けている。昔からの彼女の考え事をするときの癖で、大きな決断事が迫っている時ほどその熟考時間は長い。下手に声をかけてしまうと逆効果になるから、私もまたどうしたものかと黙り込むことしかできなかった。
少しだけ、沈黙が部屋を支配する。しかしそれはほんの一時のことで、その沈黙を破ったのは世羅だった。
「……由良はさ、これからどうなりたい?」
「どうなりたい、って?」
彼女の質問の意図はわかる。そのままの意味で、きっとそれ以上の意味はない。しいて言うならどこまでの範囲を刺しているのかが不明瞭、といったところだろうか。
「そのままの意味――って言ってもダメか。うーん、っと」
珍しく言い淀んでいる。が、すぐに苦笑いを浮かべて言葉をつづけた。
「……今からちょっと、らしくないこというけど」
「なに?」
「由良はさ、織田さんと幸せになりたい?」
彼女の質問に、思わず目を見開いた。まさか世羅の口から幸福という言葉が飛び出すとは思わなくて驚いていれば、少し照れくさそうにしながら世羅は笑った。
「言い方上手く浮かばなかったけど、結局はそこじゃん? 私だって今こうして自由にやってるのだって、あの家にいたら幸せになれないって思ったし、なんでも自分で選択できる自由を選んだ。そのための行動をして、紆余曲折はあったけど今の立場に落ち着いた」
世羅の言う通りだ。そのために彼女はさまざまな行動をして、家と縁を切った。そこに至るまではきっと色んな道のりがあって、一筋縄でいかないこともあっただろう。それらをすべてくぐってきたからこそ今の彼女がいる。
私はまだ、その一歩目すら踏み出せていない。
「この先の未来、由良がどうしたいか、だと思う。少なくとも織田さんと縁を切って本家の言う通りにすれば今のままだろうし、それはそれで一つの幸せだとは思うよ。一般人から見ればそれはそれは幸福だと思うしね」
「それは、」
「分かってるよ。由良はそれを望んでない。金銭的や立場的に幸福であっても、心の幸福とは言えない。あんな兄貴と一生を過ごすことになることの方がよっぽど不幸だしね」
「……えぇ」
「ただ、織田さんといることを選ぶのならその道は間違いなく一本道じゃない。まず一緒にいることを望んでいるかも分からない、もしかしたら織田さんは望んでいないかもしれない。その点、あの兄貴については心配いらないね。だって由良にぞっこんだし」
「……」
真斗さんのことを想像して、寒気がして鳥肌が立つ。聖のことだって、世羅の言う通り確実なことなんて何もない、不安定で不明瞭なものばかり。
「たとえ織田さんの気持ちが由良に向いていたとして、その後のことを考えなくちゃいけない。一緒にいたいと思うなら、それなりに行動をしなくちゃ始まらない」
「……」
「はっきり言って、私の家出なんて比じゃないくらい大変な事続きだと思う」
世羅の言っていることは間違いない。本家の一人娘ともなれば、私の想像以上の出来事が起こるだろうし、それに立ち向かっていかなくちゃいけない。
黙り込む私に、世羅は笑う。それでも、と付け加えて。
「それでも、由良が織田さんと幸せになりたいって思うなら最大限の協力はする。いや、二人が幸せに、と言うより、由良の幸せのために協力したいって思うよ」
世羅の言葉がまっすぐ私に向けられる。普段は人をからかうように見定めているのに、こういうまじめな場面ではそれを一切出さないから、その分説得力が増しているわけだけれど。
「さぁ、由良はどうする?」
彼女は再び、私に問う。願っても踏み出せない私の臆病さを挑発するような視線。答えなんて始めから決まってるくせに、と言わんばかりの顔をする彼女にいっそ腹すら立つけれど、その挑発に乗ってしまうのは、きっとそれほど私が求めていた言葉なんだろう。
「……その言い方、ある程度の策はあるってことよね?」
「もちろんだとも」
「どれくらいの可能性があるかしら」
「そうだなぁ、他の協力者は必要になるかもだけど、少なくともあの兄貴から由良を引き剥がすくらいはできると思うよ」
「それがあるなら最初からしてよ」
「これに関しては由良が特定の誰かを求めないと成立しないことだったからね。そもそも由良、あれと籍を入れるのだって視野に入れてたじゃん」
「その話はいいの。――で、その内容は?」
私の返事に、世羅の口角はゆっくりと上がる。あくどい顔ね、と言いたくなったのをぐっとこらえたが、どうやらそれはお見通しだったようで「元からこの顔だよ」と先手を打たれて笑った。
「じゃあ本格的に始めようか。――由良の脱出計画ってやつを」




