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第15話

 聖が穂波さんの家に運ばれてから三日が経った。

 その間も彼女の目が覚めることはなく、私は用意された部屋と聖の部屋を往復するだけの日々になっていた。それが私にできる唯一のことだったし、穂波さんが話してくれたように彼女が倒れているにもかかわらず、この家の来訪者はなかった。彼女の言う聖の友人、という人の影響らしく、そのおかげで私の存在も明るみにならずに済んでいる。

 とはいえ、眠り続けている聖がいつ目覚めるかもわからないという漠然とした不安はずっと付き纏って、その不安がせりあがるたびに抑え込むために眠っている聖の手を握ることしかできなかった。

 自分でも憔悴している自覚はある。同時に、私が焦ったところで聖の目覚めが早くなるわけでもないこともまた、理解はしていた。


「……」


 痛々しくいくつも巻かれた包帯を変える手伝いをして、ガーゼを変える穂波さんの背中越しに一瞬だけ見える生傷に目をそらしたくなった。あえて見ないように、と穂波さんが用意した医療器具の方に集中しながら、彼女の言われた通りのことをする。聖を運び込んだ時と同じようなことをする私に、穂波さんはいつも「ほんとに手際いいよねぇ。助手に欲しいくらいだ」などと笑っていたけれど、それが果たしてどこまで本気なのかはわからない。

 今日もそんなルーティンのような処置が終わって、聖の隣に腰かける。目覚めた時に一番に知りたいからと言い出した我儘を聞いてくれた穂波さんに感謝しながら、それでも聖は今日も目覚める気配はない。

 命に別状はない、とは言われているけれど、それにしたってここまで目覚めないと焦燥感が強まるのは仕方がないと思わせてほしい。


「金杉さん、お茶でもどうかな」


 不安に駆られながら彼女の傍で見つめていると、用具をしまった穂波さんが戻ってきて、振り返ると少し胡散臭そうな笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「いえ、せっかくのお誘いですが……」

「そんなに根を詰めても仕方ないだろう。前にも言ったが、今の君を見たら聖だって罪悪感を覚えるだろうし、君はそんな聖の姿を見たいと?」

「そういうわけではありませんが……」

「で、あれば少し息抜きをした方がいい。――それにね、この後客人が来るんだ」


 穂波さんの一言に、身体がこわばる。一気に緊張感が増した私に、彼女は笑みを絶やさず続けた。


「あぁ、心配はいらないよ。今日来るのは聖の友人たちだから」

「ご友人、ですか……」

「そっ。前にも言った、聖がここにいることをごまかしてくれるっていう、とても機転の利く友人たちさ。それこそ、君にもちゃんと紹介しておいた方がいいと思ってね」

「……それは、むしろその人たちに私の存在を知っておくべきだから、ということでは?」


 じ、っと見る私に穂波さんはまいったね、と笑う。どうやら私の予想は当たっていたらしい。


「その線はもちろんあるけれど、金杉さんにとっても悪いことばかりじゃないだろう」

「それはまたなんで」

「聖はもともと自分に都合の悪いことは隠す癖がある。病気のこともそうだけど、普段の生活なんかも、君が知っている姿が全てではないだろう?」

「それは……そうですけど」


 事実、私が知る聖の情報なんてきっと氷山の一角に過ぎない。病気のことも、そのほかのことだって。すべてを知る必要はないにせよ、彼女を支えたい、という気持ちに嘘はないのだから、知っていても損しない、というのは彼女の言う通りだ。


「だから、聖がちょうど寝てる間に紹介しようと思ってね。なに、こいつが目を覚ましたらきっと会わせてもらえないよ? そうなったら金杉さんの必要な情報を受け取るタイミングはなくなってしまうわけだ」

「……」

「そんな斜に構えることもない。それに、聖の組織の人間ではなく、あくまでも外部の人間だからね。立場としては君と大差ないってわけさ」


 どこまで信用していいのか、と疑いの目を向ける私だったが――間もなくインターホンが鳴った。どうやら裏口からではなく、表のインターホンのようで、穂波さんはその音を聞いてきたみたいだ、と私に向かって笑いかける。


「この様子じゃ聖はまだ当分起きないよ。少しの息抜きに君も付き合ってくれたまえ」

「……はい」


 不服ではあったけれど、これ以上聞いたところでのらりくらりと交わされるだけだろうし、その間にも外で待っている客人たちを待たせてしまうのも事実だった。

 私がするべきことなんて、穂波さんからしたら始めから決まっていたようなものなのだろう。白衣を翻して部屋を出て行く穂波さんの痕を追うように、腰を上げて玄関先の方へと向かうのであった。


***


「金杉さんはリビングで待ってて」


 そう言い残された私は、身体の緊張が高まっていくのを感じる。どんな人なのかも、聖との関係性も、何も知らない私ができることは何もない。ただ、玄関先で一緒に出迎えるのも違う気もするし、だからといってここから逃げ出すのも違う気がする。

 それに、穂波さんの言う通り、私の知らない聖の一面を知ることのできるチャンスでもある。そんなチャンスをみすみす見過ごしてしまうのはもったいない気もして。


「やぁ待たせたね」


 そんなまとまらない思考を回していると、穂波さんがやってきた。表情の読めない笑顔を向けた彼女の背後に、二人の影が見えて、穂波さんもその影の正体を見せるように少し身体をずらしてその全貌を見せてくれた。


「紹介するね。彼女が金杉由良さん。訳あってここに来てもらっている」


 二人の女性は私の紹介を聞くなり、大きく目を見開いた人と小首をかしげながらどうも、と挨拶する人とで分かれた。驚いた表情を見せた女性は黒いマスク越しにでもわかるほど驚いていたようで、薄みがかった赤い瞳を大きく見開いていた。灰色の髪の中、前髪の一部だけが黒に染まっているのが特徴的で、少し寄れたパーカーにジーンズとどこからどう見ても一般の人である。強いて言うのなら一般的過ぎて目立たない、という印象を覚えるのが逆に印象づいてしまう程に、彼女の気配の特徴はない。一方で挨拶をしてくれた女性は藍色の短い髪を靡かせて、愛嬌のある人だと思った。どことなく空気が凛としていて、一般人だというには印象に残るような、そんな佇まいをしている人だ。


「始めまして、金杉由良と申します」

「ど、どうも……」

「はじめまして。聖ちゃん連れてきたっていう人?」

「そうそう。いやぁ、驚いたよね。合図も知ってたからかなり疑ってしまったよ」

「へぇー……」


 藍色の女性が穂波さんと話をして、彼女の視線がこちらに刺さる。疑念のようなそれは、聖を知っている人間であるならその反応が正しいだろう。とはいえ、好奇の視線に晒されるのはやはり慣れず、どう返事をしたものかと考えながら愛想笑いを返した。


「はてさて、金杉さんにも紹介しよう。こちらの小さい方……マスクの人の方だね。彼女は轟琴音さん。聖の一つ下の、高校時代の後輩さんだったね」

「え、えぇ……初めまして、轟琴音と申します」

「琴音は優秀な記者さんだ。いろんな業界の、色んな事を知ってる知識人だね」


 穂波さんの紹介に轟さんは不服そうな表情で穂波さんの方を見やる。そんなものじゃないです、とマスク越しに呟いていたのが聞こえたが、きっとそれについては深堀しない方がいいのだろう。


「それと、こっちが麻倉香奈子さん。琴音と同い年で、聖とは小さい頃からの間柄、所謂幼馴染ってやつだね」

「はじめまして、麻倉香奈子です。あんまり見られないんだけど、これでも医者の端くれです」

「ご冗談を。精神科医、って言う分野においては結構色んな論文出してただろう君は」


 藍色の女性――麻倉さんは私のことをじっと見やってからにこりと微笑まれた。どういう意図のものなのかは定かではないけれど、好機の目にさらされているのは間違いないだろう。少し居心地が悪いけれど、それも仕方がないことだと自分に言い聞かせる。


「香奈子と琴音は聖の病気についても知っているし、普段から定期的に聖とも会っているそうだし、金杉さんも似たようなものだからね、これからきっと交流も持った方がお互いのためになると思って、紹介させていただいたってわけさ」

「……あの、金杉さんと先輩って、どういう経緯のお知り合いで……」


 少しためらいがちな質問に、私は思わず苦笑いを浮かべる。どう話したらいいか、と言葉に詰まっていると穂波さんは私に向かって笑顔を向けて「素直に話して大丈夫」というものだから、もういっそそうした方が気も楽になる、ということなのだろう。


「そうね……聖の愛人、っていう表現が多分正しいと思うわ」


 改めて口にして、聖との関係性を明確にしてしまった。対外的に見ればその関係が一番しっくりきたし、細かい説明すると長くなってしまうから、これくらいが妥当だろう。

 私の一言に、二人はそれぞれ驚きの声を上げた。そりゃ当然よね、と心の中で思いながら苦笑いを崩さないでいたけれど、その驚きは一瞬で次にはそうねぇ、と麻倉さんは笑った。


「なんか納得かも。最近の聖ちゃん、どことなく空気柔らかくなった気がするし。なんとなしに最近のこと聞いてもはぐらかしてたけど、そういうことだったのねぇ」

「まぁ……先輩のことですから、あんまり公にしたくないんでしょうね」


 轟さんも同じように頷いていて、仮にも愛人と言う立場の人間を前にした様子には思えなかった。なんなら早々に受け入れられて、こちらの方が驚いているくらいだった。


「相変わらず察しが早くて助かるよ君たちは。大体思っている通りだし、お互いの情報交換する、って意味ではぴったりだと思ったんだけど」

「それにしても、愛人、ですか」

「愛人とはまた……聖ちゃんも隅に置けないんだから」


 私と言う存在を前に、彼女たちの空気は変わらない。受け入れられた気もするし、まだ疑われている最中なのかもしれないけれど、最初の印象としてはきっと悪くない。明確な根拠こそないけれど、直感でそんな気がした。


「ひとまずまぁ、お茶を入れよう。お互い、いろんな話を聞きたいだろうしね」


 そう言ってキッチンの方へと姿を消した穂波さんお背中を見送って、麻倉さんはじゃあ、と持ってきていた茶菓子をあける支度を始めていて、自然な流れにどうしていいか悩んでいる私に轟さんが近づいてきて恐る恐る、なんて言葉がぴったりな様子で私に囁いた。


「あの……間違っていなかったら失礼とは思うのですが」

「なぁに?」

「……財閥のお嬢様と、同姓同名だな、と思いまして、その、」


 麻倉さんの聞こえないように聞いてきた彼女に、にこりと微笑み返して。


「よく知ってるのね。知識人、って言うのは本当みたい」

「……そう、ですか」


 マスク越しにも分かるくらい顔をひきつらせた轟さんは、なんだか可愛らしい人だなと笑ってしまった。

 系統の違う二人だけれど、だからこそ私の知らない聖の姿を見ているのだろう。幼馴染という麻倉さんからは、聖の幼い頃の話なんかも聞けるかもしれないし、轟さんは先輩としての聖の話も聞けるかもしれない。

 少しだけ気晴らしにはなりそうね、なんて考える私は果たして場違いだろうか。

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