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第14話

 自分の身体は思ったより正直で、穂波さんに連れてこられたベッドで休ませてもらうことになってから眠りにつくのは一瞬のことだったと思う。その間も夢を見る暇もないほどぐっすり眠っていたようで、次に目を覚ましたら外は夕暮れ時。思わず時計を見て声を出してしまい、それほどまでに自分はつかれていたのだと実感させられてしまった。

 非日常な空間だった。大量の血痕も、いくつも散らばる死体も。愛してしまった大切な人が死の淵に立たされることも。どれをとっても間違いなく非日常的で、私があの日聖に声をかけて関係を作らなければ見ることもなかったであろう景色たちばかりだった。

 だけど、きっと聖にとってあれらは日常的なこと。組長自身が手を下すことは稀かもしれないが、彼女がそこまでの地位になるまでは日常的に行われていたことだったと、あの手馴れた様子を見れば嫌でも理解してしまう。

 そんな世界の片鱗を見たのだから、私の心が疲弊するのは当然の結果であり、こんな時間になるまで眠り続けるのも納得の理由だ。


「……」


 とはいえ、こんなところで眠ってるばかりではいられない。身体は少しだるさは残るものの、まったく動けないほどではない。頭も幾分かすっきりしたし、そうともなれば次に浮かんだのは別室で処置を施された聖の安否だ。


「やぁ金杉さん。お目覚めのようだね」


 ベッドから降りて聖の部屋に向かおうとした時、見計らったように扉が開かれると赤い髪をくくって気怠そうな表情の穂波さんが入ってきた。白衣のポケットに手を突っ込んでいる姿と不健康そうな顔色はなんだかマッドサイエンティストのような風貌に見えるけれど、立派な医者だという。


「おはようございます……って時間でもありませんか」

「うむ。残念ながらそろそろ夕方だ。半日近く眠っていたようだね」

「……少し、自分でも驚いています」

「ははっ、そりゃあんな聖の様子見たら驚くし、そこに至るまでも相当なことがあったのは考えなくたって分かるさ。それを全く見慣れていない金杉さんのような人が見ればそうなるのだって納得だ」


 話をしながらじっと私のことを見る。何か、と言いかけたら大丈夫そうだ、と穂波さんは笑った。


「とはいえ、君も案外肝が据わっているようだ。顔色も決して悪くないし、フラッシュバックのような症状もない。多少気分は悪いかもしれないが、心身に影響は多くなさそうだ」

「見ただけで分かるものなんですか?」

「多少はね。正確に診断しようとすると時間はかかるけれど、こういうところでの様子で私がするべきことは変わってくるし、そういうのはある程度でいいのさ。どうせ私が対応するんだからね」


 そう言って笑う穂波さんの目には、多少の面倒さはあれど医者として真っ当に対応する姿勢が感じられる。少ししか話をしていないけれど、きっと嘘はついていないだろうと思えた。


「それで、聖は」

「ん? あぁ、聖ならまだ寝てるよ。あんな大怪我した状態で大暴れしたんだ、こんなすぐ起きてくることはないよ。容体は安定してるし、眠る前にも言ったけどあとは聖が起きるのを気長に待つだけだね」

「でもそれって、家の方々が心配なさるんじゃ」


 ふいに浮かんだのは、聖の家のことだ。彼女が家主であり、大きな組の組長が倒れて数日寝たきりなんて話を知ったら飛んできそうな気もするし、そこに私がいたら話もややこしくなりそうだというのはよく考えなくてもわかること。聖のことだから私の存在は誰にも言っていないのだろうし、彼女の知らないところで私のことを知られるのはきっと都合が悪い。そうでなくても、組長が倒れているなんて組にとっても重大なことだと、他人事の私でさえすぐに浮かんだ。

 だけど穂波さんは私の不安を一蹴するように笑って見せた。


「その辺はね、上手いこと言いくるめてくれる頼もしい友人が聖にはついてるんで大丈夫」

「ご友人……?」

「そう。それにそもそも聖がうちに通ってることを知ってる人の方が少ないよ。私も聖がここにいるときは他の客を入れないようにしてるし、不在の理由なんていくらでもでっち上げられるからね」


 なんて言って笑う彼女に、思わず苦笑いを帰すことしかできなかった。


「そもそも聖がここに通っている、って時点で大分怪しく見えちゃうでしょ。定期的に病院に通うなんて、ってさ」

「……ご病気、なんですっけ」

「あー……忘れてくれてなかった?」

「もちろんです。そんな大事なこと、忘れるほうがおかしいです」


 そう。眠る前に彼女が私に紹介してくれた時に漏らしたことが気がかりでもあった。

――こいつの病気の研究も合わせてやってるよ。

 あの時ははぐらかされたけれど、そんな簡単に忘れていい話じゃない。じっと穂波さんの方を見て続きを迫ったが、彼女は読めない笑顔でごまかすばかり。


「さっきも言ったろ? それは私からじゃなく、聖本人から聞くべきだって」

「でも、聖が話してくれるかどうかなんて確証はどこにもない。隠されたままの可能性だってあるんです」

「そうは思えないけどね」

「何の確証もないでしょう? ――妾なんですから、所詮は」


 私はあくまでも隠された存在。多少なりとも好意は感じたとしても、聖が私のことをどう思っているのかもわからないし、彼女にとって都合の悪いことを教えてくれる保証はどこにもない。

 皮肉を込めた一言に穂波さんは少し考えてからそうだねぇ、と呟くように言葉をつづけた。


「これでも聖は子供のころから診ていてね。病気になったのはここ最近だけど、それまでのあいつを見ていた立場としては、きっと話すと思うんだ。――聖はね、弱いから」

「聖が、弱い……」

「そう。そしてきっと金杉さんのことだから、そこにうすうす気づいているんじゃないかい?」


 穂波さんの言葉に、沈黙する。彼女に見透かされたような気がして言葉に詰まっていると、穂波さんは笑って話した。


「元来弱虫で泣き虫なんだよ、聖はさ。それを周りの人たちの助力があって、そこに日々感謝しながらあの立場の人間として、正しく先頭に立っている。そういう弱い部分はなるべく人に見せないように立ち回って、何とかやってきてる、って話さ」

「……」

「それを一番支えていたのが、去年死んじまったわけだけど」


 穂波さんの表情が少しだけ曇る。それはどこかやるせなさを感じて、彼女の言葉の続きを待つように黙り込んでいると、観念したのかぽつぽつと続きを話してくれた。


「聖にとって本当の姉妹みたいなやつでね。厳密にいえば養子なんだけど、周りから見て姉妹って言われても何の違和感もないくらい、仲が良かったんだ。喧嘩もそりゃしょっちゅうしてたけど、ああいう世界じゃむしろ喧嘩するほど仲がいい、って言うのの典型例だったね。聖もそいつ――要、って言うんだけど、要のことを強く信頼してたし、要も聖以外の相棒なんていないって豪語してたくらいだからね」


 要、という言葉に若干の既視感があったが、それを上手く引き出せなかった。それ以上に聖の昔話に夢中になっていたのだろうと後になってから思ったが。


「ちっちゃいころからずっと一緒に過ごしてたからさ、要は聖が強くないことを知ってたんだ。だから、聖の弱いところは要がカバーして、聖が最大限活きるように立ち回ってたし、要の弱いところは聖がカバーして、って感じで二人三脚だったってわけ」

「……」

「だけどそんな要だけど、死んじまったって話さ」


 簡単に話す穂波さんに、私は思わず言葉を返せなかった。きっと何か言うべきなのかもしれないけれど、それらがうまく言葉にならなくて、彼女の方を見ることしかできなくて。


「だから聖は今、独りで全部を背負ってる。組のことも、聖自身の心の傷も。弱いくせに不器用なもんだから、必要以上に他人に頼るのが苦手で、病気のことをほとんど人に言わないのだってそういうのが要因なんだ。まぁそれに、でたらめに明確な彼女の欠点である病気のことを周囲の人に吹聴するのは得策ではない、っていうのは聖自身もわかってることだとは思うけどね」


 自分のモノクルのレンズを拭いて、視線を落として、これで話は終わりと言外に伝えられた。これ以上の話は本人に聞け、と言われた気がして私もそれ以上のことを穂波さんに聞きだそうとは思えなかった。

 聖と出会った時にぽつり、と話していた人。彼女が憎悪の感情のままに殴り殺し、それでもやるせない気持ちと戻らない後悔を浮かべた表情から、私は確かに哀しみを感じた。

 ――疲れるでしょう? 一人で戦うのは。

 出会ったあの夜、私が確かに彼女に伝えた言葉。穂波さんの話を聞いて、あの時自分が聖に投げた言葉は、意味は、感覚は間違ってなかったと答え合わせができてしまった。


「……さて、これから聖の様子を見に行こうと思うんだけど、金杉さんも来るかい?」

「はい、もちろんです」


 話題を切り替えるように、というわけではないが彼女の誘いに乗ることにする。

 私の中で彼女への気持ちは明確なものになったけれど、だからといってこの現実が何か変わるわけじゃない。暴力団の組長である聖の立場も、金杉財閥の令嬢という肩書を持つ私も。何一つとして解決していない現状に嫌気もさすけれど、それを理由に立ち止まってばかりもいられない。

 どれだけ望んでも、時間だけは平等で残酷にもすぎるだけなのだから。

 ならば、立ち止まるばかりではなく、私の足も一歩を踏み出さなくちゃいけない。



 穂波さんに連れられて聖の病室につけば、最後に見た時と同じように安静に眠っている。起きる気配もなければ病状が悪化するような様子も見られない。規則正しく上下する胸にほっとして、だけど目の開かない様子には不安も募る。


「あの、穂波さん」

「ん? なんだい?」


 後悔か、罪悪感か、それとも。

 私の感情にうまく名前を付けられないまま、だけどこれはしないといけないと思ったから。


「聖の目が覚めるまで、ここに居させてくれませんか」


 私の提案に穂波さんは一瞬目を見開いて、それから少し険しそうな顔に変わる。


「……医者としては正直、それを推奨することはできない。君は手際もいいし、手伝ってくれるのであればそれはすごく助かることだけどね。でも、今の君の心身のことを踏まえると、ね」

「だったとしても、このまま待っているだけなのは、」

「焦ることはないよ。ただまぁ、そうだなぁ……」


 彼女を困らせているな、とは思う。自分勝手で身勝手で、お医者様の邪魔さえしようとしている自分の行動を、普段の、冷静な私だったらそんなことを提案することなんてなかっただろう。

 だけど今は、どうしてもここから離れたくなくて。

 じっと、黙って穂波さんの方を見る。彼女に何を言われるか、断られても折れたくないという意思を込めた視線は――どうやら穂波さんにも届いたようだった。


「わかった。わかったからそんな目でこっちを見るんじゃない。……君の体調が悪くなるのなら取りやめる。あと、きちんと就寝時間にはさっきの部屋で眠ること。あとはまぁ、少し手伝ってもらうこともあるだろうから、それは手伝ってもらえると助かるね」

「ありがとう、ございます」


 頭を下げればこまったように笑う穂波さんの声が降ってくる。彼女の考えはすべてわかるわけじゃないが、聖の傍にいられることは素直に喜ばしいことだ。


「とんだじゃじゃ馬さんだ。聖も素敵な人に出会ったね」

「そう思ってもらえているといいんですけどね」

「思ってるさ。そうじゃなかったら庇うなんて真似はできないよ」


 それじゃあね、と去っていく穂波さんの背中を見送って、眠る聖の方へと振り返る。

 苦しそうな様子はない。本当にただ眠っているだけで、早く目が覚めてほしいと願うのは私のエゴだ。


「……ごめんね」


 手を取ってぽつり、と呟いた謝罪は、彼女の耳にも誰に耳にも届かない。

 でも、今の私にできるのはそれだけしかなかった。


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