第13話
速度はゆっくりと上がり、するりするりと小道を通り抜けていく。しかし後部座席への衝撃はほとんどなく、至極快適な運転技術だと関心までしてしまった。おかげで隣で横たわる聖への衝撃もかなり緩和されているようで、浅くはあるが規則的な呼吸に胸が上下している。
「あの、あなたは」
恐る恐る、口を開く。今までの手際の良さと事情の把握能力は只者では無いことは明らかで、この様子から敵対的では無いことはわかるけれど、それ以上のことは何も分からない。どこまで事情を知っていて、何を話せばいいのかも分からない。
「ただのお得意さんです」
「それにしても、あんな血だらけな人みて平然としてらっしゃるから」
「動揺はしてますよ。ただ、それどころじゃないでしょ」
「どうしてこうなったとか、聞かないんですか?」
「聞いたところで私がわかる話じゃないでしょ。大方織田さんの組の問題でしょうし」
「……そこまで、ご存知なんですね」
私の質問に淡々と答える彼女は運転席から一瞬たりともこちらを見ることはない。まるでそんな仕草は慣れたものだと言わんばかりで、彼女自身のことが、何も分からない。
私の困惑を知ってか知らずか、目の前の運転手は視線ひとつ寄越さず――いや、バックミラー越しに目を合わせてから、呟くように言った。
「織田さんの病院の送迎をしてるだけの、ただのタクシー運転手ですよ」
そうとだけいい放ち、それ以上の言葉は不要と言わんばかりに黙り込んだ。まるでこれもタクシー運転手の仕事だと割り切ったように。
「……あの、この事は」
「言いませんよ。面倒臭い」
「そう、ですか……」
彼女のそれは果たして本音か、それとも気遣いからなのか。その真実を曇らせるような突き放す言い方は、しかしなんとなく後者なような気がした。
「……なんですか、こっちみてニヤついて」
「すみません。お優しいなと思って、つい」
「いつも良くしてくれる客が死にそうになってるとこみたら誰でも助けるでしょ」
「それもそうですけど……私の事、聞かないんだなって」
彼女を、織田聖という人物を知っているのなら、私のことは気になってもおかしな話ではない。自分でもやや自意識過剰だとは思うが、現に今回私は彼女の弱点として人質に取られたばかりだから、そう考えてしまうのは自然の成り行きとも言える。
しかし、目の前のその人は私に関しては一切触れてこないから。それをやさしさと呼ばず、なんと呼ぶのだろう。
「客のプライベートは、こっちから聞くもんじゃないです。向こうから勝手にペラペラ喋ってくるのを聞くだけなんで。……あと織田さんにあなたのことを話さないのは、あなたのプライベートを他の客に話す必要もないからですよ」
「……そう、ですか」
沈黙の時間。聞こえてくるのは可能な限り急ぐエンジン音だけで、私たちはただそれに揺られながら、隣の彼女が助かって欲しいと願うことだけだった。
***
「着きましたよ」
時間は分からないが、日も沈み静けさが世界を支配する時間。声をかけられて顔を上げて辺りを見回し――首を傾げた。
「ここ、住宅街……?」
一言で言えば、閑静な住宅街。その外れとも言える場所で止まっていた車は、しかしそこが目的地だと運転手の視線は訴える。
「そこ、裏口です。表だとなんの意味もないらしいんで」
「えっ……?」
「あー……っと、」
上手い言葉を探そうと唸る彼女。刻一刻と時間は迫っていることを思ってか、簡潔に告げられた。
「ノック三回、呼び鈴二回。織田さんはいつも降りてからそうされてます。多分何かの合図だとは思うので、それ試してみてください」
そうとだけ言うと運転席から降りて聖を下ろすのを何も言わずに手伝ってくれようとしてくれるみたいで、後部座席のドアを開けてくれた。慌てて下ろす準備を整えて、ゆっくり聖の身体を車から私の肩へと移し替える。
「それじゃあ、私はこの辺で。もう帰るんで」
「あの、お礼……!」
「あー、いいっすよ別に。いつも良くしてもらってるんで、その人には」
「でも流石にここまでしてもらって、私の気が済みませんから。その……」
ここまで食い下がってようやく、目の前のその人は少し考える素振りをして――徐にポケットの財布から一枚の名刺を取りだした。
「私の名刺です。これからも贔屓にしてくれれば、それで十分です」
名刺に書かれた名前――金森瑞樹さんは、ぶっきらぼうにそう答えてから足早に車の方へと戻っていく。まるでこれ以上は不要だと言わんばかりの態度は、一見すれば無愛想だがその実きっと、優しい心の持ち主なのだろう。
だって、聖が気に入る人なのだから。
「ありがとうございます、金森さん」
住宅街を縫うように抜けていく車を見送りながら呟いて。しかしこれはあまり時間が無いことを思い出す。
ある程度止血はされているとはいえ、弾丸は彼女の体に残ったままだし、傷だって塞がったわけじゃない。聖が命の危機なことには変わりなく、金森さんがここまで連れてきてくれたのを無駄にしたくはない。
彼女が教えてくれたように、目の前の勝手口のようなドアにノックを三回し、横にあった簡易的な呼び鈴を二回鳴らす。間違っていたらどうしよう――と考える間もなく、その扉はあっさりと開いた。
「なんだ聖、こんな夜遅くに来るなんて。なんかあったか――」
欠伸混じりの返事は、最後まで紡がれることはなかった。血だらけでぐったりしてる聖と、その肩を持つ私と目が合ったからだ。
「……とりあえず中入りな。処置するから」
「ありがとう、ございます」
状況を把握したのか、辺りに人がいないことを確認してから私たちを招き入れる。その所作はあまりにも手慣れていて、一度や二度の経験では無いのだろうと言うのはすぐにわかった。
「ここ、は……」
中に入れば、そこはただの家と言うにはあまりにも異質な空間だった。
並べられた棚には薬品瓶が多数置かれ、目の前には診察台と思わしき簡易ベッドに診察用の椅子もある。奥の方へ少し目をこらせばカルテと思わしき書類の数々がきっちりと並んでいた。
そう。それはまさに診療所と言うにふさわしい。
「ほら、聖をこっちに」
「あっ、はい!」
彼女に言われるがまま聖をベッドに降ろす。うっ、と呻き声をあげたことに申し訳ない気持ちになりながら、まだ息があることに少し安堵してしまう。
「あー……こりゃまた随分派手にまぁ……」
止血のために括っていたジャケットを外した彼女は、その傷口に苦笑いを浮かべていた。
「私の、せいなんです。私のせいで、聖が」
「その辺の話は後で聞くから。とりあえず治療するよ。手伝って」
傷口から目を離さず、治療法を探る視線は医師そのもの。彼女の言葉に強く頷き、指示の通りに動いた。時折辛そうに唇を噛み締める聖の苦悶の表情や医師の険しそうな顔に心を痛めながら、そんなことを考えている場合ではないと自分に強く、言い聞かせながら。
「……っと、こんなもんか」
最後の糸をパチン、と切る音と共に呟いた彼女は、やりきったと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「久しぶりの大手術だったよ。相当暴れたでしょこいつ」
「え、えぇ……」
「それにしても初期処置がよかった。弾丸なんて入ってたら普通は抜こうとするもんだが、取っちまったら傷開いて大抵は失血死だ。こういうのは圧迫止血して、こういう整った設備のある場所で適切な処置がベストアンサー。だからあんたがやったことは大正解ってわけ」
ペチペチ聖の頬を叩きながら告げるその人は、医師という見た目半分、どこか友人めいた空気も感じた。
「とりあえずあとはこいつが自力で目を覚ますのを待つだけとして……さて」
そんな私を知ってか知らずか、目の前の彼女は聖を一瞥してから改まった表情で私の方へと視線を向ける。そこには疑心と興味を綯い交ぜにしたような、お世辞にも居心地のよいものとは思えない視線だった。
「ここをどうして君は知っている? あの合図は聖用のものだし、聖がおいそれと人に教えるようなものじゃない。ここの存在も、あの合図も知るものは私は全員の顔と名前を覚えている。――しかし君は、そのどれにも当てはまらない。他言無用としているはずのそれを、部外者である君がなぜ知っている」
それは、明らかな不審。当然とも呼べるそれは、私へと向けられている。彼女の言うことはもっともだし、私が彼女にとって不審者であることもまた事実だ。
その視線を受けて私は、ゆっくりと深呼吸を一つして。なるべくぎこちないような笑顔を浮かべた。
「心優しい運転手さんが、ここを教えてくれたんです。合図もまた、彼女から」
「運転手……?」
「聖をよくここに送迎してくださってるそうですよ。合図はその時に見た、と」
「……なるほど、ある程度の合点が行った。あれもそこそこ目敏いな」
少し考える素振りをしてから何度化頷く彼女だが、油断はまだできない。そのくらい頭が回らないわけじゃない。
「では質問を少し変えよう。――君は聖のなんだい?」
思わぬ質問に目を見開く。目の前の彼女の視線はまだ、変わらない。
「随分直球な質問ですね。もう少し周りくどく聞かれると思いましたが」
「君のようなタイプはこちらの質問の意図を理解した上で煙に巻く。そして私はそういうのが苦手なのでね、いっそ直球の方が話が早いわけだ」
「合理的な考えですね。その通りかと」
「そうだろう? で、君の答えを聞こう」
じっとりと、上から下まで品定めでもするような視線。お世辞にも気分のいいものとは言えないが、不審者というレッテルを貼られている以上いたし方がないと目を閉じた。
「ただの出資者です。聖さんとは不思議な縁で繋がって」
「ただの出資者がまずここを訪れるような事になるのはよっぽどだろう。それに、こいつがそう簡単に心を許すはずがない。――そう、例えば君を庇って弾丸を受ける、なんてことはね」
視線を一瞬だけ聖の方へ向けてから、私の方へと再び視線を戻される。
「なーに、君の身元なんて少し調べればある程度は出てくるさ。ならばきちんと、私の意図を読み取った上での答えが欲しいねぇ」
「……凄いですね。さすがお医者様と言うべきでしょうか」
「なに、弾丸の方向や君の必死な処置への協力と表情を見ればある程度の予測は着く。その答え合わせをね、したいだけなのさ」
彼女の赤い髪が揺れる。モノクル越しに見つめる視線は、少しづつ変わっているような気もする。警戒を解きつつあるような、しかし核心を逃さない眼。
降参ね、と私は両手をゆっくりとあげた。
「ご明察ですドクター。改めまして、金杉由良と申します。聖とは出資者という立場なことは確かですが、それ以上の関係です」
「ふむ」
「――私は聖を、愛しています」
誰にもうちあけてこなかった真実。それは彼女への足枷にしかならない、弱い自分を彼女に伝えてはならないと心に決めたことだった。
「少なからず、彼女も私への好意はあると思います。きっと聖も、私の想いには目を背けられない部分も多いかと思います。しかしながら、互いに思いは伝えることはしていません」
「……」
「聖が伝えないのはおそらく、私を案じてのことです。今回聖がこのようになってしまったのは、私が彼女の弱みになってしまった結果なのですから」
全て自分が起因だった。彼女がひた隠しにしてくれていた存在がどこからか漏れてしまって、そのせいで今回のことになってしまった。そもそも私がここまで肩入れしなければ起きなかったであろうこの事態も、強く理解している。
「私が伝えないのは――聖をこれ以上苦しめたくないから、というエゴですね」
苦く、どうしようもない感情。何か一つでも違えば甘いはずだったそれも、私たちにとっては毒のような苦味しか持たない愚かな果実。
「彼女は私の存在をこれからも隠すでしょうし、私もそれを甘んじて受け入れます。誰にも知られなくていい、こんな思いは、特に」
「……なるほどなるほど。全て合点が行った。ご協力感謝するよ」
彼女はゆるりと微笑んで、首を何度も縦に振る。何かを噛み締めるようなそれを、私はただ見つめることしか出来なかった。
「まぁつまるところ、聖の隠された妾ってとこか?」
「妾……いい表現ですね。その通りかと」
「こりゃたまげた。聖にもそんな奴ができるなんてな」
嬉しそうに笑う彼女は自分の疑問を払拭したのか、ようやく笑みをこちらに向けた。
「自己紹介遅くなってすまないね。私は布施穂波――聖のかかりつけ医、ってところだ」
モノクル越しの笑顔は先程よりもずっと自然体で、それでいてどこか不気味さも持ち合わせる不思議な感覚があった。
「あぁあと、こいつの病気の研究も合わせてやってるよ」
「病気……?」
「ん? もしかして聞いてない?」
突然の言葉に、聞き返しては固まってしまう。そんな素振り、どこにもなかった。あくまでもいつも通り、気丈に振る舞う彼女の笑顔が頭を過ぎる。
「……言ってないのかよ。こりゃ参ったな」
「教えてください」
「…………いや、それはあいつの口から聞きな。あんただったらちゃんと話してくれるよ」
そう言ってはぐらかされてしまえばそれ以上私が聞けないことを分かっていたのだろう。私もまた白旗をあげることしか出来なかった。
「そうかそうか。これは加奈子ちゃんや琴音ちゃんにも報告だなぁ」
「あ、あの……」
「ん? ――あぁ、安心しなって。聖には上手いこと黙っとく。それに由良さんだって聖周りのこと知らないと、何かあった時に対応できないだろ?」
にんまり上がる口角はもはや先程までの疑いや不信などどこにも見当たらない。もはや新しいおもちゃでも見つけたような、そんな顔だった。
「加奈子ちゃんも琴音ちゃんも、その辺は事情分かれば黙っとくだろうし、話も上手いこと合わせてくれるよ。頭の回転が速いもんだから、その辺の言い訳までセットでね」
「……ふふ、それはいいかもしれませんね」
小さな笑みが浮かんで、ようやく肩の荷がおりた気がする。
ずっと溜め込んでいたそれは、紛うことなき彼女への秘密と思い。墓場まで持っていく覚悟だったそれを、思いもよらぬ形で話すことになるなんて夢にも思わなかった。
怪我の功名、とはよく言ったものだがまさにその通りだと思わずにはいられない。
「どうせこいつはしばらく起きないし、君もまだ本調子ではないだろう? 少し休むといい。あの二人が来たら紹介しよう」
「……いや、聖が起きるかもしれませんし」
「聖のこともそうだが、それ以上に自分のことを少しは省みたまえ。こいつが目を覚ました時にやつれた顔でも見せたいか?」
そう言われて、ようやく自分の身体が思いのほか疲れ切っていたことに気付かされる。ふらりと傾いた身体が何よりもものがたり、言わんこっちゃないと穂波さんには笑われる始末だ。
「ひとまず隣の部屋に案内しよう。まずは自分が回復してから、聖のことも考えてくれ」
「……ご迷惑をおかけします」
「ハッハッ、面白い話を聞かせて貰えただけでお釣りが来るさ。それくらいはお易い御用だよ」
案内されたベッドに横たわると、ずっと張り詰めていた気がす、っと切れたように自分の意識が遠のいた。
安堵が、思いが、象る。
この思いは決して実るものではないけれど、貴女の傍にいたいから。
弱い私を、これからもどうか隣にいさせて欲しいと囁かに願った。




