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第12話

 目の前で彼女がどんどん冷たさを帯びていく。人であったはずの気配が少しずつなくなり、今にもこの手の中から消えてしまいそうな、そんな悪寒。


「嫌……死なないで、お願い……」


 そんな中、私はただこの人を抱きしめて、少しでも体温を分けたかった。腹部からの出血を少しでも留めたかった。

 馬鹿な人。私なんかのために命を張って、微笑んでから気を失うなんて。まるでそんなのその先の想像を嫌でもさせてしまうし、私がそれを見て何も思わない人だと思っているのだろうか。

 もしそうだとしたら、目が覚めたら存分に叱ってやらなきゃいけない。そんな薄情な人間だと思われていたなんてと言い返してやらなきゃいけない。

――だからお願い、こんなところで死なないで。

 そんなことを考えながら目の前の聖を抱きしめていること少し。静まり返ったはずの瓦礫の外側から再び音がする。何人もの人が動く気配がして、途端に私の体に緊張が走る。

 増援だろうか。もし彼らが今、この状態で自分たちが発見されてしまえば最後、きっともう二人とも助からないだろう。

 ほかの応援だろうか。いや、聖が私のいるところで自分の仲間を呼ぶのは考えにくい。特に自分の家族たちに私の紹介を渋る彼女は、ここに織田の人を呼ぶことには至らない。

 それじゃあ一体、誰が来たのだ――


「ひ、ぃ……」

「あー……聖が言ってた生き残りってコイツか。随分ボロボロだけどまぁ、生きてるしいっか」


 声だけが聞こえる。どうやら先程聖が呼んだ人達のようで、声にならない声を上げる人はもはや言葉もままならないようだ。


「橡さん、外のは片付けて回収しました」

「おーおつかれ。これもよろしく」

「了解です」


 業務連絡のように恙無く済んでいく。ずるずると運ばれる音が何を表すのか、考えても仕方がないと思いつつ本能的に体が震えた。

 目の前の意識を失った彼女は、そんな危険や恐怖から私を逸らしてくれていたのだと気がついて、抱きしめる力がさらに強くなる。


「あっとはここの死体……ってマジ、派手にやってんなぁ」

「織田さん、かなり大荒れだったみたいですね」

「こんなん主、なんに使うってんだよ……」

「さぁ……? とりあえず回収が目的ですから、やりましょうか」

「おー」


 やたら間伸びする声だが、音だけ聞けばてきぱきと進んでいる。抵抗する者もいなければ、そもそも生きている人間がこの場にいたのは一人だけで、その一人が連れて行かれたのだから当然と言えば当然なのだろうけれど。それにしてもあまりの手際の良い音に、私は無意識に聖を抱きしめる腕が震えていた。

 こわい。こわい。このまま、何も知らずに帰ってほしい。

 神に祈るような気持ちだった。息を殺し、目の前の人の命が消えないでと願い、自分たちもここから出る手段をぐるぐると思考をめぐらせる。何も終わってない事実を受け止めながら、一つ一つを片付けようと意識を向けた、その時だった。


「……っ!」


 何かの拍子に、足にかかっていた瓦礫がズレた。微かな音ではあったがズレた音はやけにこの部屋に響いた気がして、思わず息を飲んでしまった。

 そして、ここにいる人がそのささいな音に気が付かないわけがなく。


「おい、まだいんのか」


 足音が近づく。捕まえるべき相手に向けた声色は、ただただ恐怖でしかなかった。


『もっとも、死んだ方がマシと思えるかもしれないが』


 聖の言葉が蘇る。それはきっと言葉通りの意味で、だから怖いと体が震えて仕方がないのだ。そして素性の知られていない私は、連れていかれてもおかしな話はどこにもなくて。

 足音が近づく。逃げられるわけも、手段もない。抵抗できる力もなければ、そんな事をしたら離れた聖の止血はどうしたらいい。


「……女?」


 もうダメか、と諦めて目を閉じた私にかけられた声。それはあまりにも拍子抜けするような声色で、先程まで身構えて閉じていた目をゆっくりと開く。

 男女ともどちらとも取れるような見た目で、私のことをのぞきこんでいる。緑色の髪が特徴的で、私も聖を交互に視線を向けてから、あー、と先程の間伸びした声を上げる。


「え、なに……お前聖の女?」


 困惑を孕んだ声はその疑問を包み隠さず向けられる。下手に言い逃れしようとしても恐らくは無駄だろうし、そんなことをして自分の身を危険に晒すのは懸命とは言えない。

 何より、今聖に守られるように抱かれているのが論より証拠だ。


「……そんな感じ。聖が公にしていないから、秘密にしててくれない? それと、私がここにいたことも秘密にして欲しいの」


 それならばいっそ、こちらから開示してしまう方がいい。秘密を秘密と受け取って、心に留めておいて貰えるだけでいい。それで事が収まってもらえればいいのだけれど……。


「へー。秘密なのか、わかった。……やべ、仕事しねーと主にどやされる。じゃな」


 私の不安などよそに、その人はそれだけ残すと私たちの方から離れていく。合流した仲間たちからの問いかけには曖昧な返事をしていて、秘密だと言うのはどうやら認識して貰えたらしい。そっと胸をなでおろしながら、ゆっくりと呼吸を繰り返した。

 思った以上に緊張していたらしい。早る鼓動を感じて、ゆっくりと落ち着きを取り戻していく。


「……にしてもこの壁、すごいっすね」

「聖が暴れたからだろ。人気のない方の壁に穴開けてるんだし」

「多少脆くなってるとはいえ、これは…… 」


 そんな驚愕とも畏怖とも取れる会話をしながら、徐々にその声は遠くなる。間もなくすれば室内には静寂が訪れ、一時的な安堵がため息となって1つ私の口から零れ落ちた。

 ひとまず、はじめのピンチは逃れたわけだけど、だからと言って問題が解決した訳では無い。むしろここからが、大問題だ。

 目の前の人からは未だ止血の終わらない腹部から血が流れ続けている。呼吸も小さく、浅い。このままにしていては間違いなく死んでしまう。


「貴女がいなくなったら、どうしたらいいのよ……」


 返事のない問いかけをして、自分の動揺を自覚する。普段であればこんな事聞く前に行動に移すというのに、今の私はそこまで追い込まれていたのだろう。

 ゆっくり、深呼吸をする。このままではいけないと自分を鼓舞し、羽織っていたジャケットを脱ぎそのまま彼女の腹部へときつく締める。果たしてこれが正しいのかは定かでは無い。めり込んでいる弾丸を抜いた方がいいのかもしれないが、再出血の可能性が頭をよぎってそれは出来なかった。それに傷を直視できるだけの勇気は、私にはなかったから。

 そしてそのまま、彼女を担ぐ。一回り近く違う身体はどれだけ頑張っても足を引きずる結果となってしまうが、なんとか運び出せそうだ。


――人気のない方に穴を開けた。

――お前はここから逃げろ。


 先程の人達の会話と、聖がこれを作った時の言葉を重ね合わせる。おそらく彼女がこれを作ったのは、人気のない所へ私を逃がすためのもの。自分は人柱として、最期を迎える準備をした、というわけだ。


「そん、なの……許すわけ、ないでしょ」


 担いで、引きずりながら。聞こえないとわかっていながらそれでも言葉を伝えることはやめられない。こんなに肝の冷える思いをさせておいて、自分一人で達成感に浸るなんてそんなことさせてあげない。

 それにもう、自分の選んだ道に後悔はしたくない。

 そんな思いを抱え、一歩、また一歩と少しづつ外への道へ向かう。何があるか分からない不安は常につきまとい、行き止まりだったらどうしよう……と考えていたら風がふきぬける感触が頬を撫でた。どうやら外へ通じているところがあるらしい。

 一縷の望みを視線の先に。上がる息など知らない。体力には自信がある。こんな所で貴女を手放すなど、絶対にあってなるものか。

 そんな思いを込めながら歩けば、ようやく見えてきたのは私の望んだ景色――すなわち外だった。

 さっきの人たちの言っていたとおり、ここは建物の裏手で人気はない。塀もなく、そのまま公道に出ることもできそうな場所で、そこまで計算していたのかと担いでいる彼女に改めて感心してしまう。

 ここに来る時に事前に考えていたのだろうか。そんなことまで勘繰ってしまうが、その答え合わせは彼女が起きた時にすればいい。


「……どうしましょう」


 ここまで出ることは出来たが、逆に言えばここからどうすればいいか分からなかった。

 血だらけの人を見たら、普通の人はまず救急車を呼ぶ。併せて警察への連絡を推奨する人も多いだろう。

 しかし、彼女は一筋縄では行かない。どちらもお世話になるわけにないかないのだ。警察になんて行ったら彼女の先程犯した過ちについての言及は必至で、それは私も望まない。それに彼女自身の立場を考えれば、得策でないことは明らかだ。

 その一件も踏まえ、救急車も難しい。事情を話すとなるとどうしても先程の事案が重なってなかなか上手くいかない。

 こんなことを考えている間も、隣の聖の呼吸は小さくなっている気がする。ひとまず木陰に彼女を座らせてみるが、悠長に考えている余裕はないと言われているようで、さらにそれが私を焦らせていく。

 早く処置はしないと。でもそれを出来る人なんて私は知らない。事情を汲んでくれて、その上でしてくれる人なんて。

 ここまでか、と目の前が真っ暗になりそうになった、その時だった。


「……何してんすか」


 不意に、声がかけられる。いつの間にか俯いていた顔をあげれば、そこには一人の女性が私をじっと見つめていた。

 金色の髪は夜の闇の中でも一際目立つ。つり上がった目と不機嫌な声はそれでも私を見つめ、さっさと質問に答えてと言わんばかりだ。


「別に……なにも、」

「血だらけの人見て何もないはないでしょ」


 彼女に指摘され、自分の体を見る。そこにはべったりと服に血が着いている。おそらく返り血と、聖を抱きしめていた時とここまで連れてきた時にしっかり着いたものだろう。

 そうか、今の自分は周りからはそう見えているのか。


「救急車は」

「……呼べないの。私はピンピンしてるんだけど、」

「……その様子じゃ、警察もダメなんすか」

「えぇ……」


 じっと見つめられるそれに、私はどんどん居心地が悪くなる。至極真っ当なそれは、自分が非日常の中にいるのだと痛感させられるからだ。

 目の前の人は、何も言わない。代わりに何度か視線を滑らせて――あぁ、と呟いた。


「……面倒事に巻き込まれたな」


 頭をガシガシと掻く。しかしその声はどこか冷静で、普通の人であれば酷く動揺してもおかしくないものを、彼女の視線は映していたに違いない。

 彼女が見つめている先にあるのは、木陰で項垂れる、血まみれの聖なのだから。


「ちょっとまっててください」

「誰かに知らせないで、欲しいの……」



「知らせませんよ、面倒臭い。――織田さん関係なら尚更」



「えっ、貴女……」


 私の問いに答える前に、彼女は踵を返してしまう。ぽかんとすることしか出来ない私はその場に立ち尽くし、その背中が戻ってくるのを待つことしか出来なかった。

 ……違う。少しでも聖が、この人が助かるためにやれることをしなければ。

 自分を再び鼓舞し、目の前の彼女から流れる血を止めようと止血を試みる。まだ息はある。


「おまたせしました。車、持ってきたんで」


 少しして、先程の人が戻ってきた。少し小走りだったのか軽く息が上がっているが、それでも彼女はそんなこと知ったことかと言わんばかりに私たちの方へと手を伸ばす。


「あなた、どうして」

「いいから。その辺は車の中で話しても遅くないでしょ。……あと、私一人じゃ織田さん担ぐの無理なんで、手伝ってください」


 言うが早いか、彼女は聖の肩を持つ。ふた周りほど違う体格差はもはや誤魔化し切れる訳もなく、おっと、とよろめく身体に遅れて私ももう片方の肩を持つ。ようやくバランスのとれた聖の身体は、それでも足を引きずる形にはなってしまうけれど。

 彼女が言っていたことは本当で、少し歩いたところに一台の乗用車が止まっていた。何の変哲もない、どこにでもあるような車。


「織田さん後ろに乗せますよ」

「でも、どこに」

「この人のよく行く医者のとこです。確か、深夜もやってたと思うんで」


 よいしょ、と聖を後部座席へと乗せると、再び視線を私に向ける。


「あなたも、早く乗って」

「でも、」

「織田さん、死んで欲しくないでしょ。だったら早くしてください」


 そういうや否や彼女は私の返事も待たずに運転席の方へと回っていく。途中「この血どうしたら落ちるかな」と呟いている声が聞こえて、改めて他人を巻き込んでしまったのだと実感と申し訳なさが沸き上がる。


「あの、」

「さっさと乗る。話はそれから」


 語気の強い彼女に押されて、私の身体は後部座席へと吸い込まれた。自動で締められるドアの行く末を見守って、間もなく私たちを乗せた車はゆっくりと前進した。

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