29.公女、女性騎士団に体験入隊する
長い一日だった。だが、もう少しやることが残っている。
レンは公女とケイを自室に呼んだ。
「座れ。ケイもだ。茶なんかいらねぇ、座れ、ケイ」
「はい」
3人はティーテーブルに着いて、公女の前にはカラフェとグラスが置かれた。
「ケイ、マイアから聞いたか」
「異界渡りと神の改竄のことでしたら」
公女の目が真ん丸になる。
「一姫さま」
「あ? ああ。公爵夫人には全部話しておいた。
おい、気を失うなよ。いちいちめんどくせぇ。今日の分はもう失神しただろ」
「は、はい」
「まずいと思ったら、とりあえずそこの水を口に含んで軽く息を止めてから飲み込むんだ。失神してる暇なんかねぇ。オレたちには時間がねぇんだ」
「一姫さま、何ごとでしょうか」
「ああ、ケイ。明日からミリカンジャの女性騎士団に行くからな」
「はい。女性騎士団ですか」
「いいか、公女サマは生まれてこの方公爵邸からほとんど出たことがない。身の回りのことは着替え、食事、御不浄に湯あみ、ひとりでやったことはない、だな? 何しろ扉を開けるのでさえ自分でやらない生活だ」
「はい、さようにございます」
「女性騎士団は、武力集団だ。護衛中や戦闘中にいちいち侍女やメイドが介助できるとは限らない。公女が思っているほど気楽な場所じゃないだろう」
「ごもっともにございます」
「ジュラルディン、入れ替わるぞ。千載一遇のチャンスってやつだ」
「え? 一姫さま」
「あした、いや、今晩から入れ替わる。おまえ、今からジュラルディンに戻れ」
「はい?」
「このまま騎士団に行くだろ? ケイは公女の従卒になる。とすると、コンパニオン、つまりジュリエッタに付く従卒がいねぇ。
オレならひとりで何でもできる、だがおまえにはできねぇ。
おまえ介助してもらわねぇと御不浄さえまともに行けねぇだろうに。
入れ替わるチャンスは、全員が事情を呑み込める今しかねぇだろう。それに、ミリカンジャならだれもオレとおまえを知らねぇんだ、入れ替わっていても気がつくやつはいねぇ。
ジュラルディン、やってみないか。もう一度公女に戻って、それらしく振舞う練習ができる。練習なしにいきなり本番にぶち込まれるよりいいんじゃないのか。
公女に戻るか、一緒にバックレるか、考えるチャンスだと思え」
「ケイ、いいか」
「わかりました」
「ジュラルディン、どうだ」
「できるでしょうか、わたくしに」
「おまえは生まれた時から公女だ。できるに決まってるだろう?
今のほうが普通じゃねぇんだよ」
「はい」
「これはオレの考えだがなぁ、身代わり期間はできるだけ短いほうがいい。
オレは、月のものの訪れで考え方を改め、公爵家の深窓の姫君から未来の皇妃を見据えた貴族婦人へ成長した、という一種の衣替え?変身?脱皮? なんかそういう場面を担当した。だが、それは本来の公女ジュラルディンとは違うのは確かなんだ。
今ならまだわずかひと月。大きく成長に振れたが、わずかに振り戻したという理解で済む範囲だ。
だが、あまり長く続くと、オレの演じる公女が本物になって、入れ替わりが難しくなる。
ジュラルディン、このチャンスを逃がすと、もっと戻りにくくなる。思い切って今日、やってみないか」
「は、はい」
「な、やってみようぜ。
凄く困ったら、オレを振り向け。オレはいつでもおまえの斜め後ろにいる」
「はい」
公女が、レンとこよりの煽りに反応していることも確かだった。
皇太子は、確かに頼りない男ではあった。だが、公女にとっては婚約者。というか、他に同じ年頃の男性と話したことすらほとんどない。兄ふたり、皇太子宮の侍従、それくらいか。
基本的に家族と皇族以外の人間というのは、公女にとって命令する相手だ。それが皇太子の婚約者たる公女の社会的な立場であって、ほかを知らない。
その中で、わずかに対等に近く話すことができる皇太子が、精神は男性であるレンと婚姻式を挙げるかもしれない。式場で、自分はブライズメイドとしてレンの纏う婚礼衣装のトレインを捧げ持って付き従うことになるかもしれない。
そのことにすこし”チクリ“と心が刺されることに気が付いていた。
「よいか、ブライトン。乙女は恋に憧れるというが、公女ジュラルディンに限っては、恋をしていい相手はこの世界でただひとり、皇太子たるお前だけだ」という、皇帝の発言に間違いはない。そこには、単純にそれ以外の年が近い男性と平等の立場で話をしたことすらない、という事実があるのだ。
*****
公女は気が付いていないが、仮に冒険者となったとして、どうやって「目上の」「格上の」男性あるいは女性と話をしていいのか、おそらくわからないだろう。
駆け出しの冒険者から始めるとすれば、受付嬢に敬語で話すかもしれないのだが、公女の知っている敬語とは、皇族と話すときのものにほぼ限定されている。
受付嬢に「まことに畏れ多きことにございますが、この依頼を受けたく存じております。受付嬢様にはいかが思し召されますでしょうか」なんて…
作者的には、あまりにも面白いので、ぜひ公女には冒険者になってもらいたいと思うのだが。
*****
翌朝。
「役割を確認しますよ」
「はい、師匠。よろしくお願いします!」
「5名ですからね。行くのは、私、オクタビア殿下、サスキント公女、シュレディンガーの姫、公女の世話役としてナッツフィールド伯爵令嬢キャサリンです。
トニオ、キャリコ、スカリー、留守番役です」
全員が頷く。
「すでに聞いた通り、昨夜、公女とコンパニオンの入れ替わりが決まりました。
ミリカンジャでうまくいかないようなら、また元に戻ることもあり得るとのことです。それを見定めるための5日間でもあります。
どなたも、責任重大です。よろしいですね」
「はい」
「ああ、依頼料に見合うだけの仕事はさせてもらうとも」
「よろしくお願いします」
「いやー、マユに土産話ができるなぁ」
「はいはい」
転移陣から光のフィールドが立ち上がり、5人はミリカンジャ、オクタビア女侯爵の転移陣へと移動した。
「ただいま帰りました」
オクタビアが、転移陣部屋で待つ騎士たちに声を掛ける。
「おかえりなさいませ」
「お客さまをお連れしています。団長に連絡を。準備ができるまで、部屋でお茶のおもてなしをします」
「は」
伝令兵はきびきびと団長室へ向かい、従卒のひとりが給茶室へと急いだ。
「みなさんはこちらへ」
オクタビアに導かれて、廊下へと続くドアではなく私室へ繋がるドアを通り応接室へ。
席次が面倒だ。王国の女侯爵が招待主で、客側が帝国の公女、誰もが師匠と呼ぶ賢者。オクタビアはソファをソファに導きかけて、オットットと考え直して丸いコーヒー・テーブルを選んだ。
こよりもずいぶんと身分制度に馴染んだのだった。
入れ替わったばかりで緊張感が抜けない公女、自国に帰ったので化け直してこよりから戻ったオクタビア、公女役からコンパニオン役になって若干態度に戸惑いを含む初ジュリエッタ仕様のレン、爆笑しかけのところをなんとか踏みとどまっているキルエット師匠。
平常心なのは、ケイだけだ。
それぞれの立場で、お茶に口をつけるが、危なくて普通の会話ができないでいる。
ノックに応えると、従卒が5人を呼びに来ていた。
「隊長室へご案内いたします」
オクタビアと妹のエレクトラの上司である女性騎士団初代団長は、彼女たちの祖父でもある。また、第二王子の舅にあたる。
モンスコンデ伯爵の弟であることから子爵位を預かっていたが、王子妃の里方として多大な出費が予想されることから、伯爵位とネイキコンデ領を賜った。現在はネイキコンデ伯爵を名乗る。
団長は、エレクトラとともに立ち上がって訪問者を待っていた。
「ようこそミリカンジャへ」
「よろしくお願いいたします」
娘とふたりの孫娘を持つネイキコンデ伯爵は、自分以外が全員女性という状況に負けなかった。卒なく紹介と挨拶を終え、5日間のスケジュール調整にはいった。
その日の午前中は施設と訓練風景の視察、午後からは訓練に参加。
2日目と3日目は引き続き訓練に参加、4日目と5日目は野営訓練となった。
視察、訓練、野営は、帝国の皇太子婚約者との接触を求めるすべての訪問者を、キルエットが結界で弾き飛ばす内側で粛々と遂行された。
“お忍び”を盾に、オクタビアとエレクトラの父である第二王子さえ一歩たりとも結界の中に入れず、顔さえ見せない暴虐ぶり。
王家が困惑して、団長を呼び出そうとしたが、手紙や使者も通さないという傍若無人さ。
契約を盾にしたSS級冒険者でなくてはあり得ない手厚い“警護”ではあった。
顔合わせから始まり、施設案内、訓練参加、歓迎および感謝の宴、記念品の交換、公爵家から騎士隊への礼物とすべての日程を無事に終えられたのは、完全にキルエットの手腕だったろう。
最後に5日間をともに過ごした女性騎士たちと挨拶を交わし、オクタビアと再会を約束し合い、移陣で何の問題もなく別荘に帰着した。
「はい、お疲れさまでした。
師匠、ありがとうございました。
おい、ジュラルディン、大丈夫か」
すべての日程をにこやかにこなしたジュラルディンは、帰着とともに倒れ込んでしまった。
「過呼吸じゃない失神か。上出来」
レンのあっさりした感想だった。




