21.皇太子領の治水問題
指定された日、ふたりは午前中にプレゼンの練習をみっちり積んだ。
軽食をとって、長い午後を耐えきれるようにケイに指示して改造させた衣装を試す。前から見れば腰を引き絞ったドレスに見えるが、新しいブラとウエスト・ニッパーで形を整えただけでコルセットは付けない。
細く柔らかい、色の濃い帯を左前で結んだ形にする。
後姿は、肩から床上丈に襞を取った薄い布を縫い付け、見た目はマントのように腰のラインを見せず、だが優雅さは失わないように注意を払う。2,3時間も王妃執務室で立ったり座ったりするのだ。コルセットなんかつけていたら気絶する。
ジュラは薄い水色のドレスに濃い緑の帯、ジュリはクリーム色のドレスに朱の帯を選んだ。
髪は緩めに結ってパールを編み込んだネットで押さえ、ネットの縁に通したドレスと同色の布を耳の後ろで結び、足の長い飾り櫛で整えた。
衣装を準備したケイは、出来上がった姿を見て満足の微笑みを浮かべる。
「おふたりとも、大変お美しゅうございます。苦しくはありませんか?」
「おお、よくやってくれた。大丈夫だ。長丁場だからな、ありがとよ」
暁門を2時半に通過、王妃執務室の控室で呼ばれるのを待つ。
付き添っているケイも、警備の衛士も、そっくりのふたりが色こそ違うが同じデザインのドレス、髪型も同じ姿で寄り添って座っているようすに微笑みを抑えられない。
「指定した日です。
では、文書を受け取りましょう」
皇子側からは、新しく選ばれた侍従が、侯爵家側からはジュリが、皇妃執務室侍女に文書を渡し、執務机に置かれる。
見た目だけでも、結果はほぼ明らかだ。ジュラルディンが準備した文書は、皇太子の提出した文書の7,8倍の厚さだった。
「よろしい、まずは遅れずに用意できたようですね。
座りなさい。お茶を」
執務室付きのメイドがお茶を準備し、皇太子侍従とコンパニオンは、それぞれの主の後ろに準備された椅子に掛ける。文書作成を手伝ったことが伝えられおり、介添人と認められているためだ。
皇妃が文書をめくる音がするだけの時間が過ぎ、やがて顔を上げた皇妃がまず皇太子に治水についての考えを聞いた。
「皇太子領の治水問題は、上流から流れてくる肥沃な土壌で農作をしようとする農民と、農民の生命と財産を洪水から守ろうとする皇太子の意思とのせめぎ合いと言えるでしょう。
過去には、洪水による被害を恐れ、洪水期にはすべての農民を避難させるという施策を取った者もおりました。
ですが、その年には水嵩が増しただけで洪水とはならず、農民が留守にした家屋が打ち壊され、薪として運ばれる、あるいは、帰宅してみれば、違う者がすでに住んでいて、土地を耕しているなどの、トラブルが続出。
皇太子が強く非難されました。毎年土地の様子が変わるため、地図も不確実、権利関係が確定できないのです。
そのような経緯から、避難の命令は極めて困難です。
結局、洪水になった時に最も被害が大きいと思われるところから順に堤防を築き、古い堤防を補修するという手法を取っております。
これを踏まえ、私の代でも古い堤防の建て直しを進めております」
「それでよろしいか。
介添人、追加する意見はありませんか」
「ございません」
「それでは、ジュラルディン」
「はい」
「洪水から土地と人を守るには、多くの手法がありますが、代表的なものとして次の3つを挙げたいと思います。
その一は、河の上流にダムを造ることです。
ダムは、山と山の間の深い谷間を利用します。先に水の逃げ道を作っておいてから、谷の出口に水門を作ります。完成したのちは、渇水期に水門を開き、洪水期には放水を調整して大被害にならないようにします。
水の逃げ道も無駄には致しません。ダムだけで間に合わない水量になれば、そちらの水門を開きます。
その二は、遊水池の設定です。
遊水池とは、普段は池や浅い沼になっている場所を、農地として開墾することなく水を湛えたままにいたします。この遊水池が下流へ水が一気に流れ出すことを妨げ、ここで一旦水の流れを緩和させることができます。
これを少しずつ掘り下げ、深い池とすることができればより有効でしょう。
その三は、支流と言いますか、放水のための水路を掘削することです。
大量の水が集まるのに、出口が十分でないために洪水になるのですから、何カ所か出口を作ってやればいいのです」
皇太子と介添人は呆然と姫を見つめている。何か言いたそうではあるが、陛下の前で許し無く発言することはできない。
皇妃は軽く頷いて、次を促す。
「この三つは、どれも一長一短、部分的な効果しかない割には施工に時間と費用が掛かります。ですので、場所により、経済事情により、選択しながら順次施工する、モデル事業を作り、技術と経験を実験的に公開して工事を他の地にも広め、それによって技術者を増やし、育てる、技術力を上げる、受益者から費用を集めるなどの工夫が必要です。
わたくしは、皇太子領につきましては、用水路を掘る作業から進めてはどうかと思います。
理由は、皇太子領が侯爵領に挟まれていることにあります。
この洪水地から、一本は南東の侯爵領に用水路を掘り、侯爵領内の川につなげ、これは皇太子の事業といたします。そして、侯爵には用水路から自由に農業用水路を引かせるのです。
この計画であれば、侯爵を説得することも容易でしょう。
もう一本は本流に流れ込む急流の上流地点から西へ、もう一つの侯爵領へと用水路を整え、領を南下して本流に合流させます。
こちらは川の流れを変える大工事になりますが、シュレディンガーの姫によれば、土魔法が力を発揮するだろうとのことです。
ただ、この作業につきましては、元の川の流れを完全には開放しないこと、これが肝要です。水門を皇太子領内に作り、流水量を自在に調整できるようにしておきます。
この策のよいところは、洪水を緩和すると同時に、両侯爵領が農業用水路によって豊かな農地を手に入れることができる、という点ではあります。
ですが、皇帝陛下にとってもっともよい点は、いつなりとも水門を閉鎖して、両侯爵家が農業用水を引いて開墾した新しい農地を干上がらせることができる点です。
侯爵領が農地を広げ領民を増やして豊かになればなるほど、両家は皇帝家に逆らえなくなるでしょう。
ですので、洪水対策として、ただ2本の用水路を引くだけでなく、同時に他の工事も進めることが最も肝要です。用水路が完成してからでは、侯爵家も危機感を持つでしょう。
用水路などという大工事が果たして完成する物かどうか、と窺っている間に補助的な工事に過ぎないとして他の施策をすすめるのです。
もちろんその工事の中には、皇太子殿下が代々行ってきた堤防工事も含まれております」
「よろしい」
しばらくの沈黙の後、皇妃は微笑んで皇太子を見た。
「何かありますか」
「いいえ、陛下。私は帝国一の婚約者を持っております」
「よろしい。では、姫の文書を渡すゆえ、ここで読みなさい。介添人も読んでよろしい。
この策は、皇太子領のみではなしえません。皇帝陛下や内務卿に諮り、手順を定める必要があります。膨大な建造費がかかるゆえ、失敗は避けたい。
他言無用です、よろしいか」
次に、ジュラルディンに話しかける。
「この策については、また細かく聞きたいと思います。
特に、工事に取り掛かる前の測量、図面作製について、まとめておきなさい。
よくやりました。褒めて遣わします。
最初の褒美として、もう下がってよろしい。これだけの文書をこの短期間で書き上げるとは快挙です。
ゆっくりと休みなさい」
ジュラルディンは、微笑みながら美しい礼をして、黙って提出した。
心の中では、もちろんスキップしている。ルンルンルン。公女と目を合わせる。ふたりはどちらからともなく手をつなぎ、仲良く馬車に乗り込んだ。
ざまぁ・その2 でした。




