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おだまり!  作者: 倉名依都
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20.公女はかなり持ち直す

皇帝陛下への辞去の挨拶は免除され、公爵夫人、ジュラルディン、ジュリエッタは早めに皇宮を退出することを許された。

公女はちょっと泣きすぎだった。馬車まではケイに手を貸してもらいなんとか歩いたが、過呼吸を起こして馬車に抱え上げられ、座席ではジュラルディンにもたれ掛かって気を失ってしまった。


ケイが屋敷までフットマンを走らせ連絡する。

馬車は脇門から入り、女性騎士が抱き上げて部屋に戻した。ケイがジュリエッタ付きのメイドと協力して着替えさせ、髪を解き化粧を落とした。

ベッドに横たわるまではかすかに意識があったが、水をひと口飲ませてもらい、そのまま寝入ってしまった。



翌朝。

ジュラ(レン)は、ルンタルンタしていた。へへ、一応言いたいことは大体な、ふーい!

今頃皇太子殿は女装の最中かもな~~、ああ見たくねぇ~、ぜってー見ねぇけど。


隣室に繋がる寝室のドアから覗き、少しだけ不安に思って手を鼻の前に持って行って呼吸を確認、首の横で脈を確認した。

眠っているらしい。顔色も悪くない。


ケイが難しい顔で寝室に入って来て訴える。

「姫さま、メイドが来るまで横になっていてくださいませ」

「まま、今日だけ今日だけ」

ケイは、カーテンを開き窓を細く開けると、女主人にガウンを羽織らせて化粧室へ移動する。朝食の為にモーニング・ドレスを着つけるのだ。

「ケイ、ジュリは寝かしておいてやれ。昨日はずっと泣いていたんだ」

「はい」



公女は昼前まで爆睡して、なんだかすっきりした顔でジュラの常の間に現れた。

「おう、生きてたか」

「はい、おかげさまで」

「どうだ、キモチよかっただろ」

「はい、不敬かもしれませんが」

「不敬? 失礼なのは殿デンじゃないか、俺はな、このためにここにいるんだ」


彼女にはもう自責の念はなかった。一応セミノが文や贈り物を握りつぶしたことについて、多少の責任を感じてはいたのだが、なんだかもういいや、という気分になった。

変なのはあの皇太子なのだ。そういうことにしておこう。

両陛下も、愚か者、馬鹿者、とののしり放題だった。

皇妃陛下は、これ以上の姫はいない、と言ってくださった。うれしい。皇太子妃になるための長いながい努力を、きちんと評価してくださっている。



「あのな、ジュリ、俺は神さまの考えが少しわかったぜ。

今までは、サスキントの姫はお前だけだった。お前を追い落とせば、違う家から違う姫があてがわれる。

だが、俺が来て、サスキントの姫の他にシュレディンガーの姫がいることになった。

公女を心身症にして追い落としても、従姉姫が控えているという形になったんだな。だから、この容姿だ。いつでも差し替えられる。

侍女からコンパニオンに繰り上げることにも意味があった。

無理なく、軋轢も表面化させずいつの間にか陰謀は潰えたって訳だ。

首謀者は誰かわからないがなぁ、やがて気が付いて呆然とするだろうな。

自分は何を狙っていたのかと。

ま、侍従ふたりには気の毒だけどなぁ、恨むのは命じたやつにしておけよな」


「依頼が終わった後、俺が旅に出たいといったのも神サマを後押ししたなぁ、おまえの傍から離したくなかったんだろうな、すっごい身分と資産がくっついてるもんなぁ。重石のつもりか~

やられたかもしんね。でも俺はいくぜ、坂下、待ってろよ~」


レンの遠吠えをあきれて見守っていた公女だが、今もこの自分にそっくりな人と一緒に旅に出て、もう一組のそっくりな王族姉妹に会って、女性騎士になる道は塞がれていないことを再確認していた。


未来はひとつじゃない。

毎朝の訓練だって十分意味がある。ありうる未来に備えよう。



「さーて、喜んでいる勢いで、課題だ。やるぞ」

「はい」

「10日後、だったな。9日あるか。課題は、“皇太子領における治水問題”だ」

「はい」

「知ってるんだな、そりゃ知ってるだろう。じゃ、サマリーな、問題点を言ってみろ」


皇太子領は、ふたつの侯爵領の間にある。


侯爵領は元の属領、つまり帝国が侵略・併合した王国の領土である。

侵略の後、その地は一旦帝国から統治者を送り、属国とする。その後、その地をもともと治めていた家に統治させても問題ないと判断された時に限り、王またはその血筋の者を帝国の侯爵として、改めて元の領を与える。


これは、帝国が拡大するにつれて学んでいった統治の手法である。

領民は、帝国の臣下になることに反感がある。だから、元の統治者に領地を戻し、間接的に支配する。

そうすれば、領民の不満を皇帝単独でなく、クッションとなった侯爵にも負わせ“分散させる”ことができる。


ただ、ふたつの侯爵領が接触していることは帝国にとって好ましいことではない。もともと別の王国だった地だ。また、仲が良かったとも限らない。

ふたつの侯爵領が一時的に共闘して、あるいは決定的に対立して、領戦という名の内戦を引き起こす可能性を少しでも潰しておきたい。

民心対策として、侯爵家の姫を帝室の妃とする。

離間の策として、両領の間、もとの国境線を争った場所を狙って、公爵領とするのである。


皇太子領も、こうして定められ、代々の皇太子が問題解決に当たってきた。

ここでは、河の中流域がかつての国境線となっていた。

この河は谷から平原に出た場所の少し下流で、西からの急流と合流する。水を合わせて大河となり、一気に平原へと流れ込む。


特に春先の雪解け水を集めた時、周囲一帯に流石や流木を包み込んだ洪水をもたらす。

洪水になる年と、増水で済む年があるから、問題は更に深刻になる。

河によって上流の大森林が培った腐葉土が運ばれてきて、肥沃な土壌が形成される。それに期待して、農民が住み着く。

毎年同じように洪水となるなら、春先には避難させるなどの対策をとることができる。

問題はそれほど大きくならないのだが、例年は”少し溢れる“程度で、忘れたころに大洪水となる。

一旦大洪水となれば、根ごと流されてきた大木が堰を作って広大な農地が実りを失う。水にまきこまれた死者が下流に流れ打ち上げられ、動物の死骸とともに流行病を発生させる。



公女は、この問題をきちんと学習してきた。

代々の皇太子が執ってきた洪水対策も時系列で暗記している。

机に広げた地図を短く細い棒で示しながら、歴代の堤防建造・補修個所、洪水を予想して農民を避難させる対策などを淡々と説明した。


「いいだろう、ジュリ、今のところを担当な。

歴代の施策を図入りでレポートな。その先は俺がやる。

まー、なんちゅう無能ぶり。アホは何代さかのぼってもアホだなぁ」

「一姫さま、お言葉が過ぎるのではありませんか。先代皇太子は、現陛下にあらせられますのに」


「いやー、そうだったな。

昨日盛大に自分の長男をののしってたけどなぁ」

「はあ」

「なかなか痛快だっただろ?

ジュリはすっきりしたんじゃないか? おまえ泣いてばかりだったけど」

「昨日は大変お世話になりました」


「いやー、すごかったよな、皇妃陛下。おまえ、もしかして20年経つとあれ?

いまごろ女装させられてっかな、殿デン。キモチワリーよなー」

「イヤです、どちらも想像したくありません」

「そうだよなぁ」


「まあ、それはいい。治水だ治水。

こういうのは、1か所ずつズルズルやってもダメなんだ。何だっけ?パスカルの原理の応用だ。 要するに1か所を強くしたら、そこより弱い場所が決壊するんだよ。

パイプじゃねぇんだから、すべての護岸工事を同じ強度で完成させることはできねぇ。

こういう時は、元から絶つか、分散させるんだ。オレの国じゃ小学校の社会でやるような内容だけどな」


「えーっと? 答えをお聞きしても?」

「あ・と・で」

「はい」



ジュリはせっせと手を動かして、読みやすい字で歴代の皇太子の施策と、その結果を書き記していった。

「おい、それは前書きだ。さっさと終わらせろ。

そのあと、皇太子別に項目建てして費用書けよ、費用な。えーっと直近3代分でいいや、パソコンないと大仕事だかんな」


「資材の代金と運送費の表だ。

どこで買って、重量はどのくらいで、馬何頭で引かせたか、調べろ。王宮の資料室に予算書きと実施報告書があんだろ。皇妃陛下からの課題だと言って突破しろ。

調べきれなかったら、推定しろ。あとでフェルミ推定教えてやんよ。

動員した人夫の数もわかるだけな。そんで、トータル何日かかって、兵や村人を何人動員したかだな。そんで、もし日当を払ったらいくらになるか、計算して表にしろ。


土魔法使いを呼んだならそれもな。重機いらずはいいんだがなぁ、魔法頼りじゃどこでもできるつーことにならねぇし、測量とか数学の基礎がねぇとすれば、魔法使いが図面通りの結果を出したかどうか。そこも問題だよなぁ、ま、仕方がないか。


あと、それだけ費用掛けて、どれほど効果があったか、作業前、作業後を比較すんだよ。

こんなやり方を“安物買いの銭失い”つーんだ、オレのところじゃな。

どこの役所も採用しねぇ。これを帝国の皇太子がやるか?」


ジュリは、表というものがよくわからなかったので、次の日は表について学ぶところから始まった。


兄に縋り付いて記録保管所から抜き書きを手に入れ、費用規模に冷や汗を流しながら計算を終えて表を完成したころには、レンもこの世界ではおそらく革命的な治水概念と概算費用の計算を終えていた。そもそも魔法があるのだから、洪水の現場に魔法使いがいさえすればいいので、土木工事はその場しのぎ以上に発展しないままだったのだ。

8日目の午後、公女はレンの説明を聞いてワクワクすることになった。


「あの数字、どうなったの?」

と言いながら、提案書を覗き見に来たアルバートは、もちろん、「皇妃陛下の、あ・と・で」と一蹴されたのだった。


*パスカルの原理

もともとの原理としては、密閉容器なんですね。密閉容器に液体が入ってるとします。どこかを押したら、瞬間で容器全体に同じ圧力がかかる、という意味です。


えっと、ペットボトルにヒビが入っているとします。水を一杯に入れたら、一番ひどいヒビのところから水が漏れた。で、そこをガムテープで補強したら、次のヒビが破れるよ、圧力は均等に掛かるからね、ということですね。ペットボトル全体をぐるぐる巻きにすればOKですね! あ、底面も。


レンは、それを川に応用してるんですね。

水が凄い量流れてくる、川岸に圧力がかかる、一番弱いところが決壊するのは当然じゃないか。

洪水のスタートだね!

そこを補強したら、次に弱いところが決壊する、当然だろうが、あほか皇太子。水の圧力全体を逃がすシステムを考えないとダメなんだよ、と、まあ、そう言っているのですね。



*フェルミ推定

何かを実地に調査するのが難しい時、手元にある資料や合理的な推論を使って概算で求めること、ですかね?


有名どころだと、ニューヨークにピアノ調律師は何人いるか、とかいうのがありまして。

これは確か、フェルミ教授の講座でテストに出たんだと思います。違っていたらすいません。


ニューヨークの世帯数、ピアノを持っているのは何世帯にひとつか、ピアノは何年に一度調律するか、調律師が、1週間に5日働くとして、何人必要か

とかいう順番で数的な推定を重ねていくわけです。

これね、実際に現実の調査とほぼ同じ数が出るんですよ、正しく推論して行けさえすれば。


これを使って、銀河系に知的生命体の存在する惑星は現時点でいくつか、というのも推論されています。自信はありませんが、カール・セーガンが「コスモス」でこの推論を披露していたと思います。


主に数量を推定するときに使いますね。数学に強い人が、目がくうを見ていて、右手の親指が細かく動いていたら、フェルミ推定をして楽しんでいるかもしれません。世界にアリは何匹いるか、とか、バレンタインに売れたチョコはいくつか、とか考えているかもね!


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