19.皇太子の受難は続く
打ちのめされている皇太子に、皇妃から呼び出しが来た。
とぼとぼと部屋を出て、遣わされた皇妃の侍女によって、母、妹、未来の義母、婚約者、その従姉が勢揃いしている部屋に導かれた。
婚約者とその従姉は目を伏せている。
だが、母はボビンレースの模様も美しい扇を手に、柔らかさのない目で息子を見る。皇太子に席は用意されてさえいない。
「ブライトン」
「はい」
皇太子は自分が犯した失態をすでに自覚しているだけに、ただ立って叱責を待つ。だが、事態はそれほど気楽なものではないことはすぐにわかる。
「マナーのやり直しを命じます。
明日から、皇女のマナー・レッスンを共に受けなさい」
「は?」
「兄上、楽しみにしておりますわ」
妹の視線も冷たい。微笑みとともに送られてくるだけに、怖くすらある。
「え?」
「レッスンを受け終わるころには、今より少しは物分りがよくなるかもしれませんね。紳士たるそなたが平気で口にする、“え?”も、“は?”も、淑女には禁じられております。貴婦人が相手に反対の意思を示すには、少し開いた扇を口元に当て、微笑みながら軽く首を傾げるのです。そなたは無知であり、害意なく婦人を虐げています。
そうですね、パニエの入った重いドレスを着て受講しますか? コルセットは許しましょう、サイズがありません。代わりに、ドレスの上から鎖帷子、いえ、甘いですね、1サイズ小さいプレート・メールの胴部分を着けなさい」
プレート・メールをつける? なぜ?
しかしながら、その場の淑女は全員、軽く頷く。視線がマジで怖い。
「明日はドレスが間に合わぬでしょう、縫子部屋には負担を掛けますが、サイズを計ってフリルのたっぷり入ったデザインでドレスを作らせます。
明日は取りあえず普段着の上にパニエをつけ、踵の高い靴、頭は鬘でいいでしょう。化粧もさせますか? とりあえずその姿でカーテシーの練習ですね。姿勢が崩れているところには遠慮なく鞭を入れるように申しつけておきましょう」
皇太子は、蒼ざめた。
いや、確かに、ジュラルディンが扇を口元に当てて、自分に向かって軽く首を傾げるところは見たことがある。あれは拒否を意味していたのか、何ということだ。
それはともあれ、いや、ともあれはとか言っている場合じゃなさそうなのだが、淑女のマナー? ドレスで? しかも妹に見られて?
実際は弟皇子も強制的に同席させられるのだが、ブライトンはまだそれを知らない。
「連れ合うべき人の苦しみを察することができぬおまえは、実際に経験してみるしかありません。気分の優れぬ貴婦人に盛装をさせるのが、どういうことかくらいはわかるようになるやもしれません」
皇妃は少し意地悪気な微笑みを見せる。
「ブライトン、プレート・メールを着たら、まずそれでジェントル・ボウを行ってみなさい。
そうすれば、なぜ淑女がカーテシーを行うかわかるでしょう」
皇太子はちょっと想像してみる。 え? プレート・メールで腰を折ってお辞儀をする?
「よいですか、盛装して、装身具をすべて身につければ、総重量は15kgを越えるのです。場合によってはそれで踊るのです! ハイヒールで。優雅に」
「念の為に言っておきます。それでは姫は俺の苦しみを知っているのかとおまえは言いたいでしょう。
ジュラルディンは、毎朝公爵夫人、従姉姫、乳母娘とともに、サスキント騎士団の訓練を受けております。
また、そなたと同じ帝王学、経済学、国際関係論を同じ講師から受け終わっております」
皇太子は、え?という視線で婚約者を見た。
「そうですね、まさかと思いましたが、知らぬのですね。
そなたの茶会は設定が甘すぎます。どうして人生を共にする女性の日常生活に興味すら見せずに自分のことばかり語っているのですか、愚か者。
よろしい、教えてあげましょう」
皇妃は、侍女に紙とペンを用意させて、その場で2枚のメモを書いた。
「姫の早朝訓練が事実であるかどうかは、サスキント家の兄弟に聞けばわかりますが、座学の方は理解度がどれほどのものかわからぬでしょう。
姫は人形ではありません。感情を制御し、学問を納め、皇妃となった時に一時的に皇帝を欠いても指揮を執れるように幼い時から……いえ、女子が生まれたとわかった時から、公爵家が育てた生粋の淑女です。帝国にこれ以上の姫はおりません。
わたくしは伯爵家の娘に過ぎません。皇太子妃の指名を受けたのも14の時です。ジュラルディンは生まれながらに皇太子妃と定められた姫ですよ。
公爵家から出る皇太子妃について、軽く見ておりますよね。心得違いを教えてあげましょう」
皇妃は、ジュラルディンではなくジュリエッタが感情を抑えられず膝に涙を落としているのに気付き、少し疑問を感じた。
ともにこの皇太子の尊大なそして無意識の侮辱を耐えてきて、ふたりで手を取り合って泣いた日もあっただろう。
しかし、ジュラルディンが思ったよりさっぱりしているのに、従姉姫の方が涙を抑えることに失敗している。あるいは感情を表に出すことのできない従妹に代わって、怒り、泣いてきたのかもしれない、よく似た従姉妹だが性格は少し違うのか。
考えてみれば、仮にジュラルディンが皇太子妃として務められないとしても、こちらのシュレディンガーの姫が成り代わる。これほど似ているのだ。差し替えても支障ない。
シュワイツ公は何を狙っているのだろうか、と。
とりあえず後で陛下に確認してみよう、と流して、この場を終わらせる。
「ここに、課題を書きました。同じ課題です。10日後の午後3時、わたくしの執務室に答を文書にして持って来なさい。ジュラルディンもいいですね。
後はその時に。
下がってよろしい」
ほとんど呆然自失で帰ってきた皇太子の話を聞いて、一同には気の毒以外の感情が沸かなかった。
ただ、淑女のマナー教育を体験させる罰則はそれほど珍しいことではない。大概は妹に対して労りを欠く兄や、婚約者を軽く扱って婚約相手の不興を買う貴族家男子に課せられる。
30分もすれば音を上げるが、態度が改まるまで許されないのが普通だ。
裸に剥かれて女子の盛装を肌着から身につけられる。鬘に宝石のついた髪飾り、金属に宝石を配したレースタイプの重いネックレス、ピアス穴から肩まで下がる宝飾品を付けられ、仕上げにハイヒールだ。逃げ出すはおろか、走ることすらできない。刃物で切り裂く以外にひとりで脱ぐことができないから、もちろん、トイレに行けない、侍女の介助なしには。
「女はいいな、着飾って笑っていればもてはやされるもんな。
あなたはそう言いましたね。それで、今はどう思いますか?
正装でダンスを踊るというレッスンもありますが? 追加いたしましょうか」
だいたい、これで沈没して、平謝りになる。
皇妃の実家でももちろん伝統の処罰だ。むしろ鉱山労役を課してもらいたいというのが大概の男性貴族の心の声である。
一番上の兄がこの処罰を受けるとき、弟たちは大概無理やりに見学させられる。「あなたもやりますか」という、母の声は“魂を縮み上がらせる”効果がある。
ざまぁ・その1でした。
珍しいよ? こんな懲罰。
だって倉名が作ったんだもん~。知っている限り、こんな懲罰は記録に残っていません~。
それらしくするために状況モリモリにしてありますけど、完全に創作ですので、よいこは信じないでくださいね~
女装がツボに嵌ってありがちな趣味に走ったら、母上はどうするのでしょうか?
とりあえず扇を投げつけるくらいしか思いつきませんね~、ね?




