13.婚約者たち (2)
ここから先は奉公人の耳には入れない話だ。人が聞いていれば、皇太子は謝罪することもできない。
皇太子は、全員が退出し、執事が外からドアを閉めるのを待って口を切る。
「そうであったな。わたしの不手際であった。
侍従のシュワイツとアルフレッドの振る舞いの責任はわたしにある。
この2名の、水晶宮日誌の虚偽記載および記載漏れが確定した。今は帝宮本宮の3階に籠められており、1日につき日誌1ページを正しく書き直す作業に従事している。終わるまで部屋を出ることはできない。 誠に済まなかった。
気付かぬまま放置したのは、わたしの手落ちに他ならない」
1日に付き、1ページしか書き直すことができず、更に種々の書類と照らし合わせて間違いないと承認を得るまで許されないのだから、単純計算で3年半、部屋から一歩も出ることができない。少なくとも皇太子の華燭の典に出席することはできない。
懲罰といえば懲罰ではあるが、別に罰を与えているのではなく、自ら書いた皇太子宮の侍従日誌にミスがあり、しかもそれを皇帝が直接指摘した。それを正しく書き直すという義務を負って作業している以上、実家から苦情が出しにくい、というか、抗議の出し方によっては不敬罪とか反逆罪に問われかねない。
そこが狙いだ。絶対王政下の貴族社会というものは、チョーゼツコエーのである。
「お尋ねしてよろしいでしょうか」
「こちらから頼む、聞いてくれ。姫は何を知りたいのか
わたしも今ではわかっている。姫が心のままに話すことを遠慮していたのは、侍女セミノのせいであることがわかるようになった。セミノは皇太子妃の心得と言いつつ常にそなたを叱責していたようだね」
「さようでございますね、セミノの口癖は、“そのようなおふるまいは皇太子妃にふさわしくはございません”“皇太子のお言葉には常に微笑みで頷いてください、姫君から言葉をおかけするなど畏れ多い”というものでした。1000回ほども聞かされましたでしょうか」
「さようであったか、セミノを推薦したのは皇帝家であったと聞いた。誠に済まなかった。姫が身辺からセミノを遠ざけたのは当然だ」
皇太子の言葉には苦々しさが含まれていた。
「それではお尋ねいたします。
殿下は、今年2の月の10日の午後には、どちらにおいででしたか」
「そうだね、日誌でも確認したが、その日は確かに水晶宮にいた。
その日は、セミノより姫の到着が30分ほど遅れるとのことで、書庫で時間待ちをしていた」
「シュワイツ卿のご口上では、執務が長引いておられるとのことでした」
「いや、姫、月の10日については帝宮の関係者はよく心得ている。午後に執務が入ることなどあり得ぬ」
「畏れながら殿下、それでは退出する際に、からだを大切にとお声掛けいただいた理由をお聞きしても?」
「ああ、それはよく覚えている。姫の準備が遅れているのは、前日に不快であられたため、起床が遅れ、準備がずれ込んだと聞いたからだ」
「それはどなたが殿下に?」
「シュワイツだ」
レンは、目立つほど肩を落として、小さなため息を漏らして見せた。
「殿下。 殿下はわたくしの婚約者にあられます。わたくしが、準備に手間取るほど不快とお聞きになって、なぜ直ちにお茶会中止の知らせをお出しになりませんでしたのかお聞きしたく思います」
皇太子は、婚約者の顔をじっと見つめた。この姫はこんなにも強い心を持っていたのか。いや、だからこそ耐えてしまったのかもしれない。
「確かにその通りだ。気遣いが足りなかったことをこの場で詫びる、すまなかった」
「重ねて申し上げ、誠に失礼とは存じますが、すぐさまお知らせあれば、今日のこの日はありませんでした、違っておりますか」
「いや、姫の言うとおりである。たとえば見舞いの名目でもよかった。こちらから確認の為に使いを出せば、行き違いはすぐに質され、セミノあるいはシュワイツの虚言が明らかになったであろう。公爵家ともあろう者が、姫君を約束の時間に遅刻させるなどあるはずもなかったのだな」
最初の軽いジャブで気が付いていれば、少しずつ悪化する状況を妨げることは簡単だった。皇太子はお人好しと言われても反論できないほど侍従を信じ、そして付け込まれたのだ。
王の地位にある者は、臣を信じすぎてはならないのに。
「詫びていただいたのに、更に重ねることをお許しいただけますか」
「かまわぬ」
「これは、娘心から申し上げることではありますが」
皇太子の目つきが少し柔らかくなった。この姫のことは常に皇太子妃として見ており、女として捉えたことはなかった。
「わたくしが不快のあまり準備に手間取るほどだとお聞きになっておいででしたのね。それでは、なぜ、わたくしの到着を、さようでございますね、暁門までとは申しません、わずか30mほどですのでせめて水晶門まで、いえ、それもお嫌でしたら、玄関先までお迎えあったのであればと存じます。
あるいは、帰り際でなく、お会いして直ちに、体調を気遣うお言葉を頂けていれば。
今更にはございますが、それだけでわたくしが時間に遅れてなどいないこと、不快などなかったことがお分かりでしたでしょう。
あれほど大きな馬車と4頭の馬、3人の騎士とともにうかがっておりますのに。
わざわざ、書庫で、馬具の立てる音すら聞こえない場所でお待ちになっていた理由をお聞きしたく存じます」
レンは心の中で盛大にアカンベーをした。この男は婚約者を一体何だと思っているのだ! 俺の高校の同級生なら、カノジョの体調が悪くて準備が大変だと聞けば、焦って全力で相手の家まで様子を見に行って、気にすんなよく休め、と言って次のデートの約束をして帰ってくる。男友達ならなおさらだ、アイスクリームの1個も持って“おい、大丈夫か”と声を掛けに行くくらいのことはする。
ガッコを休みがちの俺に何人の同級生が見舞いに来てくれたことか!
こいつはな、こいつはアホだ。男としてアホなだけでなく、そもそもとっくに一人前の筈の成人したひとりの人間としてどうなんだ。体調の悪い少女に盛装させて馬車に乗らせるとか悪鬼羅刹か。
これを皇帝にする? まさか!
皇太子は、一瞬泣き出しそうに見えた。そして右手で口元から左目を覆うようにして考え込んだ。
そこへ、サスキント公の声が割入った。
「ジュラルディン、そこまでにしなさい。あまりの追求である」
「失礼いたしました。取り下げさせていただきます」
皇太子が素早く公に答えた。
「いや、サスキント公。姫はこうして深く考え、なぜ自分は軽んじられているのかと思い惑っておられたに違いない。わたしが至らぬばかりに。
姫をないがしろにする気持ちは欠片もなかった、それは本当だ。ただ、女性に体調を尋ねるということにためらいがあった、言い訳にならぬが。
姫に聞くことができなかったのだから、皇妃陛下を通じて公爵夫人にお尋ねすればよかったのだ。
思いつくことすらなかった、未熟を恥じている」
サスキント公は、わずかに微笑んで頷いた。皇太子はどうやら皇太子位を長らえることになりそうだ。
「ジュラルディン姫、記憶を手繰っているが、なぜ書庫に行ったのか全く思い出せない。書庫は本が日に当たらぬように北棟の奥まったところにあるし、書架が防音の役目を果たすだろうから、確かに馬具や馬蹄の立てる音には気付かない。
なぜだったのだろうな、誰かに誘導されたのだろうか、それとも気になることを急いで調べる必要があったのだろうか。
すまぬ、思い出せない」
「そうでしたか、それでは、続く3の月から先の月まで、簡単で結構ですから、10の日になぜ時刻に遅れておいでになったか、または水晶宮にご不在であられたのにサスキント家に連絡がありませんでしたのか、後ほどで構いませんので教えていただけますか」
「承知した。姫はその間もこの水晶宮の客間でわたしを待ってただ座っていたのだから、理由を聞く当然の権利がある。誠意をもってお答えするゆえ、少々時間を頂けるか」
「承りましてございます」
この星の暦
惑星が恒星の周りを巡る都合上、1年は305日となっている。
1か月は30日で、1年は10カ月、残った5日は、年末とも新年ともいえない微妙な日々で、過ぎた年を振り返り家族で過ごす、過越しの祭り、中1日置いて、新しい年へ皇帝への臣従を誓い直す新年の祭り、と構成されている。
各月は、7日区切りの週でなく、10日区切りの旬、上旬・中旬・下旬、で区切られ、給与や休暇も10日で計算される。




