10.親として
翌朝、恒例の朝拝の後。
サスキント内務卿は、外務卿と軍務卿に軽く会釈をして皇帝の元に残った。
皇帝とサスキント公爵は、何を置いてもまず幼友達だった。
ロンバルト皇子とサスキント公子は、前皇帝の長子と前々皇帝の二人目の皇妃の息子に当たる。ロンバルトから見て叔父、サスキントから見て甥という関係だ。ふたりは、幼い時から誰にとっても安心できる互いにほとんど唯一といえる遊び友達だったのだ。
成長した幼馴染は互いに子を持ち、政治的な配慮ではあるが子どうしが婚姻を結ぶ運びとなり、難しいことも数々あろうが、ともに親として皇太子夫妻を支えていこうと心に誓っていた。それは、帝国の為ではあるが、なによりも親として息子と娘が幸せであってほしいからに他ならない。
婚約に関する契約書面に水晶宮でのお茶会の項目を入れたのも、その親心のひとつだった。気楽に帝宮の外に出られない皇太子の為に公女の方から水晶宮を訪ねる形式になってはいるが、この契約は少なくとも親の心積りでは、“デート”なのである。
「陛下、内々でお話があります。正式な書類を出す前に耳をお貸しください」
「どうした」
「はい、水晶宮のことにて」
「なにかあったか」
公爵は、これをご覧ください、と言いながら昨夜書き上げた書面を渡した。
書面:要望書
要望書
サスキント公爵家は、ユリアス皇太子殿下とジュラルディン公女の婚約契約書の第13項付則について次の変更を求めるものである。
13項では、婚約成立から婚姻までの期間、水晶宮で皇太子と公女のお茶会がもたれることが規定されている。付則では、その日付は毎月10の日であり、開催は午後3時からおよそ2時間と指定されている。
この項目の付則につき、変更を要望する。
すなわち、日付、および日時の規定を削除、水晶宮あるいは皇太子名による、招待状をサスキント家に対して、少なくとも5日前までに届けること、これに対してサスキント家から出席の回答を届けることで成立するものとする。
以上、ご検討をお願い奉る。
サスキント公爵家、当主 ハーミリオン・サスキント
一読して皇帝は1年後には更に近しい親族になるはずの幼馴染であり同時に同い年の叔父である臣下に確認した。
「これは、公女が体の都合があるようになったことで、外出に制限ができた故でよいか」
「然るべく」
皇帝は、フム、と口に出し、公爵の顔を見た。お互いに表情を見ながら育った仲だ。警護や侍従などにはわからないほどかすかに首を左右する公爵。
「受領した、本日はよい日和で公女にお祝いを言うには良い日である。夕方より雨になるとの予測もあるゆえ、公爵には早めに帝宮を辞するがよい」
「は、ありがたく」
これは、一種の暗号である。皇帝は公爵に、仕事を早めに終えて、奥宮の皇帝私室に来るようにと伝えたのだ。
皇帝の一日は、午前中は行政官僚を呼びながら書類仕事に集中し、午後は陳情に耳を傾け、会議を主催、あるいは臨席して過ぎていく。
その日は、最後の陳情者の声に耳を傾け、執務室に帰ることなく奥宮 (皇帝一家の私的空間)に帰還した。侍従の手で流れるように表向きの上衣を取り去られ、奥向きのゆったりとした上着を着せかけられる。
「まもなく、サスキント卿が来る。卿の好みの酒と軽食を準備せよ」
「承りました」
侍従が一礼して立ち去ると、座り心地の良い大きなソファにどかりと腰を下ろした。
酒肴が届くより早く、幼友達が案内されてきた。
「陛下、お時間を頂きありがたく」
「ああ、座れ」
ローテーブルに酒肴が揃うと、「卿と雑談である、用があれば呼ぶ」として侍従を下がらせた。
一杯目は薄く作った蒸留酒を、お互いに目の高さに持ち上げてから飲み干す。
「何があったハーミリオン、話を聞こう」
「ありのままに言う。一応証明できる文書も用意した」
「何だ、公女のことか」
皇帝は、ジュラルディンがこれを機に婚約者から降りるのか、と聞いている。
「いや、水晶宮だ」
皇帝の目が細くなる。
サスキント卿が最初の文書を手渡す。それは、この半年間・5ヵ月分の、暁門をサスキント公女ジュラルディンが通過した記録だった。(皇国の暦は1年305日を10ヵ月、30日で区切り、5日は過越しと年迎えの祝祭日としている)
約定に従い、各月の10日、午後2時30分前後に入門、5時30分前後に出門した記録が抜き書きされており、当該記録が原本と相違ないことを証明する記録保管室長のサインと印が入っている。
「次は、こちらを」
それは、水晶宮の入門・出門記録で、おなじく記録保管室長のサインと印が入っている。
「これはどういうことだ」
皇帝の目がギロリと卿を睨みつける。
それは、暁門の入門・出門記録とは大きく異なっていた。
「それではこちらを」
皇帝は、文書にざっと目を通して、幼馴染の目しかないことに今更気が付いたように、
「これはどういうことだ!」
と、まるで青年時代の激昂しやすい皇子に戻ったような大声を上げた。
扉の外から、近衛兵が声を掛ける。
「陛下、扉を開きます」
直ちに扉が開き、皇帝は右手を挙げて中指を軽く折り、トラブルはないことを教える。室内を見回してサスキント卿以外の者がいないことを確認し、近衛兵は礼をして扉を閉めた。
その文書は、ジュラルディン本人の日記からジュリエッタとなったコンパニオン(ジュラルディン)が抜粋して書き写した、”お茶会の記録“だった。
皇紀723年、2の月10日
水晶宮到着2時50分頃;随伴、侍女・セミノ、メイド・カレン
皇太子殿下侍従、マルゲリアス卿より口上
「皇太子殿下は、ただいま帝宮より届きました確認書類に対して急ぎ対応中にございます、しばらくお待ちください」
3時30分ごろ、皇太子殿下入室。
「よくおいでくださいました」
お茶会は恒例通り特別な話はなく、最近の身辺事情を語る殿下に耳を傾ける。
不信と言えば、最後の殿下のお言葉。
「ジュラルディン姫、お体をお愛いあれ。くれぐれも無理をなさらぬよう」
わたくしはどこにも不調などないのに。一体誰が?
ただ、「ご配慮に感謝いたします」と述べ、退出。4時50分。
暁門出門、5時15分。
これが水晶宮で皇太子があらかじめ部屋で待っていなかった最初の日のことだ。
皇紀723年、6の月
水晶宮到着2時40分頃、随伴;侍女・セミノ、メイド・カレン
水晶門にて、迎えの侍従シュワイツ卿より口上
「本日、皇太子殿下は本宮においでにございます。公女さまにはお待ちあられますか」
当然の事なので、お帰りをお待ちするとセミノに答えさせ、いつものお茶会の部屋で殿下をお待ちする。
4時50分、シュワイツ卿より口上
「殿下のお帰りはないとのことです」
やむなく退出。
5時20分、暁門出門
皇帝の声が掠れて聞こえる。
「おい、これはどういうことだ。
この半年(5カ月)、アーサーはせっかく俺たちが設定してやった楽しいデートに遅れ、すっぽかし、水晶門の記録を改竄してまでその責めをジュラルディンに負わせているのか」
「そう思うか」
「どう思えと」
「俺とジャンヌは、シュワイツ卿だと考えている」
「ほう。卿というからには、侍従もグルか」
皇帝の目がじろりと睨みつける。ふたりの叔父、しかも外務卿と内務卿の揉め事など災厄の始まりか?
「シュワイツ公は間もなく養女を迎える意向だそうだ。殿下に釣り合う年頃の一門の娘らしい」
「そうか」
皇帝は、深く大きな息を吐き出し、薄めない酒をごくりと飲み干した。酒は喉に熱く突き刺さる。




