第一章「掟の旅立ち」 2
馬の手入れを終えたあとは旅の準備の確認を行い、午前中は終わってしまった。
フラッグスとの約束の時間が近づき、私は族長のテントへと向かった。
「失礼します」
テントの中は薬草をお香として焚いているのだろう、微かに柔らかな草の香りが漂っていた。
「きたか。そこに座りなさい」
座についたまま私に一瞥をおいたフラッグスは静かな声で席を促した。
それに私は「失礼します」と一言述べ、促されたとおり草を編んで作られた敷物に腰を下ろす。
「では旅立ちの許可の前にいくつか話をしよう」
「分かりました」
フラッグスの言葉に私はと短く答え、彼の次の言葉を待つことにした。
族長は目を細め、固く結んだ口元を少し歪めた。まるで何かに苦悩しているようだ。しかし、その表情は一息の間に消え、威厳ある声で私に問を投げかけてきた。
「今の部族の現状は知っているな。大人たちは少なく、お前を含め若者はそれよりも少ない。悲しいが部族としてはもう滅ぶ寸前のところまで来ている。その一族の長をなぜお前は継ごうとする?」
疑問というわけではない。これは私の意志を確認する質問だ。
「族長、私は生まれてまもなく両親を失い、この部族に生かされてきた。いうなればここは私の命のありどころなのです。自分の居場所を自らの手で守りたいと思う。ですから部族を継ごうと考えています」
「うむ。命のありどころか……」
静かに目を閉じフラッグスは一つ息を吐いた。
「お前が生まれてから20年か。お前の父親はお前が生まれたそのすぐあとに一族を継ぐため、旅にでたのだ。旅立ちの日、見送ったあいつが言っておったよ。生かされてきた、そしてこれから生きる命のありどころに恩返しがしたいと。……お前の言葉に当時を思い出したよ。親子とはやはり似るものなのだな」
「父がそんなことを……」
「だが、お前はまだ若い。旅を許可するにあたりこの答えだけではなく真なる答えを探してもらいたいとわしは思う。中身のある主義や意見に影響されるのは間違いではない。旅はお前にさまざまな人のありかたを見せてくれるはずだ」
「……分かりました」
「うむ」と一声の後にフラッグスは立ち上がり、壁に飾ってあった身丈ほどある杖を手に取り、私に差し出した。
「これは?」
「掟の旅へと向かうものへ送るサングリアの杖だよ。枝の採取はサラの家が、杖の加工はトガの家が行ってくれた。旅立つ前に礼を言うと良い」
元来、丈夫で加工が難しいサングリアの枝を丹念に加工したのだろう、表面はムラのない茶褐色でとても滑らかに仕上げられている。ところどころに使いやすいよう丁寧な削りがなされており、全てのつくりがこの杖にどれだけの時間をかけたのかを物語っていた。
「この杖はお前を支えたいという一族の想いだ。そしてその杖の重みはお前が支えなかればならない重みのごく一部だ。改めて旅の儀としておぬしに問おう。それを胸に刻むことをここに誓うか?」
杖を構えたフラッグスの厳かなる声が響いてくる。気後れしてはいけない。臆せず私は腹に力をこめて彼の言葉に返した。
「誓います」
「なれば、ここに旅立ちと帰還の契りを。……さあ、杖を受け取るがよい」
フラッグスに言われ杖を受け取る。身の丈ほどある杖は確かに手になじむものの少し重い。しかしこの重みは一族を束ねるためにも必要なものなのだろう。私は杖の重さに負けないよう、持つ手に力を込めた。
「ありがとうございます。族長」
「……うむ」
フラッグスは改めて席に戻った。旅の儀は終わりなのだろう。しかしまだ空気は重いままだ。
明かりをはさみ座るフラッグスは今朝見せた微笑んでいるのか、それとも悲しんでいるのかわからない複雑な表情をし、一息だけ大きく息を吐き出し間を取った後、私を見つめ言った。
「……正直なところ、族長ではなく、お前を育てた親としてお前の旅には反対なのだよ」
「許可をくださった今もですか?」
「ああ、そうだとも。旅は多くの困難と多くの悪意が付きまとう。わしの時もそうだった。ましてや今は戦争が終わったばかりで治安が不安定な町も多い。お前がこの大陸の暗部に食われやしないか親として心配なのだよ」
「すみません……。でも、それでも大地の今を私は見たいのです。」
「ああ、分かっている。それにな、族長としてはうれしくも思っていのだ。世が綺麗ではないということは、いつかは頭ではなく身を持って学ばなければならないこと。それをお前は学ぼうとしている。臆せずして世界を見て欲しい、お前はわしが育てた自慢の子だ。」
「はい、ありがとうございます」
「よろしい、なればいってきなさい、我が子よ」
「必ず帰ってきます。……義父さん」
一度杖を握りなおし、私は立ち上がった。旅立ちのときは来たのだ。




