一フレームの神様
道場の最奥です。
相手は秒針天使ティック。
開始挨拶にも、ご注意ください。
道場の最奥は、静かだった。
畳の中央に、金色の輪が浮いている。その下で、小さな天使が待っていた。背丈はコヨリより少し低い。白い羽。金色の輪。丸い頬。ふわふわの髪。見た目だけなら、絵本から出てきたみたいにかわいい。
ただし、手に持っているのは弓でも竹刀でもなかった。
長い秒針。
時計の針をそのまま槍にしたような、細くて鋭い針だ。
「ログル」
「はい」
「かわいい」
「はい」
「危険」
「非常に」
秒針天使は、にこりと笑った。
その笑顔が、あまりにもかわいかったので、コヨリは一瞬だけ見てしまった。
見てしまった時点で、遅かった。
チッ。
秒針が鳴った。
次の瞬間、世界が白く弾ける。
【死亡ログ】
【死因:開始挨拶の笑顔を見た】
【評価:顔ではなく、翼と床と秒針を見ましょう】
【追記:かわいいは罠です】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
道場入口。
コヨリは目を覚ますなり、畳に突っ伏した。
「笑顔で死んだああああああああああ!」
「勇者様、開始挨拶にも攻撃判定がありました」
「挨拶は平和のためのものだよ!」
「この道場では、平和そうなものほど危険です」
「神様の道徳の授業、受け直して!」
累計死亡回数、百三回。
道場内死亡回数、九回。
百回を超えてからの死因が「笑顔を見た」なのは、かなり納得いかない。黒狼、罠、魔法陣、モンスターハウス、監査コード。いろいろ死んできた。なのに、笑顔。絵面だけならほのぼのだ。死亡ログだけが血も涙もない。
ログルは、ティックの動きを宝石に再現した。
「秒針天使ティックは、こちらが視線を固定した瞬間に動きます。顔を見ると、視線が止まる。そこへ秒針を差し込むようです」
「顔が罠」
「はい」
「かわいいのに」
「かわいいからです」
「神様ァ! かわいいを悪用するな!」
ティックの攻撃は速い。速いというより、すでにそこにある。矢のように飛ぶのではなく、秒針が次の瞬間を刺してくる。射線を見ても遅い。床を見ても足りない。翼、輪、床、秒針音、影。全部を一度に見る必要がある。
そんな目はない。
「ログル、目、増やせない?」
「できません」
「カーバンクル型解析神獣なのに?」
「目を増やす種族ではありません」
「じゃあ神様に目を請求」
「却下されると思います」
「神様ァ! 目くらい支給して!」
ベルの声が、魔王軍資料室の小窓から届いた。
「勇者様、顔を見てはいけません。交渉でも戦闘でも、見た目の良い相手ほど資料を見るのが基本です」
「ベルさんの人生訓が重い!」
「サキュバス秘書ですので」
「説得力がありすぎる!」
ゼルドの声も続いた。
「幼き勇者よ。天使の笑顔を信用するな。余は昔、それで勇者歓迎式典を三時間延長された」
「魔王さんの被害が地味!」
「三時間の祝辞は苦痛だ」
「それは苦痛!」
ログルが小さく咳払いした。
「勇者様。ティックを見る場所を分けましょう」
「分ける?」
「顔は見ない。翼で始動を見る。輪で攻撃方向を見る。床で着地点を見る。秒針音で間隔を見る。影で本命を見る」
「情報量が宿題より多い」
「宿題は命を取りません」
「たまに心を取る!」
コヨリは立ち上がった。
顔を見ない。顔を見たら死ぬ。かわいい笑顔は罠。かわいいは危険。ひどい学習だ。でも、生きるためには仕方ない。
最奥の畳へ戻る。
ティックがまた、にこりと笑った。
見ない。
コヨリは顔ではなく、翼を見た。右の羽根が先に震える。金色の輪が、ほんの少し左へ傾く。床の畳目が、斜めに濃くなる。秒針音は、チッ、ではなく、チ、と短い。
左に来る。
いや、左へ見せて、影は右。
コヨリは右へ動かない。半歩、後ろ。畳の目が薄いマスへ。
一手。
秒針が、コヨリの前髪だけをかすめて通る。髪が一本、ふわりと落ちた。
「髪! 髪一本持っていかれた!」
「生存しています」
「髪もわたしの一部!」
「あとで整えます」
「ログル美容師もできるの!?」
「毛並み管理なら少し」
ティックが首を傾げた。かわいい。見ない。絶対に見ない。
秒針が二度鳴る。
チッ、チッ。
二連撃。コヨリは床を見る。最初の畳目は右。次の影は後ろ。なら、右へ行くふりをして、後ろへ下がる。顔芸ではない。体の重心を半分だけ右へ寄せる。審判者で覚えた、発生前をずらす動き。
一手。
最初の秒針が右を刺す。
一手。
次の秒針が、コヨリの一歩前を刺す。
避けた。
避けたが、ティックの輪が光る。床に小さな時計盤が浮かんだ。針は十二時を指している。十二時。上。天井。コヨリは上を見そうになる。見たら遅い。上ではなく、輪の影。影は床の右後ろへ落ちている。
コヨリは心の中だけで叫び、右後ろへ転がった。
一手。
天井からではなく、床から秒針が突き上がった。さっきまでコヨリがいた場所の真下だ。
「床から来るの、ずるい!」
「ですが読めています」
「読めてるけど怖い!」
ティックが初めて、秒針を少し止めた。
硬直。
今までの敵より短い。短すぎる。まばたきしたら消える。でも、ある。
コヨリは小石を持っていない。盾はある。羽根がある。さっき拾った白い羽根。報酬。神様の報酬は信用しない。けれど、道場の報酬なら使い道があるはずだ。
コヨリは羽根を投げた。
一手。
羽根はふわりと舞い、ティックの金色の輪に触れた。輪が一瞬だけ傾く。秒針音が乱れた。
チ、チチッ。
「音、崩れた!」
「今です。発生前の基準がずれています」
コヨリは走らない。走ると死ぬ。近づきすぎても死ぬ。なら、畳に落ちた監査済み小盾を足で押す。足で押すのも一手。盾は床を滑り、ティックの影を横切った。
一手。
ティックが影を守ろうとして、秒針を下げる。
その瞬間、翼が止まった。
硬直。
コヨリは短剣を抜いた。
速く動くのではない。
動くべき一瞬を、間違えない。
ベルの言葉が、頭の奥で光る。
ログルが見られない一瞬を、コヨリが見る。
帰るために、ほんの少し前を見る。
「ここ!」
一手。
短剣の刃が、ティックの秒針を弾いた。
秒針が折れる音は、時計が止まる音に似ていた。ティックの体が光になり、金色の輪がゆっくりほどけていく。最後に、天使はまた笑った。
今度は、攻撃ではなかった。
コヨリは少しだけ、その笑顔を見た。
死ななかった。
【試験終了】
【一フレーム道場:踏破】
【新規獲得:一フレームの神様 Lv.1】
【統合:予兆を見る Lv.1+発生前回避 Lv.1+硬直読み Lv.1】
【クラス兆候:時読み】
【帰還因子:時間 欠片反応】
畳の床に、青白い光が広がる。
壁の奥から、拠点の【帰る】の文字が見えた。遠い。けれど、さっきより少しだけ近い気がした。
コヨリはその場に座り込み、短剣を膝の上に置いた。
「勝った?」
「勝ちました」
「死んだ?」
「今回は、生きています」
「じゃあ、叫んでいい?」
「訓練終了です」
コヨリは天井に向かって両手を上げた。
「生きて勝ったああああああああああああああ!」
道場の死亡受付端末が、なぜか拍手音を出した。
「受付に拍手機能いらない!」
「祝福かと」
「死亡受付に祝福されても複雑!」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
拠点へ戻ると、反省会テーブルの上に新しい冊子が置かれていた。
表紙には、知識神ミネルの眼鏡マーク。
【一フレーム干渉および時属性帰還因子に関する説明書】
【全八百ページ】
コヨリは無言で冊子を閉じた。
ログルも無言だった。
ベルの小窓も沈黙した。
ゼルドの通信も、なぜか途切れたふりをした。
コヨリは、冊子をゆっくり持ち上げる。
「また八百ページ!」
拠点に、コヨリの叫びが響いた。
「次は説明書ダンジョンでしょ、これええええええええええええええ!」
壁の【帰る】の文字が、少しだけ光った。
【今回の死亡ログ】
死亡1:
【死因:開始挨拶の笑顔を見た】
【評価:顔ではなく、翼と床と秒針を見ましょう】
【追記:かわいいは罠です】
【今回のクリアログ】
踏破施設:【一フレーム道場】
撃破対象:【秒針天使ティック】
累計死亡回数:103回
道場内死亡回数:9回
獲得因子:【帰還因子:時間】欠片反応
解放施設:【一フレーム道場】正式登録
持ち帰り成功:【白い羽根の記録】【時属性訓練ログ】
ロスト:通常訓練用消耗品
【今回の勇者ステータス】
現在シード:拠点接続特殊ダンジョン【一フレーム道場】踏破
累計死亡回数:103回
クラス:【死因学者】
クラス適性:【時読み】兆候
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【死因ログ参照 Lv.2】
【死亡ログ改ざん Lv.1】
【神様報告遅延 Lv.1】
【総合盤面確認 Lv.1】
【危険察知 Lv.4】
【射線確認 Lv.3】
【罠感知 Lv.3】
【未識別警戒 Lv.4】
【帰還門感知 Lv.1】
【シード差分確認 Lv.2】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【一フレームの神様 Lv.1】
統合:【予兆を見る Lv.1】+【発生前回避 Lv.1】+【硬直読み Lv.1】→【一フレームの神様 Lv.1】
クラス兆候:【時読み】
帰還因子:【時間】欠片反応
拠点施設:【一フレーム道場】正式登録
※表示は主要スキルのみです。過去に得た細かいスキルは消失せず、統合済み・内部派生として保持されています。
統合元:射線上位派生/発生前回避系/硬直読み系/予兆観察系
【登場人物紹介】
秒針天使ティック:
かわいい天使型ボス。開始挨拶の笑顔で殺してくる。かわいいは罠。
コヨリ:
速く動くのではなく、動くべき一瞬を選ぶことで突破した。累計死亡回数は103回。
ログル:
解析が間に合わない場面でも、コヨリと一緒に見続けた相棒。成功ログが増えた。
ベル:
一フレームの神様を「動くべき一瞬を間違えないための感覚」と説明した有能秘書。
知識神ミネル:
全八百ページの説明書を置いていった。説明する気はある。読む側の体力は考えていない。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。コヨリの死に覚え攻略をこれからも見守っていただける方は、ブックマーク登録・評価・コメント・レビューで応援いただけると、とても励みになります!




