モンスターハウスは、扉を開ける前から始まっている
休憩室です。
もちろん休憩できません。
看板を信じたら、だいたい死にます。
扉の札には、たしかに【休憩室】と書かれていた。
木目は普通。取っ手も普通。扉の下からは、ほんのり温かい光が漏れている。中にはお茶と座布団があって、もしかするとおにぎりくらい出るかもしれない。
コヨリは、扉から三マス離れて腕を組んだ。
「ログル」
「はい」
「休憩室って、休める場所だよね」
「一般的には」
「この道場では?」
「死亡率が高い単語です」
「だよね!」
扉の下に、細い影があった。
秒針みたいに、ちっ、ちっ、と左右へ揺れている。普通の影ではない。灯りの揺れでもない。コヨリが一歩近づくたびに、影がほんの少しだけ濃くなる。
「これ、何の影?」
「解析中です。扉の向こうに複数の敵反応。ただし、扉を開ける前から起動準備が進んでいます」
「開けたらモンスターハウス?」
「開けなくても、近づきすぎるとモンスターハウスかもしれません」
「部屋の概念が出張してきた!」
壁の木札に文字が浮かんだ。
【初級四:扉を開ける前に始まっている】
「いやな詩みたい」
「おそらく訓練名です」
「訓練名がポエムだと信用できない」
扉まで三マス。二マスなら取っ手に手が届く。普通のダンジョンなら、扉を開けた瞬間に敵が見える。見えてから巻物、杖、逃走。だが、ここは一フレーム道場だ。見えたら遅い。光った床は次が爆発する。かわいい敵はフェイントする。
休憩室は、たぶん休ませない。
「手持ち確認」
「訓練用小盾、小石二つ、眠りの巻物一枚、壁生成の杖一回です」
「眠りの巻物って、部屋全体?」
「同じ部屋内の敵に有効です。ただし扉の外から読むと、現在いる場所だけが対象になる可能性があります」
「じゃあ開けてから読む?」
「開ける一手で敵が起動します」
「開ける前に読めない。開けたら死ぬ。神様ァ! 休憩室で詰ませるな!」
コヨリは扉の下の影をにらんだ。
ちっ、ちっ。
秒針みたいな影が揺れるたび、扉の向こうの気配が増える。壁の奥から、爪が床をこする音。小さな羽音。何かが瓶を振る音。どう考えても休憩室ではない。休憩しているのは敵だけだ。
「ログル、扉に近づいたら?」
「おそらく起動」
「扉を小石で叩いたら?」
「それも一手です。ですが、起動位置をずらせる可能性があります」
「ずらす?」
「扉を開ける前に、向こう側の待機状態を一部消費させる。モンスターハウス入口停止の応用です」
「言葉は難しいけど、小石で嫌がらせするってこと?」
「かなり雑ですが、合っています」
コヨリは小石を握った。
狙うのは扉の取っ手ではない。扉の下の影。秒針の先。影が右へ振れた瞬間、左端に小石を当てる。
チッ。
影が右へ行く。
コヨリは小石を投げた。
一手。
こつん、と小石が扉の左下に当たった。
扉の向こうで、何かが一斉に動いた。
そして、扉が内側から吹き飛んだ。
「開けてないのに開いたあああああああああああ!?」
中は休憩室ではなかった。
部屋いっぱいに、敵が詰まっている。弓木人形、空振り師範の小型版、魔法陣玉、眠り粉コウモリ、さらには【お茶どうぞ】と書かれた盆を持ったミミックまでいる。お茶がいちばん怖い。
コヨリの足元に赤いマス目が一気に走った。敵はまだ完全には動いていない。小石で起動をずらしたおかげで、こちらに一手だけ残っている。
でも、コヨリは一瞬だけ固まった。
敵が多い。多すぎる。部屋というより、苦情の詰め合わせだ。何を使う。眠りの巻物か。壁生成か。逃げるか。叫ぶか。叫んだら死ぬ。叫ばなくてもたぶん死ぬ。
迷った。
その迷いを、秒針の影が待っていた。
チッ。
影が、コヨリの足元を踏んだ。
【死亡ログ】
【死因:扉を開ける前にモンスターハウスが始まった】
【評価:休憩室を信じました】
【追記:看板に負けない心を持ちましょう】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
道場入口。
コヨリは起き上がると同時に、死亡受付端末を指さした。
「休憩室じゃない!」
端末は何も言わない。
「看板詐欺!」
端末は札を一枚増やした。
「札を増やすな!」
その時、端末の上から小さな紙吹雪が降った。
【累計死亡回数:100回】
【おめでとうございます】
【死亡受付常連ランクが上がりました】
コヨリは紙吹雪を頭に乗せたまま、固まった。
「......百回」
「はい」
「わたし、百回死んだの」
「はい」
ログルの声は、いつもより少し低かった。
コヨリは紙吹雪を一枚つまむ。白い紙には、小さく【生存時間更新を応援しています】と書かれていた。たぶんネムの端末が用意したものだ。お祝いなのか、慰めなのか、事務処理なのか分からない。
笑える。
笑えるはずなのに、少しだけ笑えなかった。
「百回死んでも、まだ帰れてない」
「......はい」
「帰るって書いたの、いつだったっけ」
「最初の拠点です」
「覚えてる?」
「記録にも残っています。ぼくも覚えています」
コヨリはログルを見た。
「記録だけ?」
「いいえ」
ログルは、短く答えた。
「百回分、帰るための記録は残っています」
紙吹雪が畳に落ちる。
コヨリは鼻をすすって、立ち上がった。
「じゃあ、百一回目はまだ先にする」
「はい」
「休憩室、攻略する」
「はい。今度は、見てから選ばない。開く前に、使うものを決めます」
「眠りの巻物」
「扉が開いた瞬間に読む」
「声は?」
「出さない」
「叫びたい」
「我慢です」
「勇者に厳しい!」
再挑戦。
コヨリは扉から三マス離れ、小石を握った。今度は投げた後に迷わない。扉が吹き飛ぶ。その瞬間に、眠りの巻物を読む。巻物は一手を消費する。敵も動く。だが、モンスターハウスの起動が半拍ずれていれば、眠りが先に入る。
コヨリは心の中で数える。
チッ。
小石を投げる。
一手。
扉が吹き飛ぶ。敵が見える。見てしまう。多い。怖い。けれど、もう決めている。コヨリは巻物を広げた。
一手。
【眠りの巻物】
白い文字が部屋いっぱいにほどけた。眠り粉コウモリが眠り、弓木人形が弓を構えたまま倒れ、ミミックの盆からお茶がこぼれる。空振り師範の小型版だけが半歩動きかけたが、目を閉じてすやすや倒れた。
コヨリは、息を止めたまま壁生成の杖を振る。
一手。
入口の左右に土壁が盛り上がり、部屋の敵との間に細い通路ができた。完全封鎖ではない。けれど、逃げ道はある。
「ログル」
「はい」
「今なら叫んでいい?」
「小声で」
「勝った......ちょっとだけ勝った......!」
部屋の奥、眠った敵の向こうに、次の襖が見える。
コヨリは休憩室だったはずの地獄を横目に、そっと通路を抜けた。途中、ミミックの盆に残ったお茶が湯気を立てている。
札には【お茶どうぞ】。
「飲まない」
「えらいです」
「百回死んだ勇者は、お茶にも勝てる」
「かなり低い勝利ですが、重要です」
襖の前に立つと、壁の木札が新しく光った。
【初級四:通過】
【記念ログ:累計死亡回数100回】
【内部更新:モンスターハウス入口停止】
「百回死んだ記念が、モンスターハウス入口停止なの?」
「とても実用的です」
「もっとかわいい称号がよかった」
「【避けた気はした勇者】など」
「それは嫌!」
次の襖の向こうから、冷たい光が差した。
光の色が、道場のものではない。白すぎる。神様の管理画面に似た、嫌な白だ。
ログルの宝石が、ぴりっと鳴った。
「勇者様。監査コードです」
「休憩の次が監査なの、世の中つらい!」
【今回の死亡ログ】
死亡1:
【死因:扉を開ける前にモンスターハウスが始まった】
【評価:休憩室を信じました】
【記念ログ】
累計死亡回数:100回
記念分類:【百回死んでも帰る勇者】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:拠点接続特殊ダンジョン【一フレーム道場】
累計死亡回数:100回
現在ダンジョン内死亡回数:6回
クラス:【死因学者】
クラス適性:【時読み】兆候中
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【死因ログ参照 Lv.2】
【総合盤面確認 Lv.1】
【危険察知 Lv.4】
【射線確認 Lv.3】
【罠感知 Lv.3】
【未識別警戒 Lv.4】
【予兆を見る Lv.1】
【硬直読み Lv.1】
【死亡ログ改ざん Lv.1】
【神様報告遅延 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
内部更新:【モンスターハウス入口停止】
内部更新:【眠りの巻物使用判断】
記念ログ:【百回死んでも帰る勇者】
※表示は主要スキルのみです。下位スキルは統合済み・内部保持されています。
【登場人物紹介】
コヨリ:
累計死亡回数100回到達。紙吹雪で祝われたが、本人はわりと複雑。
ログル:
百回分の記録を「帰るための記録」と言ってくれる相棒。
休憩室:
休憩できない。中身はモンスターハウス。看板詐欺。
死亡受付端末:
紙吹雪を出す機能がある。妙に腹が立つ。
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