見えてから避けたら遅いです
一フレーム道場、初級訓練です。
ただし初級の定義は神様基準です。
幼女基準では、だいたい殺意です。
【一フレーム道場】の中は、思ったより普通だった。
畳の床。白い壁。壁に掛かった木札。遠くに置かれた丸い的。入口の横には、きちんと死亡受付の小窓がある。
普通じゃないところを最後に置くな。
「ログル。死亡受付が内装に馴染んでる」
「長く運用されている施設ほど、受付導線が整理されます」
「死ぬ施設の導線を整理しないでほしい!」
受付小窓の奥では、ネムに似た黒い影がうつらうつらしていた。本人ではなく、死亡受付の簡易端末らしい。カウンターには小さな札が立っている。
【初回死亡の方は左の札をお取りください】
【常連の方は右の札をお取りください】
コヨリは右の札を見て、そっと左の札を取ろうとした。
「勇者様、右です」
「初回の気持ちで行きたい」
「記録が許しません」
「記録ぅ!」
道場の中央に立つと、足元に薄いマス目が浮かんだ。いつもの一手一動だ。コヨリが動かなければ、世界は動かない。けれど、奥の的だけは違っていた。
的の上に、小さな弓を持った木人形が立っている。顔はまん丸で、ほっぺたに赤い丸が描かれていた。かわいい。かわいいが、絶対に殺す顔だ。いや、顔はかわいい。だから余計に信用できない。
「ログル、あれ」
「初級訓練用の【予兆矢】です。矢が飛ぶ前に、床か壁か弓に小さな兆しが出るようです」
「予兆って、親切機能?」
「親切に見える罠は、だいたい罠です」
「名言みたいに言わないで!」
壁の木札に、墨の文字が浮かんだ。
【初級一:見えてから避けない】
「見えてから避けないなら、何を見ればいいの」
「それを訓練する場所です」
「説明が仕事放棄してる!」
奥の木人形が、ゆっくり弓を引いた。
コヨリは息を止める。床にマス目が走る。矢の射線が薄く赤く浮かぶ。正面。避けられる。右に一歩。コヨリは右足を出した。
一手。
矢が飛んだ。
避けた。
そう思った瞬間、矢が曲がった。
「曲がるなあああああああああああ!?」
矢は、コヨリの肩をかすめるように見えて、最後の最後で当たり判定だけを広げた。視界が白く弾ける。
【死亡ログ】
【死因:見えてから避けた】
【評価:目で追う速度ではありません】
【受付分類:避けた気はした死】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
コヨリは拠点ではなく、道場の入口に戻された。
死亡受付の簡易端末が、右の札を一枚増やしている。
「常連対応が早い!」
「道場内リスポーンです。拠点本体までは戻されていません」
「地味に便利だけど、便利さの方向が嫌!」
ログルは額の宝石を震わせていた。
「勇者様、大丈夫ですか」
「肩に当たった気がしたのに、心に当たった」
「物理的には死亡判定です」
「心配するなら最後まで心配して!」
ログルが道場の床を見た。コヨリもつられて視線を落とす。木人形が弓を引く直前、的の横に貼られた小さな札が、かすかに震えていた。矢が飛ぶ場所ではない。射線でもない。的の横の札。そこに書かれた「右」という文字が、ほんの一瞬だけ薄くにじむ。
「......あれ?」
「勇者様?」
「矢じゃなくて、札が先に動いた」
「はい。今のが予兆かもしれません」
「矢のほうを見たら遅いんだ」
コヨリは立ち上がった。
「次、札を見る」
「矢は?」
「見ない」
「勇者様、怖くありませんか」
「怖い。だから、怖いほうを見ないで、怖くなる前を見る」
木人形がまた弓を引いた。
コヨリは矢を見ない。見たくなる。めちゃくちゃ見たい。飛んでくるものを見ないのは、黒板に書かれた宿題を見ないふりするより難しい。いや、宿題は見なければ消えた気がするが、矢は消えない。
的の横の札が震えた。
今度は「左」。
コヨリは左へ動こうとして、口を開いた。
「左!」
その瞬間、世界が動いた。
大声が行動判定に引っかかった。足より先に声が一手になり、木人形の矢が放たれる。コヨリの体はまだ畳の上。矢だけが、きれいに飛んできた。
「声が一手扱いなのずるうううううううううう!?」
【死亡ログ】
【死因:予兆を見つけて叫んだ】
【評価:分かっても黙りましょう】
【追記:声量が元気でした】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
道場の入口で、コヨリは畳に正座した。正座なんて元の世界でも長くできないが、道場なのでつい正座してしまう。神様の罠だ。雰囲気で人を正座させる。
「世界、わたしの声に厳しすぎる!」
「敵に話しかける、大声を出す、物を落とす。これらは一手扱いになることがあります」
「仕様書に書いて!」
「たぶん八百ページのどこかに」
「八百ページを読ませるなあああ!」
今度は声を出さない。
矢を見ない。
札を見る。
木人形が弓を引く。札が震える。文字は「下」。
下?
コヨリは一瞬だけ混乱した。左右ではない。下。床。足元。畳の目が一筋だけ濃くなる。コヨリは盾を前に出さず、膝を折って伏せた。
一手。
矢が頭上を通り過ぎ、背後の壁に刺さる。
「......生きてる?」
「生きています」
「叫んでいい?」
「今は訓練終了判定です。どうぞ」
「生きたあああああああああああああ!」
今度の叫びは、矢を呼ばなかった。コヨリは畳の上でごろごろ転がりたい気持ちを抑え、木札を見上げる。
【初級一:通過】
【新規反応:予兆を見る】
ログルの宝石に、まだ薄い文字が浮かんだだけだ。正式獲得ではない。けれど、何かが引っかかった。
「ログル、今の」
「完全なスキル化には足りません。ただ、勇者様の視線が変わりました」
「矢を見るんじゃなくて、矢が飛ぶ前の場所を見る」
「はい」
「神様の雑な当たり判定、ちょっと見えた」
「かなり嫌な表現ですが、正確です」
道場の奥で、次の襖が開いた。
中から、薄い魔法陣の光が漏れてくる。床一面に、丸や三角や、踏んではいけなそうな線が走っていた。
「ログル。今度は床が光ってる」
「はい」
「光ってる床を避ければいいやつ?」
「さきほどの訓練を踏まえるなら、たぶん光っている床だけ見たら死にます」
「学習したくなかった方向に学習してる!」
コヨリは小盾を抱え、襖の向こうを見た。
「次は、光る前を見る」
【今回の死亡ログ】
死亡1:
【死因:見えてから避けた】
【評価:目で追う速度ではありません】
死亡2:
【死因:予兆を見つけて叫んだ】
【評価:分かっても黙りましょう】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:拠点接続特殊ダンジョン【一フレーム道場】
累計死亡回数:96回
現在ダンジョン内死亡回数:2回
クラス:【死因学者】
クラス適性:【時読み】兆候前
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【死因ログ参照 Lv.2】
【総合盤面確認 Lv.1】
【危険察知 Lv.4】
【射線確認 Lv.3】
【罠感知 Lv.3】
【未識別警戒 Lv.4】
【死亡ログ改ざん Lv.1】
【神様報告遅延 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
兆候:【予兆を見る Lv.1】
内部更新:【射線確認】の上位派生として、発生前を見る訓練開始
※表示は主要スキルのみです。下位スキルは統合済み・内部保持されています。
【登場人物紹介】
コヨリ:
矢を見て避けようとして死んだあと、予兆を見つけて叫んでまた死んだ。学習速度は高いが、声量も高い。
ログル:
今回の教訓を冷静に整理する相棒。コヨリの大声が一手扱いになったことを事務的に伝える。
死亡受付端末:
道場内リスポーン担当。顔はないが、なんとなく「またですか」と言っている気がする。
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