幕間 避けられない一撃、苦情対象になる
魔王軍相談窓口に、新しい苦情案件が届きました。
今回は「避けたのに当たった」攻撃です。
勇者、当たり判定へ正式抗議します。
拠点の白い床に、また封筒が落ちていた。
最初に気づいたのはログルだった。小さな前足で封筒の端を押さえ、額の宝石を淡く光らせる。封筒は魔王軍の黒い封蝋で閉じられていて、中央にはベルのきれいすぎる字で、やたら長い件名が書かれていた。
【神速攻撃および勇者側回避不能判定に関する共同苦情申立書】
コヨリは、それを読んだ瞬間、そっと封筒を裏返した。
「ログル、見なかったことにしよう」
「勇者様。封筒を裏返しても、苦情は消えません」
「じゃあ燃やそう」
「魔王軍公式文書です」
「じゃあ神様に送り返そう」
「それが本来の目的です」
逃げ道が全部ふさがっていた。
反省会テーブルには、死因研究室から伸びた紙束と、魔王軍資料室から届いた黒いファイルが積まれている。紙が勝手にめくれ、白い床の上に文字だけが騒がしく浮いた。
【被害報告:避けた後に当たる】
【被害報告:回避動作を追尾された】
【被害報告:当たり判定が後出しで広がった】
【死亡受付分類:避けた気はした死】
「ネムさん! 分類名! 分類名に悪意ある!」
「でも、最近増えてるんですよ。避けた気はした死」
いつの間にか、死神ネムが受付用の黒い帳面を抱えて立っていた。黒いパーカーの袖から指先だけ出して、眠そうな目で帳面をめくっている。
「コヨリさんだけじゃないです。魔王軍の兵士さんも、天使側の訓練兵も、けっこう来ています」
「みんな避けた気はしてるんだ......」
「はい。気持ちは避けています」
「体を避けたいの!」
その時、魔王軍資料室側の壁に黒い光の窓が開いた。映ったのはサキュバス秘書ベルだった。背後の棚には「神様案件」「残業案件」「燃やしたい案件」と札が並んでいる。
「勇者様、書類をご確認いただけましたでしょうか」
「確認したくなかったです」
「お気持ちは分かります。ですが、今回は魔王軍としても正式な共同抗議を希望いたします」
「魔王軍も困ってるの?」
「はい。訓練場で、避けたはずの部下が飛ばされました。しかも神様側の回答が『気合いで避けてください』でした」
「神様ァ! 気合いで避けられないから苦情になってるんでしょ!」
ベルの横から、黒い角とマントが映り込んだ。魔王ゼルドは、いつもより少し疲れた顔をしている。
「余の部下が、避けた後に当たる攻撃で十七名ほど訓練休暇を申請した。幼き勇者よ、これはもはや戦闘ではない。労災だ」
「魔王軍、ちゃんと休暇あるんだ」
「ある。神々よりは労働環境を整えている」
「魔王さんのほうが運営うまいの、どうなの......」
ログルが封筒の中身を広げた。矢の軌道、魔法陣の発光、敵の足運び。どれも一見すると、コヨリが今まで覚えてきた危険と同じように見えた。
でも、違う。
射線確認は反応している。危険察知も鳴っている。罠感知も、未識別警戒も、死因ログ参照も沈黙していない。みんな働いている。それなのに、最後の一手だけが間に合わない。
「勇者様。これは、通常の遠距離攻撃ではありません」
「遠くから撃ってくるやつじゃないの?」
「遠くから撃ってはきます。ただし、射線を見てから避けるのでは遅い攻撃です」
「見てから避けたら遅いって、もうどうしろと!?」
「撃たれる前に、撃たれる場所を読む必要があります」
「それ、予知じゃん!」
ログルは首を横に振った。
「完全な予知ではありません。攻撃には、発生前の癖があります。床の光り方、敵の重心、空気の震え、魔法陣の線の太さ、弓を引く前の肩の沈み込み。今までの【射線確認】は、飛んできたものと通る場所を見る力でした。これから必要なのは、飛ぶ前の一瞬を見る力です」
「一瞬......」
「神域属性で言うなら、時属性の入り口です」
時属性。
その言葉が出た瞬間、拠点の壁に書いた【帰る】の文字が、ほんの少しだけ光った気がした。帰還因子には、名前、座標、時間、記憶、縁、扉がある。時間なんて、まだ遠いと思っていた。けれど、目の前の苦情書類はコヨリをそこへ引っ張っている。
ログルは、資料の端に浮いた名称を前足で示した。
【一フレームの神様】
「......名前、かっこいい」
「はい。名前だけは非常にかっこいいです」
「名前だけって言った!」
「効果は、たぶん地味で怖いです」
ベルが別の紙をめくった。
「魔王軍では、その名称を神域戦闘用語として扱っています。一フレームとは、通常の一手よりもさらに細かい、攻撃が発生する直前の最小処理単位。神様側の雑な説明では『すごく短い瞬間』で済まされております」
「雑!」
「はい。雑ですので、こちらで言い換えます。一フレームの神様とは、速く動くための力ではございません。動くべき一瞬を間違えないための感覚です」
反省会テーブルの紙束が、ぴたりと止まった。
「勇者様が一手を選ぶ前、世界は盤面のように止まります。でも、神域の攻撃には、その盤面の外側から差し込むものがあります。完全に反則ではありません。ほんの少しだけ、先に兆しが出る。そこを読む。たぶん、それがこの名前の意味です」
「神様が一瞬だけ、こっちを見てるみたいな?」
「近いです。あるいは、神様が雑に作った一瞬の隙間を、勇者様が逆に見る力です」
「それ、ちょっとかっこいい」
「はい」
「でも、絶対死ぬやつだよね?」
「はい」
「即答しないで!」
ゼルドが腕を組み、重々しくうなずいた。
「幼き勇者よ。かっこいい名の訓練ほど、だいたい死ぬ」
「魔王さん、経験者の顔してる」
「余も昔、神速魔槍訓練場という施設名に騙された。神速で書類が増えただけだった」
「戦闘関係ない!」
「神々の訓練施設とは、そういうものだ」
ベルが最後の紙を表示した。
【施設候補:一フレーム道場】
【接続条件:死因学者クラス】
【補助条件:魔王軍資料室による外部記録バッファ】
【注意事項:死亡受付窓口あり】
「道場に死亡受付窓口置くな!」
「利用者数が多いので」
「人気施設みたいに言わないで!」
叫んだコヨリの声に反応して、拠点の奥がかすかに震えた。白い壁の一部が、古い障子戸のように形を変える。そこだけ畳の匂いがした。乾いた草と、冷たい鉄と、何度も拭かれた床の匂い。扉の上には、墨で書いたような看板が浮かんでいる。
【一フレーム道場】
【死亡受付はこちら】
コヨリは扉に近づき、札を見て、無言で回れ右した。
「帰る」
「勇者様、ここが拠点です」
「じゃあ寝る」
「訓練前の仮眠は有効ですが、問題は解決しません」
「ログルが急に真面目!」
ログルはいつもより静かに、コヨリの足元へ来た。
「勇者様。先に言っておきます。今回、ぼくの解析が間に合わない場面が出ます」
「......ログルが無理するなら、やめる」
「やめません。勇者様が帰るために必要な可能性があります。それに、ぼくが見られない一瞬を、勇者様が見られるようになるなら、それは成功ログです」
成功ログ。
死亡ログじゃない言葉が、拠点の空気を少しだけ変えた。
コヨリは壁の【帰る】を見た。その下には【忘れない】と【神様の仕様を攻略する】が並んでいる。死んだ世界は消える。でも、ここに書いたことは残る。
「ログル。一緒に見る。ログルだけが無理するの、だめ」
「では、一緒に」
コヨリは扉に手をかけた。
中から、畳の匂いと、秒針の音と、死亡受付の札が見えた。
「やっぱり受付あるうううううううううううう!」
叫びながら、コヨリは【一フレーム道場】へ足を踏み入れた。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:拠点接続特殊ダンジョン【一フレーム道場】
累計死亡回数:94回
現在ダンジョン内死亡回数:0回
クラス:【死因学者】
クラス適性:【時読み】兆候前
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【死因ログ参照 Lv.2】
【死亡ログ改ざん Lv.1】
【神様報告遅延 Lv.1】
【総合盤面確認 Lv.1】
【危険察知 Lv.4】
【射線確認 Lv.3】
【罠感知 Lv.3】
【未識別警戒 Lv.4】
【帰還門感知 Lv.1】
【シード差分確認 Lv.2】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:なし
兆候:【時読み】反応前
新規接続:【一フレーム道場】
※表示は主要スキルのみです。過去に得た下位スキルは消失しておらず、統合済み・内部保持されています。
【登場人物紹介】
コヨリ:
避けたのに当たる攻撃へ正式にキレた幼女勇者。
ログル:
解析が間に合わない可能性をコヨリに伝えた相棒。
ベル:
「一フレームの神様」を、動くべき一瞬を間違えないための感覚と説明した有能秘書。
ゼルド:
かっこいい名の訓練ほど死ぬと教えてくれる苦労人魔王。
ネム:
新分類【避けた気はした死】を持ってきた。分類名がひどい。
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