魔王相談窓口、正式開設
五十階、魔王軍苦情書類迷宮の中枢です。
勇者名、魔王軍登録名、本名が同じ場所に並びます。
そして次の苦情案件は、一手一動の外から来る攻撃です。
五十階には、敵がいなかった。
罠の気配もない。書類棚は動かず、白い監査紙も見当たらない。広い部屋の中央に、巨大な受付カウンターだけが置かれていた。黒い木材は磨かれて深い艶を帯び、上には三つの印章台が並んでいる。魔王軍の黒印、秘書課の銀印、そして勇者用の小さな青い印。カウンターの前には、幼女でも届くように踏み台が置かれていた。
コヨリは踏み台を見た瞬間、眉を寄せる。
「子ども扱い!」
「身長に合わせた合理的配慮です」
通信石からベルが即答した。
「言い方が強い!」
「神様には不足している概念です」
「それはそう!」
ゼルドはカウンターの奥に立ち、黒いマントを整えている。隣にはベルの本体が通信ではなく、半実体の姿で現れていた。眼鏡の奥の目は涼しく、スーツ風の魔族衣装は迷宮の湿った空気の中でも一切乱れていない。大人の色気と、事務処理で人を黙らせる圧が同居している。
コヨリに向ける態度は、あくまで秘書だった。
「勇者様、これより魔王相談窓口の正式開設処理を行います」
「はい」
「必要事項は三点。勇者名、魔王軍登録名、本名」
「はい」
「誤字、略字、気分による愛称、死亡予定時刻の自己申告は不可です」
「最後の、わたしが書くと思われてるの!?」
「事故例は先に潰す主義です」
「有能だけど刺さる!」
カウンターの上に、三つの欄が浮かぶ。
【勇者名】
【魔王軍登録名】
【本名】
コヨリは踏み台に乗った。少し高くなっただけで、見える景色が変わる。広いカウンターの向こうに、ゼルドの顔が見えた。魔王は大きい。でも、今は見下ろしてこない。ベルも、コヨリの筆先が震えないよう、書類を低い位置に調整している。
敵だった人たちの方が、神様より目線を合わせてくれる。
それが、少し悔しくて、少し心強かった。
「ログル、確認」
「はい」
「勇者名」
「コヨリ」
「魔王軍登録名」
「勇者様/苦情代表。共同申立人情報は別紙に紐づけます」
「本名」
「天野こより」
「神様登録名は?」
「まだ未修正です」
「じゃあ、ここに置く。神様が直してないなら、先にこっちで置く」
「はい」
コヨリは書いた。
【勇者名:コヨリ】
【魔王軍登録名:勇者様/苦情代表】
【本名:天野こより】
ベルが銀印を手に取る。動きは美しく、無駄がない。ゼルドが黒印を持ち上げた瞬間、ベルの目が鋭くなった。
「魔王様、それは私用印です」
「む」
「正式印はこちらです」
「魔王印にも種類があるの!?」
「ございます。破壊用、宣戦布告用、胃痛休暇用、正式相談用」
「胃痛休暇用が一番使ってそう!」
「使用頻度は機密です」
「否定しないんだ!」
正式印が押される。
黒と銀と青の光が重なった。カウンターの奥から、細い線が伸びていく。その線は拠点の死因研究室へ、思い出ログ棚へ、帰還門建設予定地へつながった。白い神様回線ではない。黒紫の魔王軍回線と、ログルの淡い宝石光が混ざった、まだ細いけれど切れにくそうな線だった。
【魔王相談窓口:正式開設】
【魔王軍資料室:正式解放】
【帰還因子:名前 欠片反応】
【魔王軍登録名:仮照合完了】
【本名:未完全照合】
【神様登録名:未修正】
コヨリは表示を読み、胸の前で手を握った。
「まだ完全じゃない」
「はい」
「でも、ちょっと進んだ」
「大きく進みました」
「ログルが大きくって言うなら、大きいんだよね」
「はい」
ベルが小さな黒い鍵を差し出した。
「こちらが、魔王相談窓口の鍵でございます」
「わたしが持っていいの?」
「勇者様は共同申立人であり、窓口利用者であり、主な死亡事故発生者です」
「最後の肩書きいらない!」
「重要です」
ゼルドは、カウンター越しに低い声で言った。
「勇者コヨリ。神は、我らを役割で呼ぶ。勇者、魔王、敵、味方、討伐対象。だが、お前が帰るためには、役割では足りぬのだろう」
「うん」
「ならば、余も役割だけで動くのをやめよう。余は魔王だ。だが、神の雑な仕様に苦情を出す者でもある」
「魔王さん、それちょっとかっこいい」
「そうか」
「でも肩書きは地味」
「言うな」
部屋に、少しだけ笑いが生まれた。
その笑いが消えきらないうちに、ベルが一枚の黒い書類をカウンターへ置く。紙の端には、赤い警告線が走っていた。
【次回相談案件:避けられない一撃について】
コヨリの顔から笑いが消える。
「避けられない一撃って、なに」
ゼルドが答える前に、ログルの宝石が重く光った。
「勇者様。神様側には、一手一動の外側から割り込む攻撃が存在する可能性があります」
「一手の外側?」
「こちらが一手を使う前、あるいは一手の隙間に発生する攻撃です」
「それ、ルール違反じゃん!」
「はい」
「基本スキルの意味、なくなるじゃん!」
「完全にはなくなりません。ただ、次の攻略には発生前の予兆を読む必要があります」
ゼルドは苦い顔でうなずく。
「魔王軍でも被害が出ている。強制魔王戦の開始前に、演出光だけが先に走ることがある。余の台詞より速い」
「台詞より速い攻撃、ずるい!」
「うむ。だから苦情対象である」
ベルが書類を一枚めくる。
【次回候補:一フレーム道場】
【関連因子:時間】
【危険分類:一手一動外干渉】
コヨリは踏み台の上で、両手を空へ突き上げた。
「行政手続きが終わったと思ったら、今度は反射神経!? 幼女に求める科目が多すぎるううううううう!」
ログルは、その叫びを聞きながら、魔王軍資料室へ新しい記録を送る。
【魔王相談窓口:開設完了】
【次回攻略対象:一フレーム道場】
【帰還因子候補:時間】
拠点へ戻ると、死因研究室の隣に黒い小部屋ができていた。受付カウンターにはベルの通信石、ゼルドの胃薬箱、そして幼女用の踏み台。コヨリは踏み台を見て、また少しだけ文句を言った。
けれど、鍵はポケットに入れた。
神様に読まれない記録を置く場所が、ひとつ増えた。帰るための名前は、まだ欠片だけ。けれど、その欠片はもう、コヨリ一人の手の中だけではない。
【今回の勇者ステータス】
現在地:拠点/魔王相談窓口
累計死亡回数:94回
魔王軍苦情書類迷宮内死亡回数:8回
現在クラス:【死因学者】
解放済みクラス:【勇者】【料理人】【魔法使い】【罠師】【弓使い】【魔物使い】【地図師】【死因学者】
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
獲得済み主要スキル:【死因ログ参照 Lv.2】【死亡ログ改ざん Lv.1】【神様報告遅延 Lv.1】【総合盤面確認 Lv.1】【危険察知 Lv.4】【罠感知 Lv.3】【未識別警戒 Lv.4】【射線確認 Lv.3】【帰還門感知 Lv.1】【シード差分確認 Lv.2】【店内装備禁止 Lv.2】【名前は丁寧に書く Lv.1】
第12章獲得・更新:【札も識別 Lv.1】【順番待ち確認 Lv.1】【薄い書類ほど読む Lv.1】【印章は道具で確認 Lv.1】【店の床を信じるな Lv.1】【店内装備禁止 Lv.2】【名前は丁寧に書く Lv.1】【監査書類を飛ばすな Lv.1】
統合済み・内部保持:料理、魔法、罠、射線、投擲、魔物、地図、人物、店対応、帰還門関連の下位スキルは消失せず、上位スキルまたは内部派生として保持。
今回の新規獲得・更新:拠点施設【魔王相談窓口】正式解放/【魔王軍資料室】正式解放
帰還因子:【名前】欠片反応
次回候補:【一フレーム道場】
関連因子:【時間】
【登場人物紹介】
魔王ゼルド:魔王にして、神様運営被害の共同申立人。胃痛休暇用の印がある。
ベル:魔王軍秘書。正式印の管理まで完璧な事務参謀。
コヨリ:勇者名、魔王軍登録名、本名を同じ場所に並べた幼女勇者。次は一手の外側と戦う予定。
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