神様側監査、魔王軍窓口に来る
名前の欠片を得た直後、神様側の監査が混ざり始めます。
白い書類は、魔王軍の黒い棚の中で妙に目立ちます。
触らなくても、飛ばすと死にます。
三十一階から、白い紙が混ざり始めた。
魔王軍の書類棚は黒い。背表紙も黒く、文字は銀で、角には小さな魔王軍印が押されている。その整った黒の中に、白い紙が何枚も差し込まれていた。まるで、夜の森に突然、光る骨が立っているようだった。
白い紙には匂いがない。魔王軍書式のインク臭も、古い革の匂いも、ベルの香水めいた甘さもない。匂いがないくせに、存在感だけが強い。
ログルの宝石が、肩の上で小さく震えた。
「勇者様、白い書類には触れないでください」
「神様の?」
「はい。魔王軍の書式に見せかけた監査書類です」
「神様、敵の書類棚にまで混ざるの!?」
「運営能力は低いですが、監査欲は高いようです」
「悪口が丁寧!」
白い書類の表題が、距離を置いたまま読める程度に浮かんだ。
【死亡ログ送信状況確認書】
【遅延理由報告書】
【解析神獣ログル動作監査票】
【勇者行動理由提出要求】
最後の一枚を見て、コヨリの眉が上がる。
「勇者行動理由提出要求ってなに。わたしが何で動いたか、今さら聞くの?」
「神様送信用ログの粒度が低下したため、追加提出を求めている可能性があります」
「前に送らないって決めたところを、書類で取りに来てるの?」
「はい」
「神様、書類になるとしつこい!」
通信石からベルの声が入る。今回はいつもより早い。
「勇者様、白い書類を直接解析しないでください。ログル様への監査が起動する恐れがあります」
「ベルさん、どうすればいい?」
「魔王軍備品の【監査紙つまみ】を使用し、魔王軍資料室経由で照合してください」
「また道具!」
「素手、鼻、髪、マントの端、小石、遠投小石での接触は禁止です」
「鼻の件、魔王軍資料に残ってるうううう!」
「重要事故例ですので」
コヨリは頬を膨らませながら、所持品を確認した。封印ばさみ。通行証。小石袋改。こども杖。未識別ではない薬草。問題は、小石袋改の底で、遠投の符が一枚くっついていることだった。
「ログル、白い書類をめくるだけなら、小石でいける?」
「危険です」
「触らないよ。飛ばすだけ」
「飛ばすのも接触に近い判定を取られる可能性があります」
「でも、監査紙つまみはどこ?」
「三十三階の小部屋です」
「三十一階で監査書類を出しておいて、道具は三十三階! 神様ァ! いや魔王軍? いやこれは神様が悪い!」
焦りが手を動かした。
コヨリは小石を一つ取り出し、白い書類の端へそっと投げる。つもりだった。
小石に、遠投の符が乗った。
石は白い書類を軽くめくるどころか、通路の奥まで一直線に飛んだ。書類も一緒に舞い上がり、部屋の境界線を越え、白い印章の描かれた床へ落ちる。
【監査書類:領域外移動】
【監査印章起動】
「触ってない! 飛ばしただけ!」
白い光が床から立ち上がる。書類棚の黒が白に塗りつぶされ、ログルの宝石へ細い鎖のような文字が伸びる。コヨリはログルを抱え込もうとしたが、その一手より先に管理光が走った。
【死亡】
【今回の死亡ログ】
累計死亡回数:94回
魔王軍苦情書類迷宮内死亡回数:8回
死因:【遠投小石で監査書類を部屋外へ飛ばした】
評価:【触らなくても飛ばすと起動します】
新規獲得候補:【監査書類を飛ばすな Lv.1】
拠点の死因研究室で目を覚ましたコヨリは、真っ先に小石袋改を逆さにした。小石がころころ転がり、底に張りついていた遠投の符がひらりと落ちる。
「これ!」
「はい。原因です」
「なんで小石袋に遠投の符が混ざってるの!」
「第十章の店事故以降、遠投関連の識別札を同じ袋へ入れたようです」
「過去のわたし! 分類! 分類して!」
再挑戦では、コヨリは三十一階の白い書類を無視した。いや、無視ではない。目で見て、場所を地図に書き、近づかない。監査紙つまみを取りに三十三階へ進むため、黒い棚の影を避け、白い紙から三マス以上離れて歩いた。
世界は一手一動。考えるだけなら、まだ動かない。コヨリは足を上げる前に、何度もログルと確認する。
「足元」
「通常床です」
「白い書類」
「右前方四マス。接触なし」
「小石」
「使いません」
「遠投符」
「別袋へ移しました」
「ログル」
「はい」
「怖い?」
「少し」
「じゃあ、絶対触らない。ログルを調べさせない」
「勇者様、攻略上は確認が必要です」
「触らないで確認する方法を探すの。第11章で覚えたでしょ」
「......はい」
三十三階の小部屋には、細い銀の道具が置かれていた。封印ばさみよりさらに繊細で、先端に小さな黒い布が巻かれている。
【監査紙つまみ】
ベルの声が通信石から届く。
「勇者様、それで白い書類の端を持ち上げ、内容を魔王軍資料室へ転送してください。ログル様は直接読まず、資料室経由で照合します」
「魔王軍資料室、もう使えるの?」
「仮接続です。正式開設は五十階到達後になります」
「仮でも神様より頼れる!」
「比較対象については、後ほど正式抗議文に記載します」
コヨリは監査紙つまみを使って、白い書類をそっと持ち上げた。今度は光らない。ログルの宝石は直接触れず、魔王軍通行証が黒紫に光る。
【魔王軍資料室 仮接続】
【監査書類:隔離照合】
書類の中身が、黒い文字へ変換されていく。
【解析神獣ログル動作監査票】
【送信粒度低下を確認】
【追加監査対象:魔王軍側記録保管先】
コヨリは唇を結んだ。
「バレてる」
「完全にはバレていません。疑われています」
「疑われてるの、ほぼバレてるじゃん」
「はい」
「ログル、後悔してる?」
「していません。怖いだけです」
「じゃあ、一緒に怖がるやつ、継続」
「はい」
四十階の扉が開くと、奥に黒い資料棚が見えた。まだ扉の隙間だけだが、神様の白い光とは違う場所に、コヨリたちの記録を置ける可能性がある。
魔王軍資料室。
敵の城よりも、神様の会議室よりも、今は少しだけ頼もしく見えた。
【今回の死亡ログ】
累計死亡回数:94回
魔王軍苦情書類迷宮内死亡回数:8回
死因:【遠投小石で監査書類を部屋外へ飛ばした】
評価:【触らなくても飛ばすと起動します】
【今回の勇者ステータス】
現在地:魔王軍苦情書類迷宮 40F到達
累計死亡回数:94回
魔王軍苦情書類迷宮内死亡回数:8回
次回開始:Lv1/HP15
現在クラス:【死因学者】
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
獲得済み主要スキル:【名前は丁寧に書く Lv.1】【店内装備禁止 Lv.2】【死亡ログ改ざん Lv.1】【神様報告遅延 Lv.1】【死因ログ参照 Lv.2】【総合盤面確認 Lv.1】【未識別警戒 Lv.4】
今回の新規獲得・更新:【監査書類を飛ばすな Lv.1】
関連内部スキル:【印章は道具で確認 Lv.1】【投擲前確認 Lv.1】【神様報告遅延 Lv.1】
拠点施設候補:【魔王軍資料室 仮接続】
備考:神様側監査は、触らなくても飛ばすと起動します。遠投は便利で怖い。
【登場人物紹介】
ベル:監査紙つまみを案内する有能秘書。鼻の接触事故を重要事故例として記録している。
ログル:神様側から監査対象にされ始めた解析神獣。怖いが、後悔はしていない。
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