魔王軍売店は親切、でも店は店
魔王軍売店に到着です。
注意書きは親切、値札も親切、店主も笑顔。
それでも店内で一歩間違えれば泥棒判定です。
十一階に降りた瞬間、コヨリは甘い匂いを感じた。
紙とインクばかりだった通路の奥に、温かいパン、薬草茶、磨いた金貨の金属臭が混ざっている。黒い絨毯の上に商品が整然と並び、棚には巻物、腕輪、通行証、壺、薬草が一つずつ値札つきで置かれていた。壁には大きな注意書きが貼られ、字は読みやすく、危険な箇所は赤で囲んである。
【店内での遠投禁止】
【未識別品の試食禁止】
【支払い前の通行証持ち出し禁止】
【盗む意思がなくても、出口を越えた時点で泥棒判定です】
【魔王軍は説明しました】
店主は小柄な悪魔商人だった。丸眼鏡に、きちんと結んだ蝶ネクタイ。にこにこ笑っているが、足元には太い棍棒が置かれている。笑顔と棍棒の組み合わせが、店の床より怖い。
「ログル」
「はい」
「神様より説明が親切すぎて、逆に怖い」
「説明後に死ぬと、言い訳できません」
「説明責任を果たした上で殺しに来るな!」
黒い絨毯は、店の領域を示しているらしい。絨毯の外は通常通路。通行証は、棚の中央に置かれていた。値札には【一二〇〇魔王軍貨】とある。コヨリの手持ちは、ちょうど一三〇〇。買える。買えるが、ほぼ全部なくなる。
「通行証、高い」
「重要書類です」
「命より高い?」
「過去実績では、命より高い場面があります」
「わたしの命の値段、店で変動するのやだなあ」
コヨリは商品棚の前に立ち、通行証へ手を伸ばした。持ち上げる。軽い紙なのに、責任だけが重い。
「値段を確認して、財布を出して、店主さんの前へ......」
「勇者様、足元」
「へ?」
値札を見ようと一歩下がった。
その一歩で、黒い絨毯の端を越えた。
【泥棒判定】
店主の笑顔が、音を立てずに深くなった。次の瞬間、姿がぶれる。倍速どころではない。商人の皮をかぶった処刑装置が、棍棒を振り上げていた。
「盗む気はなかったああああ!」
棍棒が来る。
【死亡】
【今回の死亡ログ】
累計死亡回数:91回
魔王軍苦情書類迷宮内死亡回数:5回
死因:【支払い前の通行証を持って絨毯の外へ出た】
評価:【盗む意思は不要です。判定は床がします】
新規獲得候補:【店の床を信じるな Lv.1】
次の挑戦では、コヨリは絨毯の境界へ小石を置いた。赤い糸も置いた。さらにログルが地図に黒い線を引く。通行証を見るだけで、ここまで大げさな準備がいる。だが、コヨリはもう床の判定を信じない。
「ログル、確認」
「絨毯内側です。商品はまだ棚の上。勇者様の手は空です。財布は足ります。店主様は笑顔です」
「笑顔って安全?」
「いいえ」
「知ってた!」
通行証を買う前に、他の商品も見る。巻物、壺、腕輪。未識別腕輪の値札は高い。高いものは強い。強いものは事故る。コヨリは学んでいる。
なのに、腕輪はとてもきれいだった。
銀色の輪に、小さな黒い宝石がついている。手首に通せば、何か便利な効果がありそうだ。店主は笑顔。ログルは無言。無言が一番怖い。
「ちょっと装備して効果を見るだけなら......」
「勇者様」
「まだつけてない」
「顔がつけています」
「顔を先に装備扱いしないで!」
それでも、誘惑は強かった。コヨリは腕輪を持ち上げ、そっと手首に通した。
【会計前引き寄せの腕輪】
床の商品が、全部コヨリの足元へ吸い寄せられた。巻物、草、壺、通行証、胃薬購入申請書まで、ぞろぞろ集まる。悪魔商人の笑顔が完成する。
【大量持ち出し準備判定】
「商品が勝手に来たんですけどおおおおお!」
棍棒が来る。
【死亡】
【今回の死亡ログ】
累計死亡回数:92回
魔王軍苦情書類迷宮内死亡回数:6回
死因:【店内で会計前引き寄せの腕輪を装備した】
評価:【商品が寄ってきても、支払い義務は寄ってきます】
新規獲得候補:【店内装備禁止 Lv.2】
三度目の魔王軍売店。
コヨリは、腕輪の棚に背中を向けた。見ない。見たら欲しくなる。欲しくなると、心が一歩動く。心の一歩はターン消費しないが、手が動いたら終わる。
「ログル、確認」
「通行証、棚の上です。腕輪、見ていません。壺、未識別です。店主様、笑顔です。黒い絨毯、勇者様の足元から二マス後ろまで続いています」
「財布」
「一三〇〇魔王軍貨」
「通行証」
「一二〇〇魔王軍貨」
「買ったあと」
「残り一〇〇魔王軍貨。胃薬購入申請書は買えません」
「魔王さん、ごめん」
「魔王様は自費で買うと思われます」
通信石が震え、ベルの声が入る。
「勇者様、店内確認手順としては優秀です」
「ベルさんに褒められた!」
「ただし、魔王軍基準では幼稚園の遠足前確認です」
「褒めたあと落とすのやめて!」
「遠足前確認を怠ると、死亡しますので」
「遠足と死亡を並べないで!」
コヨリは通行証を取り、絨毯の内側を歩き、店主の前に立つ。金貨を出す。店主は笑顔のまま、金貨を数え、通行証に小さな黒い印を押した。
【魔王軍通行証:仮登録】
通行証は、ただの紙ではなくなった。コヨリの手の中で、薄い黒紫の光を帯びる。ログルの宝石が同じ色に応えた。
「買えた」
「はい」
「盗んでない」
「はい」
「腕輪もつけてない」
「かなりえらいです」
「今日のわたし、店で普通に買い物できた!」
「勇者様、基準が低いですが、大きな進歩です」
「低いって言わないで!」
黒い絨毯を出る前に、コヨリはもう一度振り返った。棚の腕輪は、まだきれいに光っている。欲しい。とても欲しい。でも、手は伸ばさない。
通行証を胸に抱えたまま、コヨリは店を出た。背中に店主の笑顔が刺さっている気がしたが、泥棒判定は出なかった。
それだけで、少し勝った気分になった。
【今回の死亡ログ】
累計死亡回数:92回
魔王軍苦情書類迷宮内死亡回数:6回
主な死因1:【支払い前の通行証を持って絨毯の外へ出た】
主な死因2:【店内で会計前引き寄せの腕輪を装備した】
評価:【盗む意思は不要。店内装備も不要です】
【今回の勇者ステータス】
現在地:魔王軍苦情書類迷宮 20F到達
累計死亡回数:92回
魔王軍苦情書類迷宮内死亡回数:6回
次回開始:Lv1/HP15
現在クラス:【死因学者】
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
獲得済み主要スキル:【印章は道具で確認 Lv.1】【薄い書類ほど読む Lv.1】【札も識別 Lv.1】【順番待ち確認 Lv.1】【未識別警戒 Lv.4】【泥棒判定警戒 Lv.1】【死因ログ参照 Lv.2】
今回の新規獲得・更新:【店の床を信じるな Lv.1】/【店内装備禁止 Lv.1】→【店内装備禁止 Lv.2】
関連内部スキル:【店内試食禁止 Lv.1】【投擲前確認 Lv.1】【泥棒判定警戒 Lv.1】
獲得アイテム:【魔王軍通行証:仮登録】
備考:店内では、盗む意思より床判定が強い。魔王軍は説明しました。
【登場人物紹介】
悪魔商人:魔王軍売店の店主。笑顔が丁寧で、棍棒が速い。
ベル:遠足前確認レベルで勇者を褒めてくれる有能秘書。
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