倒せない敵は、倒さない
二十六階から二十九階は、深層高レベル地帯です。
敵は強い。正面から勝てない。
だから、倒さず抜けます。
二十六階へ降りた時、コヨリはすぐに分かった。
ここから先は、今までの階と違う。
通路の空気が重い。床の罠は見えにくく、壁の向こうから足音がする。一歩ごとに満腹度が削れるような圧があり、ログルの宝石もいつもより暗い色で光っていた。
「ログル、嫌な数字?」
「かなり嫌です」
「どれくらい?」
「正面から戦うと、だいたい死にます」
「ふわっとじゃなくて、きっぱり死って言った!」
最初に現れたのは、深層鎧鬼だった。大きな鎧を着た鬼で、手には分厚い斧。コヨリはLv18まで育っている。HPもそこそこある。ここまで死なずに育てた結果だ。だから一度だけ、木剣を構えた。
「いける?」
「おすすめしません」
「でも、レベル上がってる」
「敵のレベルも上がっています」
「ちょっとだけ」
コヨリの木剣は、鎧に弾かれた。深層鎧鬼の斧がゆっくり振り下ろされる。ゆっくり見えるのは、世界が一手を待っているからだ。避ける場所はない。
暗転。
【死亡ログ】
【死因:深層鎧鬼に通常攻撃で挑んだ】
【評価:殴っていい敵と、盤面で処理する敵がいます】
【累計死亡回数:74回】
【シード100内死亡回数:10回】
【新規獲得:倒さない判断 Lv.1】
拠点で、コヨリは反省会テーブルに書いた。
【深層鎧鬼は殴らない】
少し考えて、その下に書く。
【倒せない敵は、倒さない】
ログルはその文字を見て、静かに言った。
「勇者様。帰るのが目的です」
「うん」
「倒す必要のない敵は、倒さなくていいです」
「勇者なのに?」
「勇者だからです」
「......そっか。勇者って、全部倒す人じゃなくて、帰る道を作る人でもいいんだ」
次の挑戦では、コヨリは深層鎧鬼と戦わなかった。一時しのぎの杖で遠い罠部屋へ飛ばし、倍速黒狼・改には鈍足の杖を振る。遠矢の魔弓兵は砂けむりで命中をずらし、飢餓ガラスは小石で通路奥へ誘導した。
それでも、深層は楽ではない。
二十八階では、死因ログが壁からにじみ出た。黒狼、ミミック、火球、矢、食料切れ、パン、同じ顔。これまでの死因が、文字になって床を這う。コヨリは足を止めた。見覚えがある死に方ほど、心が引っ張られる。
「勇者様、今は現在の敵を」
「分かってる。でも、これ、全部わたしなんだよ」
「はい」
「全部、痛かったんだよ」
「......はい」
その一瞬、倍速黒狼・改が二手動いた。爪が迫る。コヨリは場所替えの杖で逃げる。間に合った。ぎりぎりだった。
「今の、死んでた」
「はい」
「死因ログ、役に立つけど、見すぎても死ぬ」
「記録は、見る量を選ぶ必要があります」
「死因学者って、もしかして心が強くないとなれない?」
「たぶん、とても」
二十九階に、最後の店があった。
店内には、白銀の小さなピンが一本だけ置かれている。値札は、持ち金のほぼ全額。コヨリは値札を二度見した。三度見した。数字は変わらない。
「高い」
「高いです」
「店主さん、まけて」
「深層価格だ」
「命の足元見てる!」
「命の近くで商売している」
店主はまったく悪びれなかった。ベルの通行証には、すでに注意書きが追加されている。
【二十九階店で盗まないこと】
【白銀の帰還ピンは購入推奨】
【泥棒した場合、魔王軍は救助できません】
コヨリは泥棒ルートを考えた。出口は近い。場所替えの杖は残り一回。砂けむりもある。いけるかもしれない。
ログルが真顔で言った。
「勇者様」
「まだ何もしてない」
「顔が泥棒の顔でした」
「顔で判断しないで!」
「行動傾向で判断しました」
「人物レイヤーをわたしに使うな!」
結局、コヨリは不要品を売った。強そうな巻物も、使いどころが難しい腕輪も、最後まで抱えていた予備の杖も売る。保存壺の奥には、高額未識別草だけを残した。
白銀の帰還ピンを買うと、手元が軽くなった。財布も軽い。心も少し軽いが、怖さは増えた。
「命より高い買い物、はじめて」
「命のための買い物です」
「正論が財布に痛い!」
店を出た直後、飢餓ガラスが飛び込んできた。満腹度が一気に削られる。コヨリは慌てて満腹薬を取り出した。
「腕輪!」
「外してます!」
「本当に?」
「本当に!」
「なら飲みます!」
飲んだ。今度は敵に飛ばない。満腹度が戻り、足に力が入る。コヨリは息を吐き、保存壺の奥の高額未識別草を見た。
「これ、飲む?」
「まだです」
「ここまで来てまだ?」
「帰還門前まで持っていく価値があります」
「飲むタイミングを引っ張りすぎて死ぬやつじゃん!」
「はい。その可能性もあります」
「正直すぎて怖い!」
二十九階の最後の通路で、神様の白い印章が床に浮かんだ。契約書のような模様。踏めば強制魔王戦へ飛ばされる気配がする。コヨリは一歩手前で止まった。
「神様ァ......床に契約書を置くな」
「回避できます」
「踏まなければ?」
「はい」
「じゃあ踏まない。わたし、成長してる」
コヨリは印章床を避け、三十階への階段前に立った。手持ちは少ない。白銀の帰還ピン、高額未識別草、少しの小石。杖はほぼ空。巻物もない。
階段の前に、黒い影が立つ。
帰還門番の影。
倒す相手ではない。階段へ乗れば勝ち。けれど影は倍速で、コヨリのHPでは一撃も受けられない。
「ログル」
「はい」
「倒さない」
「はい」
「抜ける」
「階段まで、あと三手です」
「手持ちは?」
「場所ずらしの巻物は、もうありません」
「つらい!」
「ただし、小石で影の向きをずらせます。成功すれば、階段まで一手短縮できます」
「失敗したら?」
「死にます」
「いつもの!」
コヨリは小石を握った。世界が盤面になる。影の向き、階段、壁、足元、満腹度、HP。全部を見る。見すぎると迷う。だから、必要な線だけを残す。
一手。
小石が影の足元に当たる。影の向きがずれる。コヨリは階段へ走った。
爪が背中に迫る。
【今回の死亡ログ】
今回増えた死亡回数:2回
累計死亡回数:75回
シード100内死亡回数:11回
主な死因1:【深層鎧鬼に通常攻撃で挑んだ】
評価:【殴っていい敵と、盤面で処理する敵がいます】
新規獲得:【倒さない判断 Lv.1】
主な死因2:【死因ログを見すぎて倍速敵に追いつかれかけた】
評価:【反省は大事ですが、現在の敵も見ましょう】
新規獲得候補:【死因ログ参照制限 Lv.1】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:シード100
到達階層:魔王城地下29F突破目前
次回開始:Lv1/HP15
クラス:勇者
副適性:地図師/死因学者候補
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済みスキル】
【倒さない判断 Lv.1】
【射線確認 Lv.1】
【間合い管理 Lv.1】
【罠感知 Lv.1】
【店内試食禁止 Lv.1】
【壺は先に識別 Lv.1】
【縁感知 Lv.1】
【死因ログ参照 Lv.1】兆候
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【倒さない判断 Lv.1】
新規獲得候補:【死因ログ参照制限 Lv.1】
購入:【白銀の帰還ピン】
保持:【未識別草:高額】
【登場人物紹介】
コヨリ:深層で、倒すのではなく抜けることを覚えた幼女勇者。財布は死にかけ。
ログル:泥棒顔を行動傾向で判断した相棒。便利だがちょっとひどい。
深層鎧鬼:殴ってはいけない敵。盤面で処理する相手。
帰還門番の影:三十階手前の門番。倒す相手ではなく、しのいで抜ける相手。
【ローグライクあるあるメモ】
深層では、敵を倒すより「一時しのぎ」「罠誘導」「逃げる」「階段へ乗る」が正解になることがあります。強い敵を全部倒そうとすると、アイテムもHPも心も足りません。
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