白い棚と、三十階の絶望
思い出ログ棚に、同じ名前が並びました。
次に向かうのは、魔王城地下の古い扉。
ただし、扉までの道は思ったより長いです。
思い出ログ棚は、白い拠点の壁に根を張るように広がっていた。
棚には、同じ名前の札がいくつも並んでいる。【ミーナ:パン屋】【ミーナ:女騎士】。【カイ:木剣の少年】【カイ:弓兵】【カイ:敵兵】。コヨリはその前に立ち、指先で札をなぞりかけて、やっぱり触れずに手を引いた。
「増えたね」
「はい」
「いいことなのかな」
「記録が消えない、という意味では」
「答えが優しいようで、ちゃんと痛い」
ログルは棚の下に置いた地図帳を開いた。前のシードで強く反応した【縁】の印が、薄い金色の線になって魔王城外縁の地図へ伸びていく。王都地下で見た古い扉、魔王城の地下で反応した白い光、魔王軍の苦情書類、ベルの勤務表メモ。ばらばらだった紙と記録が、反省会テーブルの上で一つの道になろうとしていた。
コヨリはテーブルに両手をつく。
「ログル。魔王城地下、もう一回見る」
「はい。そのために、シード100へ入ります」
「安定シードってやつだよね」
「到達可能性が高い、という意味の安定です」
「安全って意味じゃないんだ」
「神様基準では、安全の定義がかなり雑です」
「信用できない日本代表みたいな単語だあ」
そこへネムが、黒いパーカーの袖を引きずりながら歩いてきた。腕には分厚い死亡受付台帳。表紙には、なぜか小さな花丸が貼られている。
「累計死亡回数、六十四回です」
「花丸いらない」
「節目ではありませんが、よく続いているので」
「死亡を継続扱いしないで!」
ネムは悪気なく台帳を開く。黒狼、ミミック、爆発草、魔法誤爆、射線、罠、携帯食、同じ顔。いくつもの死因が、きちんと分類されていた。嫌な本だ。嫌な本なのに、ここまで来るのに必要だった本だ。
リュシアがホットミルクを置き、メリメルが保存食の袋を差し出す。袋の中で、赤いきのこが妙に元気よく揺れた。
「勇者ちゃん、長丁場なら食べ物は大事ですよ」
「メリメルさん、この赤いの」
「ちょっと刺激のあるきのこです」
「爆裂キノコだね!?」
「豊かに実りました」
「実らせないで!」
ログルが無言で爆裂キノコだけ別皿へ移した。その手つきが慣れすぎていて、コヨリは少し悲しくなった。
シード地図室の奥で、白い床が青く光る。立体地図が浮かび、魔王城の下へ地下構造が伸びていった。地下一階、地下二階、地下三階。そこまではコヨリも平静でいられた。
地図はまだ止まらない。
【地下十階】
【地下二十階】
【地下三十階】
コヨリは椅子に座った。正確には、膝から力が抜けて椅子に落ちた。
「ログル」
「はい」
「帰っていい?」
「帰るために潜ります」
「帰るために帰りたい!」
「気持ちは分かります」
「分かるなら十階にして!」
ログルの宝石に、さらに文字が浮かぶ。
【旧世界式帰還門照合用地下構造体・試験深層】
コヨリはしばらく見つめ、真顔で言った。
「長い。魔王城地下三十層でいい」
「では、通称として登録します」
「通称じゃなくて正式名にして。神様の名前、長いとだいたいろくでもない」
ネムが台帳の余白に「三十層」と書く。リュシアは明るく笑っていたが、目だけは少し真面目だった。
「ちび勇者ちゃん。十階ごとに戻れるの?」
「初回は未起動です。十階、二十階の帰還床を踏めば、次回以降の中継登録が可能になる見込みです」
「つまり、最初は死ぬまで潜るか、きちんと帰還床を起動するまで帰れないってこと?」
「はい」
コヨリはカップを両手で持った。甘い匂いがして、少しだけ呼吸が戻る。
「ログル。持ち込み枠」
「小石袋改、こども杖、保存壺小、識別の巻物一枚、ミーナ様の保存パン、罠消しの札、魔王軍仮通行証。全部は入りません」
「帰るためのダンジョンで荷物制限するなああああああああああああ!」
「制限がないと、神様が難易度をさらに上げます」
「神様ァ! 荷物を人質に難易度調整するなああああ!」
叫んだあと、コヨリは棚の方を見た。奥に薄く【元の世界:家族】の札が出ている。第9シードの終わりに見えたそれは、今度は完全には消えていなかった。ただ、触れられるほど近くもない。
コヨリはホットミルクを一口飲む。
「三十階、行く」
「怖くないですか」
「怖いよ。すごく怖い。三十階って聞いただけで帰りたい」
「はい」
「でも、あそこに近づけば、家のことが少し分かるかもしれない。ミーナさんも、カイも、魔王さんも、ベルさんも、ただ消えるだけじゃないかもしれない。だから行く」
ログルは少しだけ目を伏せた。
「今回は、ぼくも記録だけではなく、道を探します」
「うん。じゃあ、最初の作戦」
「はい」
「低層で死なない」
「かなり大事です」
「一階スライム死で第57話終わったら、わたし泣くよ」
「勇者様。話数のような概念は、本文では口にしない方が」
「じゃあ言い直す。低層スライム死で一日の気力が終わる!」
ネムが台帳を閉じる。
「死亡受付は開けておきます」
「閉めて!」
「たぶん、閉めると困ります」
「困るのが分かってるのが一番困る!」
白い床に、シード100への扉が開いた。コヨリは小石袋改を肩にかけ、硬い保存パンを腰袋にしまい、ログルを抱き上げる。
思い出ログ棚が、静かに光った。
【シード100接続】
【推奨クラス:勇者】
【副適性:地図師/死因学者候補】
【目的地:魔王城地下三十層】
コヨリは壁の【帰る】と【忘れない】を見た。
「行ってくる」
今度は、白い部屋の誰も茶化さなかった。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:拠点待機中
累計死亡回数:64回
シード100内死亡回数:0回
クラス:勇者予定
副適性:地図師/死因学者候補
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済みスキル】
【危険察知 Lv.2】
【足元確認 Lv.2】
【未識別警戒 Lv.2】
【罠感知 Lv.1】
【属性識別 Lv.1】
【射線確認 Lv.1】
【間合い管理 Lv.1】
【縁感知 Lv.1】
【思い出ログ記録 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
施設更新:【シード地図室:魔王城地下三十層表示】
施設更新:【思い出ログ棚:帰還因子反応欄】
作戦登録:【魔王城地下三十層踏破】
【拠点施設】
【椅子】【死因図鑑室】【鑑定机】【厨房】【属性検証卓】【罠訓練場】【射線訓練場】【魔物休憩所】【シード地図室】【人物レイヤー】【反省会テーブル】【思い出ログ棚】
【登場人物紹介】
コヨリ:三十階と聞いて椅子に沈んだ幼女勇者。それでも行く。
ログル:三十層を通称登録した解析神獣。今回は記録だけでなく道も探す。
ネム:死亡受付担当。累計64回の台帳を持ってきた。花丸は不要。
リュシア:ホットミルク担当の酒神。死んでも生きても飲み物を出す。
メリメル:保存食担当の豊穣神。爆裂キノコを豊かに実らせるので危険。
【ローグライクあるあるメモ】
長いダンジョンでは、準備の時点で勝負が始まっています。持ち込み枠、保存食、識別手段、帰還床。どれも大事ですが、まずは低層で死なないことが一番大事です。
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