思い出ログ棚に、同じ名前が二つ並んだ
倒さず逃がす道の先で、コヨリは答えではなく記録を持ち帰ります。
同じ顔、違う人生。
それでも、消したくない名前があります。
退避路の前で、世界がきしんだ。
カイは補助兵を抱え、片膝をついている。ミーナは砦側の通路で盾を構え、追撃の兵を止める形になっていた。コヨリは荷車の陰で息を整え、残った道具を確認する。
小石袋改、残りわずか。場所替えの杖、残り一回。吹き飛ばしの杖は空。眠り玉はない。未識別の巻物は、怖くてまだ読んでいない。
「ログル」
「はい」
「手持ち、だいぶ貧しい」
「命は残っています」
「一番高いやつ」
退避路は、古い地下階段に似ていた。降りればこの小競り合いからは抜けられる。だが、カイと補助兵はまだ階段まで届いていない。王国兵の一人が、ミーナの横を抜けようとしていた。
コヨリは未識別の巻物に手を伸ばし、すぐに引っ込める。
「読まない」
「賢明です」
「読んだら全員集合とか、床全部穴とか、神様ならやる」
「否定できません」
では、何を使うか。
場所替えの杖は一回。人と入れ替われば事故る。樽もない。石垣の横に、空の盾立てがある。重いが、人ではない。コヨリはそこに目をつけた。
「盾立てと、カイの近くの空きマスを入れ替えられる?」
「直接は無理です。杖の対象は実体です」
「じゃあ、盾立てと、あそこの壊れた木箱」
「可能です。木箱が動けば、カイ様の退路が開きます」
「カイ様って言った」
「記録名です」
「ふふ」
「笑っている場合ではありません」
世界が盤面になる。カイ、補助兵、ミーナ、追撃兵、木箱、盾立て、階段。赤い射線が一本、カイの肩を狙っている。
コヨリは杖を握った。
一手。
盾立てと木箱が入れ替わる。木箱がずれ、カイの退路が開いた。カイは驚きながらも補助兵を抱えて走る。追撃兵が矢を構えた。
「小石!」
コヨリは最後の小石を投げる。矢そのものではなく、弓兵の足元の石を狙った。跳ねた石が靴に当たり、狙いがずれる。矢はカイの頬をかすめるだけで済んだ。
カイが、こちらを見る。
「お前、なんでそこまで」
知らない目だ。知らない声だ。けれど、そこには困惑と心配があった。
「なんで助けたの」
コヨリが聞くと、カイは補助兵を抱えたまま眉を寄せた。
「分からない。でも、小さい子が死ぬのは嫌だ」
それだけで、十分だった。
コヨリは笑った。泣くより先に笑えた。カイが覚えていないことも、ミーナがパン屋ではないことも、何も解決していない。それでも、消えていないものがある。
ミーナが盾を打ち鳴らした。
「行きな、旅の子!」
「でも、ミーナさんは」
「名前を知ってるなら、次に会った時に礼を言いな!」
「覚えてないくせに!」
「なにか言ったかい?」
「なんでもない!」
コヨリは階段へ走った。足元確認、射線確認、階段前未練警戒。全部が頭の中で鳴る。戻らない。戻らず助ける。そう書いた反省会テーブルを思い出す。
カイと補助兵が階段へ入る。コヨリも続こうとした、その瞬間だった。
地面から白い光が伸びた。
神様の明るすぎる管理光とは違う。もっと古い。魔王城地下で見た扉の反応に少し似ている。ログルの宝石が、熱を持ったように光った。
【シード差分照合:異常】
【同一魂反応:複数】
【帰還因子:縁 反応】
「ログル、これなに」
「分かりません。ただ、帰還因子に近いです」
「近いって、どっちに!?」
「扉ではありません。座標でもありません。もっと、人に近い反応です」
光がコヨリの足を包む。逃げようとすれば一手。だが、この光は敵の攻撃ではない。ログルが止めない。それが答えだった。
カイが手を伸ばす。
「おい、小さいの!」
その声が、遠くなる。
ミーナの盾の音も、補助兵の泣き声も、砦の怒号も、白い光に沈んでいく。
暗転。
【死亡ログ】
【死因:同じ顔の別人を、別人として見捨てられなかった】
【評価:攻略効率は低下しました。帰還因子反応は上昇しました】
【新規獲得:縁感知 Lv.1】
白い拠点に戻っても、ネムはすぐに判を押さなかった。
「死亡処理、少し変ですね」
「死んだの?」
「形式上は死亡です。ただし、記録取得による強制帰還に近いです」
「死亡扱い、雑じゃない?」
「神様側の分類なので」
「神様ァ......」
いつものように大声で怒れなかった。
壁際の仮棚が、ぎしりと鳴った。木が伸びるように棚板が増え、白い拠点の壁に深く根を張る。ミーナの札が二つに分かれた。
【ミーナ:パン屋】
【ミーナ:女騎士】
カイの札も、三つに分かれる。
【カイ:木剣の少年】
【カイ:弓兵】
【カイ:敵兵】
コヨリは棚の前に立った。
「同じ人なの?」
「同じとは言えません」
「別人なの?」
「無関係とも言えません」
「ずるい答え」
「はい。ですが、正確です」
ミネルの八百ページ説明書が、どこからともなく飛んできて棚に収まった。ぶ厚い本の背表紙が光り、そこから一枚の紙だけが落ちる。
【同一魂反応:本人同一を示すものではない】
【ただし、行動傾向、選択癖、縁反応が保存される場合がある】
コヨリは紙を拾って、真顔になった。
「最初からこれ出して」
「ミネル様に伝えておきます」
「伝えたら八百ページで返ってきそう」
少し笑えた。
その時、思い出ログ棚の一番奥に、まだ読めない札が一瞬だけ浮かんだ。
【元の世界:家族】
コヨリは息を止めた。手を伸ばす。だが、札はすぐに薄くなり、白い棚の奥へ消えた。
「ログル」
「見えました」
「消えた」
「はい」
「でも、あった」
「はい」
ログルは、なかったことにしなかった。だから、コヨリも泣かなかった。
壁の【帰る】の下へ行く。羽ペンを取る。震える字で、コヨリは新しい言葉を書き足した。
【忘れない】
帰る。
でも、帰るために忘れるのではない。
消えるシードで出会った人も、覚えていない顔も、助けたいと思った自分も、拠点に残す。
思い出ログ棚が、静かに光った。
【拠点施設解放:思い出ログ棚】
【シード地図室更新:人物レイヤー】
【帰還因子:縁 強反応】
【クラス解放:地図師】
コヨリは深呼吸した。
「ログル。次は、魔王城地下の古い扉をもう一回見に行きたい」
「はい。今度は、地図だけではなく、人の記録も持っていきましょう」
「うん」
コヨリは棚を振り返る。
同じ名前が、二つも三つも並んでいる。楽しいだけの記録ではない。けれど、消えてしまうよりはずっといい。
「わたしが覚えてる」
小さな声だった。
ログルは、その声を記録した。
【今回の死亡ログ】
累計死亡回数:64回
シード088内死亡回数:7回
死亡時レベル:Lv5
死亡時HP:0/34
今回の死因:【同じ顔の別人を、別人として見捨てられなかった】
評価:【攻略効率は低下しました。帰還因子反応は上昇しました】
新規獲得:【縁感知 Lv.1】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:シード088終了
累計死亡回数:64回
シード088内死亡回数:7回
クラス:【地図師】解放
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済みスキル】
【危険察知 Lv.2】
【足元確認 Lv.2】
【未識別警戒 Lv.2】
【射線確認 Lv.1】
【間合い管理 Lv.1】
【感情中射線確認 Lv.1】
【非殺傷ルート選択 Lv.1】
【階段前未練警戒 Lv.1】
【食事前周囲確認 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【縁感知 Lv.1】
新規獲得:【思い出ログ記録 Lv.1】
新規獲得:【同一魂反応 Lv.1】
更新:【シード差分確認 Lv.1】→【シード差分確認 Lv.2】
解放:【クラス:地図師】
施設解放:【思い出ログ棚】
施設更新:【シード地図室:人物レイヤー】
帰還反応:【帰還因子:縁】強反応
【拠点施設】
【椅子】【死因図鑑室】【鑑定机】【厨房】【属性検証卓】【罠訓練場】【射線訓練場】【魔物休憩所】【シード地図室】【人物レイヤー】【反省会テーブル】【思い出ログ棚】
【登場人物紹介】
コヨリ:倒さず、戻らず、記録を持ち帰った幼女勇者。壁に【忘れない】を書き足した。
ログル:同じとも別人とも断定しない相棒。曖昧なものを曖昧なまま記録できるようになった。
ミーナ:パン屋であり、女騎士でもある札を持つ人。どちらもコヨリの中では消えない。
カイ:木剣の少年、弓兵、敵兵として記録された少年。どの立場でも、誰かを助けようとする。
ネム:珍しく茶化しきれなかった死亡受付担当。形式上の死亡処理に首をかしげた。
ミネル:八百ページを一枚に要約できるなら最初からしてほしい知識神。
【ローグライクあるあるメモ】
効率だけなら倒す方が簡単な場面があります。でも、倒さない選択でしか取れない記録もあります。今回の報酬は装備ではなく、思い出ログ棚と縁の反応でした。
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