パン屋さんが鎧を着ている
見慣れた村に、見慣れない兵舎がありました。
コヨリは知っている顔に会います。
でも、その人はコヨリを知りません。
青い空の下に落とされた瞬間、コヨリは顔から草むらに突っ込んだ。
「むぐっ」
「勇者様、開始位置は初期村外縁です。顔面着地によるダメージはありません」
「心にはある!」
草を吐き出しながら起き上がると、コヨリの視界にミルカ村の木柵が入った。井戸の位置も、広場へ続く道も、畑の並びも、見覚えがある。何度も死んで、何度も通った場所だから、平和そうな景色ほど信用できない。
コヨリはまず足元を見た。次に柵、井戸、空、屋根、道端の石を順番に見る。
「ログル、罠っぽい?」
「足元は安全です。井戸の横に小さな訓練用の杭がありますが、踏まなければ問題ありません」
「踏まなければ、って言われた瞬間に踏む未来が見える」
「見えているなら避けてください」
ログルは肩の上で地図帳を開いた。いつもの地形地図とは違い、余白に人物欄が作られている。コヨリが昨日、震える字でミーナとカイの名前を書いたページだ。
村へ入ると、コヨリはすぐに違和感に気づいた。
パン屋の看板がない。
そこにあったのは、小さな兵舎だった。扉の横には槍が立てかけられ、壁には手入れされた革鎧が吊ってある。焼きたてパンの匂いの代わりに、油と鉄の匂いがした。
「待って」
「はい」
「ここ、パン屋さんの場所」
「地形座標は一致しています」
「じゃあパン屋さんは?」
「役職差分の可能性があります」
「役職差分でパンが槍になるの、振れ幅おかしくない?」
その時、兵舎の扉が開いた。
出てきたのは、ミーナだった。
顔は同じ。大きな手も、笑うと目尻に皺が寄る感じも、コヨリの記憶にあるパン屋のおばちゃんと同じだった。けれど彼女は白い前掛けではなく、革鎧を着ていた。腰には短剣、背中には丸盾。手には、焼きたてパンではなく訓練用の木槍を持っている。
「おや、見ない子だね。旅の子かい?」
コヨリの口が、勝手に動きかけた。
ミーナさん。
でも、声にはしなかった。ログルの尻尾が、コヨリの頬を軽く叩いたからだ。
「勇者様」
「分かってる。知らない人。今は、知らない人」
コヨリの腹が、きゅう、と鳴った。
緊張していたのに、体は正直だった。ミーナは一瞬きょとんとして、それから鎧の腰袋を探る。取り出したのは、布に包まれた硬い携帯食だった。
「腹が減ってちゃ、勇者もできないよ。ほら、食べな」
同じ言葉だった。
パン屋のミーナが、かつてコヨリにくれた言葉と、ほとんど同じだった。
けれど、目の前のミーナはコヨリを知らない。心配そうに見ているのは、見知らぬ幼い旅人に対してであって、死に戻りを繰り返してきたコヨリにではない。
コヨリは携帯食を受け取った。指先が少し震えたのを、ログルは見ていた。何も言わず、人物欄に静かに書き込む。
【ミーナ】
【役職:女騎士】
【記憶:なし】
【行動傾向:食べ物をくれる】
「ログル、最後の欄」
「必要情報です」
「泣かせにきてる?」
「泣かせる意図はありません。ただ、重要です」
ミーナはコヨリの視線に気づいたのか、首を傾げる。
「どうしたんだい。携帯食、硬かったかい?」
「まだ食べてない」
「硬いよ。歯で負けるんじゃないよ」
「パンの注意としておかしい」
少しだけ笑えた。その一瞬で、コヨリは油断した。
嬉しさと痛さが混ざったまま、ミーナに駆け寄ろうとした。たった一歩。けれど、この世界では一歩が判定になる。
足元の土が、ぱかん、と開いた。
「うそおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
コヨリの体が半分沈み、訓練用の槍罠が横から飛び出した。致命傷ではない。だが、幼女勇者のHP15には十分すぎる。視界の端でミーナが慌てて手を伸ばす。
暗転。
【死亡ログ】
【死因:パン屋さんだと思って走ったら女騎士の訓練罠を踏んだ】
【評価:顔だけで判断しないでください】
【新規獲得:顔で判断しない Lv.1】
白い拠点に戻ったコヨリは、ネムの受付前で膝を抱えた。
「顔だけで判断しないって、分かってたもん」
「分かっていても足は動きました」
「ログル、優しく言って」
「かなりつらい罠でした」
「罠の感想じゃなくてわたしへの優しさ!」
ネムは台帳に判を押しながら、眠そうに言った。
「今回は調子に乗った死ではなく、感情で足が出た死ですね」
「分類が細かい!」
次の挑戦で、コヨリは兵舎の前に立っても走らなかった。ミーナが携帯食を差し出してくれた時も、足元を見て、杭の位置を確認し、ゆっくり手を伸ばす。
硬い携帯食を受け取る。今度は罠を踏まない。
「えらい、わたし」
「はい。かなりえらいです」
ミーナは不思議そうに笑った。
「変な子だねえ。まあ、腹が減ったらまたおいで」
コヨリは携帯食を抱え、地図帳に新しい線を引いた。パン屋の場所には、兵舎の記号。ミーナの名前の横には、小さなパンの絵と盾の絵を両方描く。
同じ顔。違う仕事。覚えていない人。
でも、食べ物をくれた。
コヨリは胸の奥が苦しくなるのを、携帯食の硬さのせいにした。
【今回の死亡ログ】
累計死亡回数:58回
シード088内死亡回数:1回
死亡時レベル:Lv1
死亡時HP:0/15
今回の死因:【パン屋さんだと思って走ったら女騎士の訓練罠を踏んだ】
評価:【顔だけで判断しないでください】
新規獲得:【顔で判断しない Lv.1】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:シード088
累計死亡回数:58回
シード088内死亡回数:1回
クラス:地図師候補
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済みスキル】
【危険察知 Lv.2】
【足元確認 Lv.2】
【未識別警戒 Lv.2】
【罠感知 Lv.1】
【射線確認 Lv.1】
【間合い管理 Lv.1】
【地図読み Lv.1】
【ルート選択 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【顔で判断しない Lv.1】
更新候補:【シード差分確認 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ:知っている顔を見て足が出た。死因は痛いが、心の方がもっと痛い。
ログル:優しく言ってほしい場面で正確な分類をする相棒。悪気は少ない。
ミーナ:このシードでは女騎士。コヨリを覚えていないが、やはり食べ物をくれる。
ネム:死亡受付担当。感情で足が出た死を淡々と分類する。
【ローグライクあるあるメモ】
見えている罠でも、焦ったり嬉しかったりすると踏みます。今回は宝箱ではなく知っている顔が罠でした。足元確認は、感情にも必要です。
続きが気になると思っていただけましたら、ブックマーク登録・評価・コメント・レビューで応援いただけると嬉しいです!




