幕間 白い拠点に、生活音が増えた
魔王城の地図を抱えて、コヨリは拠点に戻りました。
白いだけだった場所には、もう椅子以外の音があります。
でも、増えた記録ほど、消えた出会いも増えていました。
白い拠点は、もう白いだけの部屋ではなくなっていた。
最初にあった椅子は、今でも中央にある。けれど、その周りには死因図鑑室の扉があり、鑑定机の引き出しがあり、厨房からはスープを煮る匂いがした。奥では射線訓練場の的が、誰も触っていないのに軽く揺れている。魔物休憩所の小さな寝床では、ピヨラ用の毛布が丸く盛り上がっていて、コヨリは一瞬だけそこへ視線を奪われた。
「ピヨラ、今日はいないんだよね」
「記録召喚枠は安定していますが、本人の常時滞在ではありません」
「分かってる。でも毛布があると、いる気がする」
「......はい」
ログルは、それ以上を言わなかった。額の宝石を淡く光らせたまま、反省会テーブルの上に魔王城外縁の地図を広げる。そこには赤い×印と、コヨリの震えた字と、ログルが後から足した妙に上手なドクロマークが混ざっていた。
正門には【行かない】。補給庫には【支払い前に持たない】。階段横の宝箱には、黒いドクロの下に【宝箱ではなく処刑装置かも】と書かれている。
「ログル、この宝箱の扱い、ひどくない?」
「実績に基づく分類です」
「実績って言葉で心を刺すのやめて」
テーブルの端には、魔王軍苦情書類の断片と、ベルの勤務表メモが丁寧に重ねられていた。紙の角がきっちり揃っていて、神様の説明書よりよほど信頼できそうに見える。
「魔王軍、事務が強い」
「主神様側より提出書式が整っています」
「魔王軍の方が運営うまいの、世界としてどうなの」
「ぼくには回答権限がありません」
「回答権限、こういう時だけ便利に逃げるなあ」
コヨリは羽ペンを握り、地図の横に新しい紙を置いた。第8シードの反省点をそのまま並べると攻略メモになる。だから、今回はテーブルの上で、ログルと一つずつ声に出して確認する。
「魔王さん」
「苦労人です」
「ベルさん」
「有能事務です」
「魔王討伐」
「帰還条件としては、強い疑義があります」
ログルの宝石に、静かな文字が浮かぶ。
【帰還情報:魔王討伐条件に疑義】
コヨリはその文字を見たまま、羽ペンの先を止めた。神様に怒る言葉なら、いくらでも浮かぶ。説明不足、仕様書、チュートリアル詐欺、幼女を検証作業に使うな。どれも本当で、どれも今は少し軽すぎた。
「......じゃあ、わたし、何を探してたの」
ログルはすぐに答えなかった。
その沈黙を壊したのは、死神ネムだった。黒いパーカーの袖から手だけを出し、死亡受付の台帳を抱えてふらふら歩いてくる。眠そうな顔のまま、テーブルの空き場所に小さな紙束を置いた。
「常連様用の処理欄、増やしました」
「常連様って呼ばないで」
「では、死亡受付利用頻度が高い勇者さん」
「言い換えで傷を広げないで!」
ネムは悪びれもせず、お茶をすすった。湯気がふわっと上がり、緊張していた空気が少しだけゆるむ。そこへ酒神リュシアが、どこから持ってきたのか丸い椅子を抱えて現れた。
「反省会テーブルには、飲み物と座り心地が必要よ。ちび勇者ちゃん、ホットミルクにする?」
「する。お酒は置かないで」
「大丈夫、これは大人用」
「わたしの反省会に大人用を混ぜるなあああああああああ!」
リュシアは笑いながら、コヨリの前に湯気の立つカップを置いた。ミルクの甘い匂いに、コヨリの肩から少し力が抜ける。
その時だった。
壁際の棚が、小さく鳴った。
まだ正式な施設ではない。厨房の横に仮置きされた、古い木の棚。ミーナからもらったパンの記録、カイの木剣の記憶、アリアの受付票、ピヨラの寝床登録札。消えたシードで得た小さなものが、そこに雑多に収まっている。
棚の奥で、薄い札が光った。
【ミーナ】
【カイ】
コヨリは椅子から立ち上がった。近づくと、札の表面が水面みたいに揺れている。ミーナの札からは、焼きたてのパンに似た匂いがした。カイの札には、木剣と弓矢の影が重なっている。
「ログル、これ、なに」
「シード差分の予兆です。次の生成値で、人物役割が大きく変動する可能性があります」
「役職が変わるくらいなら......まあ、パン屋さんが違う店になってたり?」
言いかけたコヨリの声が、少し細くなった。ログルが黙ったからだ。
ログルは、嫌な数字が出ている時ほど説明が丁寧になる。今は違う。説明の前に、言葉を選んでいる。
「勇者様。顔が同じでも、同じ記憶を持つとは限りません」
「うん」
「同じ名前でも、同じ立場とは限りません」
「......うん」
「それでも、似た選択をすることがあります。誰かに食べ物を渡す、危ない人を助ける、そういう癖のようなものです」
コヨリはミーナの札に触れようとして、途中で指を止めた。触ったら、前のパン屋さんまで消えてしまいそうな気がした。
「覚えてるの、わたしたちだけなんだよね」
ネムも、リュシアも、からかわなかった。
ログルは宝石を光らせる。
【拠点施設候補:思い出ログ棚】
【シード地図室:人物レイヤー仮追加】
【警告:シード088、人物役割差分大】
コヨリはカップを両手で持ったまま、壁の【帰る】を見た。そこには、これまで何度も書き足した跡がある。帰る。絶対帰る。神様の仕様を攻略する。文字は不揃いで、ところどころ怒りで線が太い。
コヨリはその下に、まだ何も書かなかった。
ただ、棚の札から目を逸らさなかった。
「ログル。次、何で死なないようにする?」
「顔だけで判断しないことです」
「それ、すごく難しいやつじゃん」
「はい。だから、先に地図を作りましょう」
ログルは魔王城外縁地図をたたみ、新しい地図帳を出した。地形を書くための紙ではない。人物の名前と、今の立ち位置を書き込むための紙だ。
コヨリは深呼吸して、最初の欄にミーナとカイの名前を書いた。
文字は、少しだけ震えていた。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:拠点待機中
シード内死亡回数:0回
クラス:地図師候補
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済みスキル】
【危険察知 Lv.2】
【足元確認 Lv.2】
【未識別警戒 Lv.2】
【罠感知 Lv.1】
【属性識別 Lv.1】
【射線確認 Lv.1】
【間合い管理 Lv.1】
【魔物なでなで Lv.1】
【地図読み Lv.1】
【ルート選択 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
施設前兆:【思い出ログ棚】
施設前兆:【シード地図室:人物レイヤー】
更新候補:【シード差分確認 Lv.1】
【拠点施設】
【椅子】【死因図鑑室】【鑑定机】【厨房】【属性検証卓】【罠訓練場】【射線訓練場】【魔物休憩所】【シード地図室】【反省会テーブル】
【登場人物紹介】
コヨリ:魔王城の地図を持ち帰った幼女勇者。レアアイテムより、今は同じ名前の札が怖い。
ログル:解析神獣。説明を急がない沈黙を覚えた。たまにそれが一番刺さる。
ネム:死亡受付担当。常連様という言葉を悪気なく使うので危険。
リュシア:拠点に生活感を増やす酒神。コヨリにはホットミルクを出す保護者枠。
【ローグライクあるあるメモ】
地図が増えるほど安全になるとは限りません。次に必要なのは、地形だけでなく人の配置を読む力です。見覚えのある顔ほど、未識別アイテムより危ないことがあります。
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