帰還門仮接続――帰れるけど、まだ帰らない
帰還門、仮接続成功。コヨリは帰れます。でも、まだ帰りません。
帰還門の向こうに、玄関があった。
今度は、はっきり見えた。靴箱の木目、傘立ての傷、床に置かれたスニーカーの向き。雨上がりの道の匂いと、台所から残った夕飯の気配が、白い拠点の空気にほんの少し混ざっている。
わたしは、一歩も動けなかった。
「ログル」
「はい」
「ほんとに、帰れる?」
ログルはすぐには答えなかった。
でも、額の宝石の光は嘘をつかなかった。
「帰還実行は、可能です」
帰還門の文字が浮かぶ。
【帰還門仮接続:成功】
【同行者枠:1】
【ログル同行:仮承認】
【拠点接続:維持】
【帰還実行:可能】
可能。
その二文字が、喉の奥に刺さった。
ゼルドが門の横で頷く。
「行けるのだな」
「うん」
ベルは書類を胸に抱えた。
「帰還実行時は、わたくしが拠点側接続を維持いたします」
「ベルさん、ありがとう」
「どういたしまして。勇者様。ただし、接続維持中に主神様から照会が来た場合、法務文書で殴ります」
「殴るって言った」
「比喩です。半分ほど」
「残り半分が怖い」
ネムは死亡受付側から手を振る。
「できれば、もう受付に来ない方向でお願いします」
「わたしもそうしたい」
「本当にそう思っている人は、境界線の近くで宝箱を見る目をしません」
「宝箱じゃなくて家だから!」
ログルは隣に立っていた。肩ではなく、床の青い線の上。相棒として並ぶ距離だ。まだ仮。まだ不安定。でも、荷物欄ではない。
向こう側の玄関に、小さい傘が見えた。たぶん、わたしのだ。靴箱の上には、鍵がある。壁には見覚えのあるカレンダーがぼんやり揺れている。日付は読めない。読めたら、たぶん泣く。
「勇者様」
「なに」
「帰還実行は可能ですが、完全起動すると神様側に検知される可能性があります」
「だよね」
帰還門をここまで開けば、神様に見つかる。アドミニスが何をするか分からない。軽い顔で「見つけた」と言うかもしれないし、「まだ検証中なんだ」と笑うかもしれない。
わたしは帰りたい。
ずっと帰りたかった。
でも、ここで走って飛び込めば、ログルの仮承認も、拠点接続も、ゼルドたちの役割も、まだ不安定なままになる。帰れるかもしれない。けれど、帰った先で、何を落としたか分からない。
「ログル、今の成功率」
「単独なら高いです。同行あり、拠点接続維持、神様未検知状態のまま安定化させる場合は、低いです」
「低いって何割?」
「聞くと、勇者様が怒ります」
「じゃあ聞かない。えらい、わたし」
「かなりえらいです」
わたしは門の前にしゃがみ、床の境界線を見た。こちら側は白い拠点。向こう側は元世界。境目には、薄い青い線が一本走っている。帰宅猶予線。踏み越えれば、帰還実行。踏み越えなければ、保留。
足が勝手に前へ出そうになった。
ログルが何も言わず、隣に立つ。
「止めないの?」
「止めたいです」
「止めていいよ」
「でも、勇者様が帰りたいことを、ぼくは知っています」
ずるい。
止めてくれたら、怒れたのに。
わたしは小さく息を吸った。向こう側の空気が胸に入る。懐かしくて、痛い。
「帰る」
「はい」
「でも、今じゃない」
言葉にした瞬間、門の光が少しだけ安定した。
【帰還実行:保留要求】
【帰宅猶予線形成:更新準備】
その直後、床の青い線が揺れた。仮接続の境界が一瞬だけ広がり、わたしの足先に触れる。
「勇者様!」
ログルが叫ぶ。わたしは足を引こうとした。だが、境界線はぬるい水みたいに足首をつかんだ。
向こう側の玄関が近づく。靴箱の角。鍵。傘。たぶん家。
「まだ!」
わたしは自分のほっぺたを叩いた。
「まだ帰らない!」
一手。
境界線から足を引き抜く。反動で体が後ろへ倒れ、ログルが支えようとしてくれる。距離が近すぎる。仮承認が警告を鳴らす。
【接続反動】
【未確定座標に弾かれます】
「そこは弾かなくていいいいいいいい!」
きりのいい数字で死ぬの、ちょっと腹立つ。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【死亡ログ】
【死因:仮帰還の境界線を踏み越えかけ、未確定座標に弾かれた】
【評価:帰れる時ほど足元確認】
【総死亡回数:1100回】
【更新:帰宅猶予線形成 Lv.1】→【帰宅猶予線形成 Lv.2】
拠点に戻る。
門は消えていなかった。死んで戻った直後なのに、ネムの受付窓も開かない。死亡処理ではなく、接続反動として扱われたらしい。
「ログル」
「はい」
「今、死んだよね」
「はい。境界反動による未確定座標弾きです」
「言い方が難しい」
「帰りかけて弾かれました」
「簡単にしても腹立つ」
帰還門には、新しい表示が残っている。
【帰還門仮接続:成功】
【同行者枠:1】
【ログル同行:仮承認】
【拠点接続:維持】
【帰還実行:保留】
【総死亡回数:1100回】
「千百回」
「死亡回数にきりの良さを求めないでください」
「でも、ここまで来た」
「はい」
ゼルドが静かに近づいてきた。
「幼き勇者。門は?」
「開いた。帰れた。たぶん。でも、今は帰らない」
「そうか」
ベルも書類を胸に抱え、少しだけ表情をやわらげた。
「おめでとうございます、と申し上げたいところですが」
「まだ早い?」
「はい。主神様に検知される前提で、防衛書類を組み直します」
「防衛書類って何」
「攻撃的な書類です」
「書類は攻撃しないものだよ」
「状況によります」
ハコベエ箱が、そろりとふたを開けた。
「帰還記念割引券を」
「今じゃない」
「では、神様襲来前セールを」
「もっと今じゃない!」
少し笑いが起きた。ほんの少しだけ。でも、その笑いは消えなかった。消したくなかった。
帰還門の奥で、白い光が一度だけまたたいた。
わたしは立ち上がり、壁の【帰る】の下に書き足した。
【つないで帰る】
持ち帰るんじゃない。
つないで、それから帰る。
壁に書いた【つないで帰る】の文字を、ログルが宝石の光でなぞった。白い壁に、細い青が重なる。死因図鑑室の奥では、千百枚ぶんの札が静かに揺れていた。ひとつひとつは嫌な死に方の記録なのに、今は階段みたいに見える。
「ログル」
「はい」
「千百回って、多い?」
「多いです」
「そこは慰めて」
「ですが、無駄ではありません」
わたしは少し笑った。無駄じゃない、という言葉は便利な回復薬より効いた。全回復ではない。傷は残る。でも、次の一手を選ぶくらいのHPは戻る。
ゼルドが門の柱に手を当てる。
「余はここを守る」
「うん」
ベルが書類束を抱え直す。
「わたくしは、通った後の面倒を受け持ちます」
「面倒、絶対多いよ」
「得意分野です」
ハコベエが口を開きかけたので、わたしは先に言った。
「割引券はなし」
「......噛みませんので」
みんな少し笑った。帰れるけど帰らない夜に、その笑いはちょうどよかった。
帰還門の前に立つと、元世界の玄関がまたちらりと見えた。手を伸ばせば、届きそうな距離。でも、ログルが肩で小さく息をのむのが分かったので、わたしは手を伸ばさなかった。
「えらいです」
「今の、手を出さなかっただけで褒められた?」
「かなりえらいです」
階段前の宝箱を開けないのと同じだ。見えているからこそ、今は触らない。帰ることさえ、一手待つ攻略になるなんて、ほんとに嫌なゲームだと思った。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還同行シード
死亡回数:1100回
クラス:帰還者
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【帰還門感知 Lv.3】
【死因学習 Lv.5】
【総合盤面確認 Lv.4】
【帰宅猶予線形成 Lv.2】
【味方射線確認 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
更新:【帰宅猶予線形成 Lv.1】→【帰宅猶予線形成 Lv.2】
【登場人物紹介】
コヨリ:帰れると分かったうえで、今は帰らないと決める。
ログル:止めたい気持ちと、コヨリの帰りたい気持ちの両方を抱える。
ゼルド:帰還門の成功を静かに受け止める拠点側門番。
ベル:主神検知に備えて攻撃的な防衛書類を準備する。
帰還門:仮接続成功。ただし境界線がまだ不安定。
【ローグライクあるある解説】
階段を降りれば帰れるが、あえて保留する回。ローグライクでは階段前の欲張りは死亡フラグですが、ここでは「今すぐ帰る」こと自体が危険な階段扱いです。脱出前に持ち物・仲間・接続状態を確認しないと、勝ったはずの帰還でロストする、という持ち帰り判断の怖さを強めています。
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