置いてけぼりの影――軽くなれば帰れる
帰還門は優しい道を出します。軽くなれば、帰れる道です。
帰還門は、夕方の色で開いた。
向こうには玄関。靴箱の上のぬいぐるみまで見えた。
【推奨:単独帰還】
【成功率:高】
【不要データを削除してください】
「不要データ?」
【死因ログ圧縮束】
【思い出ログ棚】
【拠点接続証明書】
【ログル個体記録】
【魔王側苦情記録】
【死亡受付履歴】
【ランダム仲間記録】
胸の奥が冷えた。
怒鳴りたいのに、声が出ない。
不要データ。
そんな言葉でまとめられた。
黒狼に噛まれたこと。ミーナのパン。カイの木剣。ゼルドの正座。ベルの書類。ネムの受付。ログルが「次は、ぼくが先に見ます」と言ったこと。
全部、不要。
「勇者様。この表示は帰還成功率だけを見ています」
「うん」
「感情や関係は、計算に入っていません」
「分かってる」
分かってるけど、むかつく。
【不要データ削除確認】
【削除しますか?】
【はい/いいえ】
「いいえ!」
叫んだので、ターンが進んだ。
確認画面が割れ、白い手が伸びる。データ削除の手。そう見えた。
白い手は死因ログ圧縮束へ伸びた。
「それに触るな!」
帰還鍵で叩く。手がひるむ。
次の手はログルへ伸びる。
わたしは間に入った。
冷たい。
触られた場所から、頭の中の何かが引っ張られる。
黒狼。最初の死。神様の拍手。ネムの受付。ログルの初警告。
薄くなりかける。
「やだ」
鍵を握りしめる。
「軽くなれば帰れる。でも、それは、わたしが帰りたい帰り方じゃない」
白い手が胸に触れた。
視界が消える。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
【死亡ログ】
【死因:不要データ削除確認画面に触れ、記憶圧縮に失敗した】
【評価:軽量化に失敗しました】
【総死亡回数:1089回】
【新規獲得:置いてけぼり拒否 Lv.1】
拠点に戻ると、わたしは死因図鑑室へ走った。
棚はある。思い出ログもある。ログルもいる。
「ログル、覚えてる?」
「覚えています」
「わたしも、覚えてる」
帰りたい。
でも、一人で軽くなって帰りたいわけじゃない。
帰還門の奥に、軽い道が見えた。
そこには罠も敵もいない。通路も広い。食料もいらない。持ち物欄は空で、同行者もいない。白い光だけがまっすぐ伸びていて、向こう側に、わたしの家の玄関がある。
わたしはその道を見た瞬間、ぞっとした。
【推奨:単独帰還】
【成功率:高】
【不要データを削除してください】
不要データ。
その文字の下に、名前が並んだ。
【死因ログ圧縮束】
【思い出ログ棚】
【魔王相談窓口】
【ミーナ記録】
【カイ記録】
【ゼルド接続】
【ベル接続】
【ログル個体記録】
わたしは、しばらく何も言えなかった。
怒鳴るのは得意だ。神様に文句を言うのも得意になった。死因ログにツッコむのも、罠にキレるのも、ハコベエを叱るのも、かなり上手くなったと思う。
でも、「不要」と書かれたログルの名前を見た時、喉の奥が冷たくなった。
「勇者様」
「ログル、しゃべらないで」
「はい」
ログルはそれ以上、何も言わなかった。えらい。えらいけど、黙られると余計につらい。
道の入口には、白い箱がある。中には【削除確認ピン】が一本。これを刺せば、不要データを消せるらしい。消せば、帰還成功率は上がる。たぶん、かなり上がる。
ローグライクなら、荷物を軽くする判断は正しい。食料がないなら、重い盾を捨てる。呪われた腕輪を外す。使えない杖を置く。持ち帰れない宝を諦める。命が最優先だからだ。
でも、これは違う。
「ログル」
「はい」
「死因ログって、重い?」
「情報量としては、かなり」
「ミーナさんの記録は?」
「軽くはありません」
「カイの木剣の記録は?」
「小さいですが、消すと復元は困難です」
「ログルは?」
ログルが少しだけ黙った。
「ぼくは、帰還門から見ると重いです」
「わたしから見ると?」
「......分かりません」
分からないわけない。ログルは頭がいい。計算もできる。だから、こういう時だけ分からないふりをする。
わたしは削除確認ピンに手を伸ばした。ログルの宝石が強く光る。
「勇者様、触らないでください」
「触るだけ」
「触るだけが一手になることは、何度もありました」
「知ってる」
ピンの先が、わたしの指に触れた。
白い道が一気に明るくなる。不要データの文字が、削除待ちから削除準備へ変わった。ログルの輪郭が薄くなる。
「ログル!」
わたしはピンを投げ捨てようとした。だが、手が動かない。確認画面が、わたしの指先を掴んでいる。
【削除対象を選択してください】
選ぶわけがない。
「選ばない!」
叫びは行動になった。門が一手進む。白い光が、思い出ログ棚へ伸びる。
わたしは、その光に体ごと飛び込んだ。
暗転する前、ミーナのパンの匂いがした気がした。カイの木剣を握った時の、手のひらの痛みも。ゼルドの紅茶の渋さも、ベルの書類の紙音も、ログルの毛並みの温かさも。
軽くなれば帰れる。
でも、それは、わたしが帰りたい帰り方じゃない。
わたしは削除確認ピンを、死因図鑑室の一番奥へしまった。捨てるのではなく、見える場所に封印する。ログルは「危険物保管としては少し不安です」と言ったけれど、わたしは首を振った。あの道がいつでも存在することを、忘れないためだ。楽な帰り道は、たぶんまた誘惑してくる。その時に、わたしはもう一度ちゃんと怒りたい。
その夜、拠点の壁の【帰る】という文字を見上げると、前より少し重く見えた。帰るという言葉に、荷物が増えたからだ。でも、その重さが嫌ではないと思えた。軽すぎる帰り道より、少し重い帰り道のほうが、わたしの足には合っている。
封印した削除確認ピンには、ベルが分厚い札を三枚貼った。【触れる前に申請】【申請前に相談】【相談前に深呼吸】。三枚目だけ、わたしの字だった。
「深呼吸で止まるかな」
「勇者様は、止まらないことが多いです」
「ログル、今日ちょっと厳しい」
「怖かったので」
さらっと言われて、わたしは黙った。ログルは宝石を磨くふりをしている。こっちを見ない。だから、余計に本音だと分かる。
「ごめん」
「謝るより、次は呼んでください」
「うん」
「削除確認画面に一人で突っ込まないでください」
「うん」
「未識別の白い道にも触らないでください」
「うん......多いな!」
ログルが少しだけ笑った。重くなりすぎた空気が、ようやく一マスぶん動く。
軽い道は、きっとまた現れる。だから、あのピンは隠さない。見える場所に置いて、毎回「選ばない」と言えるようにしておく。攻略とは、誘惑をなかったことにする作業ではない。見えている罠を、見えているまま踏まない練習だ。
ネムは削除確認ピンを見て、受付窓から小さく手を振った。
「それ、死亡受付的にも嫌な品ですね」
「ネムさんでも嫌?」
「死ぬのと、なかったことにするのは別です」
眠そうな声なのに、その言葉だけはやけにまっすぐだった。わたしはピンの封印札をもう一枚増やした。死んでも残るものがあるから、ここまで来た。なかったことには、絶対にしない。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還同行シード
死亡回数:1089回
クラス:帰還者
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【帰還門感知 Lv.3】
【死因学習 Lv.5】
【総合盤面確認 Lv.4】
【帰宅猶予線形成 Lv.1】
【味方射線確認 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【置いてけぼり拒否 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ:軽くなれば帰れる道を拒む。
ログル:自分が重いデータだと分かっていても、コヨリの選択を待つ。
ミーナ/カイ:本人ではなく、思い出ログとしてコヨリの帰り道を重くする存在。
【ローグライクあるある解説】
荷物を軽くすれば帰れる回。ローグライクでは不要物を捨てる判断が重要ですが、ここでは思い出や相棒まで「不要」と判定されるため、ゲーム的正解を感情で拒否する構造です。 不要データ削除の誘惑回。装備を捨てれば軽くなるが、大事な記録まで消える怖さです。ローグライクのアイテム整理を、記憶や縁の取捨選択へ拡張しています。
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