時間の王――ただいまは一秒待って
九十九階、時間の王。
五秒停止は、発動者だけが動く最終理不尽。
コヨリは、早すぎず遅すぎない一秒を待つ。
九十九階は、部屋ではなかった。
空一面に時計が浮かび、床は透明な文字盤になっている。中心には玉座。玉座に座っているのは、王冠をかぶった細い影だった。顔は見えない。けれど、針のような指が、ゆっくり肘掛けを叩いている。
【最終警告】
【時間の王】
【停止時間:五秒】
コヨリは、帰還時刻ピンを握りしめた。小さな金属の針。これを正しい時刻に刺せば、帰宅猶予線が固定される。
「ようこそ、小さな帰還者」
王の声は、時計の奥から響いた。
「お前は帰りたい。ならば、最も楽な時刻を選べばよい。召喚前へ戻れば、誰も泣かない。お前の死亡も、拠点も、獣の記録も、すべて消える」
ログルの宝石が、少しだけ強く光る。
「勇者様」
「分かってる」
コヨリは足を開いた。逃げ道は三つ。召喚前の扉。未来食卓の扉。消えた直後の細い線。王は、楽な扉を広く開けている。細い線だけが、頼りなく震えていた。
「わたしは、消さない」
王の指が止まった。
音が消える。
ログルの宝石も、コヨリの息も、周囲の取り巻きも、床の罠も止まった。
王だけが立ち上がる。
一秒目。王が近づく。
二秒目。剣のような針を抜く。
三秒目。コヨリの前に立つ。
四秒目。王冠の影が落ちる。
五秒目。針が胸に届く。
【死亡ログ】
【死亡回数:1079回目】
【死因:五秒停止中に時間の王へ処理された】
【評価:五秒は、幼女勇者には長すぎました】
最後の拠点帰還は、静かだった。
コヨリは起き上がっても叫ばなかった。叫ぶ体力がないわけではない。叫んでも、五秒は戻らないと分かっていた。
「五秒」
「はい」
「長いね」
「はい」
「一秒でも死ぬのに、五秒は長すぎる」
「はい」
ベルが封印杖を差し出す。ネムが身代わりぬいぐるみを置く。ゼルドが、王の移動予測線を机に描く。
「封印杖で完全封印はできないんだよね」
「五秒を三秒へ短縮できます」
「鈍足杖は」
「停止中の行動数を減らせます」
「身代わりは」
「一手だけ受けられる可能性があります」
「罠は停止中に動かない」
「解除後に処理が再開します」
コヨリはうなずいた。
「じゃあ、止まる前に仕込む」
再挑戦。
九十九階。王が同じ言葉を言う前に、コヨリは動いた。取り巻きに変化の杖。秒針弓の射線をずらす。身代わりぬいぐるみを、王の進路に置く。封印杖を王へ振る。
【封印成功】
【時間の王:停止時間 五秒→三秒】
「三秒残ってる!」
「王権限です」
「王様ずるい! 退位して!」
鈍足杖を振る。
【鈍足成功】
【停止中行動数:三手→二手】
王が笑う。玉座の時計を叩く。
「それでも、止まる」
時間が止まった。
一手目。王は身代わりぬいぐるみを斬った。
二手目。コヨリの前まで来る。
停止が解ける。
【停止時間領域:解除】
【仕込み処理:再開】
【秒戻し床:起動】
【曜日合わせの札:起動】
【帰宅時刻ピン:有効範囲内】
ログルの声が戻った。
「勇者様、まだです」
コヨリはピンを刺しかけた手を止めた。
「まだ!?」
「一秒早いです」
王が、あと一歩で届く。コヨリの全身が動けと叫ぶ。早く刺せ。早く言え。早く帰れ。
でも、早すぎるただいまは、召喚前へ落ちる。遅すぎるおかえりは、未来へ沈む。
コヨリは、待った。
一秒。
たった一秒。けれど、今まで死んできたどの一秒より長い。
「今です!」
コヨリは、帰還時刻ピンを床に刺した。
「ただいま」
言葉は、扉ではなく線へ届いた。召喚前の扉が砕け、未来食卓の扉が閉じる。細かった帰宅猶予線が、一本の道になる。
時間の王が初めて顔を上げた。顔の奥には、王冠ではなく、無数の未帰還ログが回っている。
「その時刻は、楽ではない」
「うん」
「誰も泣かなかったことにはならない」
「うん」
「お前の死も、ここでの時間も、残る」
「それでいい」
王の時計針が折れた。
【時間シード攻略完了】
【時間因子:仮安定】
【帰宅猶予線:形成】
【安定因子:名前/記憶/縁/扉/座標(仮)/時間(仮)】
【帰還門仮起動条件:達成】
【総死亡回数:1080回】
床が、玄関の光へ変わる。
コヨリは膝をついた。帰れたわけではない。まだ、完全ではない。けれど、場所と日付が、初めて同じ線の上に並んだ。
「ログル」
「はい」
「家、見えた。日付も、たぶん合った」
「はい」
「じゃあ、帰れる?」
ログルは、少しだけ黙った。
「門は、開けます」
「言い方」
「帰れるかどうかは、まだ分かりません」
コヨリは、透明な床に拳を叩きつけた。
「神様ァ! ここまで来て、まだ最終確認あるのおおおおおおおおおおおおおおお!」
遠くで、アドミニスがとても小さな声で言った。
「ごめん」
その声は、時計の音にかき消された。
王の二手目がコヨリの前で止まった時、身代わりぬいぐるみの綿が空中に舞っていた。停止中は動かなかった綿が、解除後にふわりと落ちる。その一粒一粒が、仕込みが間に合った証拠みたいだった。
「ぬい、ごめん」
「後で修理しましょう」
「絶対する」
王は、細い線になった帰宅猶予線を見下ろした。
「そこへ帰れば、お前は泣かれる」
「うん」
「心配される」
「うん」
「なぜ消えたのか、説明できないかもしれない」
「うん」
「ならば、誰も泣かない時刻の方が楽だ」
コヨリは、震える膝を両手で押さえた。楽な方へ行きたい気持ちは、まだある。誰も泣かないなら、それが一番いいようにも思える。
でも、その時刻にはログルがいない。ベルの苦情文も、ネムの受付票も、ゼルドの労災メモも、焦げたパンも、壊れた杖もない。
「楽だけど、違う」
王の影が揺れる。
「幼い勇者よ。なぜそこまで、痛い時間を持ち帰る」
「痛かったから。覚えてないと、また同じところで死ぬから。あと、ログルがいたから」
ログルの宝石が、小さく光った。
「勇者様」
「なに」
「ぼくも、います」
「うん。だから、消さない」
その言葉で、帰宅猶予線がもう一度光った。玄関の向こうで、誰かが息を飲む気配がした。まだ帰れない。でも、今度こそ、間違った日ではなかった。
時間の王の玉座の周囲には、止まった針が浮いていた。一本一本が、今までの死因の形をしている。三倍速の針、装備はがしの針、早送りの針、宝箱の形をした針。コヨリは、それらを見て、すぐ目をそらさなかった。
「見たくないけど、見る」
「はい」
「逃げたいけど、逃げ道を見る」
「はい」
王が指を鳴らした。世界が灰色になる。五秒停止。封印杖で三秒に短くしたはずなのに、それでも長い。コヨリは動けない。声も出ない。ログルの宝石も光ったまま止まっている。
一秒目、王が近づく。
二秒目、身代わりぬいぐるみが斬られる。
三秒目、王の剣がコヨリの前髪をかすめる。
解除。
「ログル!」
「右へ一歩!」
コヨリは右へ跳んだ。左ではない。左には、前に自分で置いた秒戻し床がある。踏めば早すぎる。ただいまになる。右には、封印後に再起動する鈍足床。王の足が、そこへ入る。
【停止時間領域:解除】
【仕込み処理:再開】
【鈍足床:起動】
【帰宅時刻ピン:有効範囲内】
「今?」
「まだです」
「今?」
「まだです」
王が剣を振る。遅い。封印と鈍足が効いている。それでも怖い。あと一手間違えれば、五秒停止で全部ひっくり返る。
「今!?」
「......一秒、待ってください」
待つ。今すぐ言いたい。帰りたい。玄関が見える。向こうで誰かが息を飲んでいる。ここで言えば、たぶん届く。でも、一秒早い。
コヨリは、今じゃないと自分の胸に言い聞かせた。
針が、重なる。
「今です」
コヨリは息を吸った。走らない。叫ばない。泣き声にしない。ちゃんと、その時刻へ置く。
「ただいま」
玄関の向こうで、光が揺れた。まだ完全な帰還ではない。けれど、間違った時刻ではなかった。
【新規獲得:一秒待つ Lv.1】
【統合更新:停止時間対策 Lv.1】
【統合更新:帰宅猶予線形成 Lv.1】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還時間シード攻略完了
現在階層:99F突破
クラス:帰還者見習い
総死亡回数:1080回
時間因子:仮安定
帰宅猶予線:形成
帰還門仮起動条件:達成
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡対象上書き Lv.1】
【千回死亡条件破壊 Lv.1】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【神様案内警戒 Lv.2】
【帰還座標仮視認 Lv.2】
【記憶擬態識別 Lv.1】
【現実擬態フロア警戒 Lv.1】
【帰宅線形成 Lv.2】
【時間不一致警戒 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【一秒待つ Lv.1】
新規獲得:【停止時間対策 Lv.1】
新規獲得:【帰宅猶予線形成 Lv.1】
更新:【時間不一致警戒 Lv.1】→【時間不一致警戒 Lv.2】
【登場人物紹介】
コヨリ
五秒停止で一度死んだ。再戦で封印、鈍足、身代わり、一秒待つを組み合わせて時間因子を仮安定させた。
ログル
最後の一秒を待つよう指示した。帰れるとは言い切らず、門は開けると伝えた。
時間の王
五秒停止を使う帰還時間シードの章ボス。楽な帰還時刻を選ばせようとした。
アドミニス
最後に小さく謝った。まだ最終確認を残している。
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