王前時計回廊――階段前で宝箱を見るな
九十八階は、死因の全部盛り。
階段前の宝箱は、開けるより無視するほうが難しい。
コヨリは誘惑を振り切って、九十九階へ降りる。
九十八階は、王前時計回廊だった。
長い通路の左右に、これまでの罠が並んでいる。装備はがし床。秒針床。早送り階段の影。時間差モンスターハウスの空部屋。壁の向こうから聞こえる時空猟犬の爪音。天井には、秒針処刑弓の細い射線が走っていた。
「全部盛り」
「はい」
「カレーなら嬉しいけど、死因の全部盛りは頼んでない!」
階段は見えている。九十九階へ向かう最後の階段。その横に、宝箱が置いてある。
金色。大きい。明らかに良い物が入っている。明らかに罠でもある。
「ログル」
「はい」
「宝箱」
「視界から消したことにしてください」
「でも、九十九階前の宝箱だよ? 絶対いい杖とか入ってるよ? たぶん封印とか鈍足とか、王に効くやつだよ?」
「死亡前の宝箱でもあります」
「言い方あああああああああ!」
コヨリは一歩、宝箱へ向きかけた。足元の床が、かすかに沈む。装備はがし床だ。見えている。分かっている。だけど、宝箱は光っている。
胸の中で、今までの死亡ログがざらざら鳴った。
【宝箱欲張り警戒】
【無料品警戒】
【停止前打開】
【深層逃走判断】
「......いらない」
声にした瞬間、宝箱の蓋が勝手に開いた。中から、紙が飛び出す。
【中身:たぶん王殺しの杖】
「たぶんって書いてある!」
「信用してはいけません」
「でも王殺しって書いてある!」
「たぶんです」
「たぶんの殺傷力が高い!」
宝箱を無視して進む。すると、宝箱が怒ったように跳ね、時間差モンスターハウスを起動した。三手後に敵が湧く。
「無視しても怒るの!?」
「欲望起動型です」
「欲望がなくても怒ってる!」
コヨリは走らない。走れば秒針線に入る。左へ一歩。右から矢。しゃがむ。これは行動ではなく回避姿勢。床の影を見る。針の影は避ける。装備はがし床の前で止まり、場所替えの杖を使う。
対象は、床の向こうの時計兵。位置が入れ替わる。敵の隣ではない。コヨリは罠の向こう側へ出た。場所替えは、使い方を間違えなければ強い。
「場所替え、今回はえらい!」
「入れ替え先を確認したためです」
「確認、大事!」
壁を抜けて時空猟犬が来る。コヨリは封印杖を使いたいが、残り回数は王用に一本だけ。ここで使うか。使わないと階段前で噛まれる。
「ログル、王まで持っていく?」
「ここで死ねば王へ行けません」
「はい、使います!」
封印。鈍足。身代わり。三つ使って道を作る。残りアイテムは心細い。けれど、九十九階への階段が目の前にある。
背後で宝箱が最後の誘惑をする。
【本当に開けなくていいの?】
「いい!」
コヨリは階段へ飛び込んだ。
落下する直前、通路の時計が全部止まる。音が消え、遠くで王冠の影が揺れた。
【99F】
【時間の王の玉座】
ログルの声が、いつもより小さく聞こえた。
「勇者様。最後の階です」
「うん」
「五秒停止が来ます」
「分かってる」
「準備は」
「完璧じゃない。でも、死んで覚えた分だけはある」
王前時計回廊では、コヨリの手が何度も帰還時刻ピンへ伸びた。まだ使う場所ではない。分かっている。でも、持っているだけで心が急ぐ。
「ログル。ピン、今刺したら?」
「王前回廊に時刻が固定されます」
「つまり?」
「帰宅時刻ではなく、宝箱前時刻になります」
「絶対いや!」
宝箱がまた跳ねた。たぶん王殺しの杖。たぶん。本当にたぶん。コヨリは、たぶんという言葉を見るだけで、引き寄せの杖を思い出すようになっていた。
「たぶんは危険」
「はい」
「たぶん封印で招待した」
「はい」
「たぶん鈍足で加速した」
「はい」
「たぶん王殺しは、たぶんわたし殺し」
「かなり正解です」
階段へ向かう最後の五手。コヨリは声に出さず、心の中で数えた。声にすれば一手扱いになるかもしれない。深層では、油断した声も敵だ。
一。装備はがし床を避ける。
二。秒針線を待つ。
三。場所替えで罠を越える。
四。猟犬を身代わりへ向ける。
五。階段。
足が光に沈む直前、宝箱の蓋が閉じた。悔しそうだった。
「勝った」
「今回は、小さくではなく勝利です」
九十九階への階段は、これまでの階段より少しだけ重かった。踏めば戻れない。少なくとも、同じ準備では戻れない。コヨリは肩から息を抜いた。
「ログル、最後の階で死んだら?」
「戻ります」
「また九十八階?」
「可能性があります」
「それだけは嫌」
嫌だからこそ、宝箱を開けない。嫌だからこそ、杖を惜しまない。嫌だからこそ、足元を見る。コヨリは、怖さを急ぎに変えず、確認に変えた。
階段の光は、急かさなかった。ただ待っていた。だからコヨリも、一手だけ呼吸を整えてから踏んだ。待ってくれる出口は、ここまでで初めてだった。
王前時計回廊の宝箱は、今までの宝箱よりずっとおとなしかった。跳ねない。呼吸しない。噛まない。だから余計に怖い。派手に怪しいものより、普通のふりをしているものの方が深層では危ない。
「ログル、あの宝箱、静か」
「はい」
「静かな宝箱って、安全?」
「深層では、静かな罠ほど高級です」
「高級罠いらない!」
箱の上には札がある。
【王殺しの杖】
文字だけなら、今すぐ開けたい。時間の王を倒すための切り札に見える。見えすぎる。コヨリは歯を食いしばった。
「欲しい」
「はい」
「ものすごく欲しい」
「はい」
「でも、たぶんわたし殺し」
「その推測が安全です」
一度目は、開けた。箱の中から出たのは、王殺しの杖ではなく、王呼びの杖だった。振っていないのに、箱を開けた一手で九十九階の王の影が九十八階へ降りてきた。
【死因:王前宝箱を開けて、時間の王の影を先に呼んだ】
【評価:階段前で宝箱を見ました】
「見ました、じゃない! 開けました! ごめんなさい!」
「反省は記録します」
成功周回では、コヨリは宝箱へ札を貼った。
【開けない】
貼るだけでも一手だ。だが、その一手で自分の欲にふたをする。札を貼ったあと、箱の蓋がほんの少し震えた。悔しそうだ。
「宝箱が悔しがってる」
「かなり誘っています」
「誘われない!」
回廊の床には、装備はがし床、秒針線、早送り階段の影が重なっている。全部が、ここまでの復習だった。コヨリは地図を開き、これまでの赤い×を思い出す。
「九十八階、テストみたい」
「はい。かなり悪意のある総合問題です」
「答えは?」
「階段へ行くことです」
「シンプル!」
シンプルな答えほど、実行するのが難しい。だからコヨリは、宝箱を見ない角度で体を向け、杖を一本ずつ確認してから進んだ。
階段の手前で、コヨリは確認札を袖からはがして、地図へ貼り直した。袖に貼ったままだと、九十九階で剥がれるかもしれない。地図ならログルも見られる。
「持ち物整理、今?」
「今しないと、王の前で慌てる」
「正解です」
「深層、準備不足を許してくれないもんね」
宝箱を開けない一手の代わりに、地図を整える一手を使う。欲を消した場所へ、準備を置く。コヨリはそれを、自分に言い聞かせるようにゆっくりやった。
【新規獲得:王前欲張り拒否 Lv.1】
【帰還時刻ピン:反応】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還時間シード
現在階層:98F突破
クラス:帰還者見習い
総死亡回数:1079回
深層状態:王前突破
帰還時刻ピン:反応開始
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡対象上書き Lv.1】
【千回死亡条件破壊 Lv.1】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【神様案内警戒 Lv.2】
【帰還座標仮視認 Lv.2】
【記憶擬態識別 Lv.1】
【現実擬態フロア警戒 Lv.1】
【帰宅線形成 Lv.2】
【時間不一致警戒 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【王前欲張り拒否 Lv.1】
更新:【深層逃走判断 Lv.1】→【深層逃走判断 Lv.2】
【登場人物紹介】
コヨリ
階段前の宝箱を拒否し、王前時計回廊を突破した。
ログル
死亡前の宝箱という表現でコヨリの欲を止めた。
王前の宝箱
たぶん王殺しの杖という危険な札で誘惑してきた。
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