放課後帰宅路ループ――近道が一番遠い
八十五階は帰宅路ループ。
最短の道を選び続けると、時刻だけが進んでしまう。
過去の自分を止めたくても、触れてはいけない。
八十五階は、夕方の帰宅路だった。
電柱、横断歩道、小さな公園。さっきの座標シードで見た町よりも、さらに現実に近い。けれど、空は赤すぎて、影が長すぎた。
「ログル。ここ、帰り道っぽい」
「はい。ただし、帰宅路ループです」
「ループ」
「同じ道を選び続けると、時刻だけが進みます」
「近道が罠?」
「今回は、その可能性が高いです」
コヨリは最短の道を知っていた。角を曲がって、細い路地を抜けて、公園の横を通れば家が近い。体が勝手にそちらへ行きたがる。
でも、最短が正解とは限らない。
一周目。夕方。
二周目。夜。
三周目。深夜。
同じ電柱が三度現れた時、コヨリは足を止めた。
「これ、戻ってる」
「場所は戻っています。時間は進んでいます」
「最悪の散歩!」
四周目。空が白み始める。五周目、家の窓が暗くなる。コヨリは焦って走った。走れば早く着くと思った。
その瞬間、道が未来食卓へつながった。
【死亡ログ】
【死亡回数:1071回目】
【死因:最短帰宅路を選び続け、未来食卓へ遅れすぎた】
【評価:近道が一番遠い日もあります】
再挑戦。コヨリは最短路を見ないようにした。わざと遠回りする。公園の前を通らず、商店街の裏を回る。けれど、途中で母の声がした。
「こより、ごはんできてるよ」
足が止まりかける。これは第26の声とは違う。甘い擬態ではなく、時間の奥から漏れてくる記憶に近い。
「ログル」
「はい」
「本物?」
「分かりません。ただ、今返事をすると、時刻が固定される可能性があります」
「じゃあ、返事しない」
喉が痛い。返事をしたい。けれど、今じゃない。
コヨリは小さく手を握り、声のする道とは反対へ曲がった。すると、目の前に過去の自分がいた。
ランドセルを背負った、何も知らない天野こより。公園の横を歩いている。あの子は、この後、神様に召喚される。止めたい。叫びたい。走って抱きしめたい。
「ログル」
「接触禁止です」
「分かってる」
分かっているのに、足が出た。
【死亡ログ】
【死亡回数:1072回目】
【死因:過去の自分に触れようとして時間衝突した】
【評価:助けたい相手が自分でも、接触禁止です】
三度目。コヨリは、過去の自分を見ても動かなかった。泣きそうな顔で、電柱の影に隠れる。
「ごめん」
声にはしなかった。唇だけで言った。
過去の自分が曲がり角の向こうへ消える。そのあとに、細い光の線が残った。帰宅猶予線。消えた直後と、遅すぎる未来の間にある、細い細い道。
「ログル。今の線」
「はい。帰宅猶予線の候補です」
「近道じゃなかった」
「はい。待たせすぎないための遠回りでした」
コヨリは光の線を踏んだ。今度はループしない。階段が、夕焼けの中に現れる。
帰宅路の途中で、コヨリは公園のブランコを見つけた。元の世界で乗ったことがある。ぎい、と揺れている。誰も乗っていないのに。
「ログル。あれ、乗ったら?」
「時間が進む可能性があります」
「だよね。ブランコで遊んでる場合じゃない」
そう言いながら、少しだけ目が離せなかった。帰ったら乗れるだろうか。帰ったら、もう勇者じゃなくて、ただのこよりに戻れるのだろうか。
ブランコの影が、細い手みたいに伸びてくる。コヨリは一歩下がった。
「遊びたい気持ちまで罠にするな」
「時間シードは、帰宅に関係する記憶を利用します」
「知ってる。知ってるけど、むかつく」
過去の自分が遠ざかったあと、コヨリはブランコへ背を向けた。帰ったら遊ぶ。今ここでは遊ばない。そう決めると、ブランコの揺れが止まった。
「今じゃない」
「はい」
「ただいまも、遊ぶのも、ごはんも、全部、本物の時にする」
帰宅猶予線が、ほんの少しだけ太くなった。
遠回りの道には、小さな駄菓子屋もあった。ガラスケースの中に、見覚えのあるラムネ菓子が並んでいる。コヨリの足が、また止まりかける。
「ログル。あれも時間罠?」
「購入すると、五分経過する可能性があります」
「五分で済む?」
「この階では、五分が一周に変換される可能性があります」
「駄菓子が重い!」
帰ったら買える。今ここで買わなくていい。そう自分に言い聞かせると、駄菓子屋の明かりが少し遠ざかった。
「帰ったら、やりたいことが増えるね」
「はい」
「それ、いいこと?」
「帰還意志が具体化しています」
「難しい」
「簡単に言うと、帰りたい理由が増えています」
「それなら、いい」
コヨリは、駄菓子屋にもブランコにも背を向けた。今は帰るために、帰った後の楽しみを置いていく。
帰宅猶予線は、触れると温かかった。熱いわけではない。家の電気がついている時の、遠くから見える窓みたいな温かさだ。
「ログル、線があったかい」
「帰還時刻の候補が、勇者様の帰宅意志に反応しています」
「また難しい」
「帰りたい気持ちが、道になっています」
「それなら分かる」
コヨリは、その線を踏む足を少しだけ丁寧にした。罠を踏まないためだけではない。帰りたい気持ちを、雑に踏みたくなかった。
【新規獲得:帰宅路ループ警戒 Lv.1】
帰宅路ループは、歩くほど道がなじんでくる。角の電柱、少し欠けたブロック塀、犬の形をした雲。どれも知っている気がする。でも、知っている気がするだけで、安心してはいけない。
「ログル、ここ、わたしの帰り道に似てる」
「はい。記憶から生成されています」
「記憶って、便利だけど危ないね」
「勇者様が覚えているほど、正確に罠へ使われます」
「思い出の悪用!」
横断歩道の信号が青になった。渡れる。普通なら渡る。でも、青が長すぎる。ずっと青だ。急かさない青は、逆に怖い。
「青信号なのに怖い」
「この階では、青が続きすぎると未来側へ進みます」
「赤は?」
「過去側へ戻る可能性があります」
「信号まで時間罠!」
コヨリは、青でも赤でもない、点滅の間を待った。点滅。今ではない。まだ。もう少し。足が勝手に出そうになる。帰りたい気持ちが、信号より先に走りたがる。
「待つ」
「はい」
「でも、待ちすぎない」
「はい」
点滅の最後、白線が一瞬だけ細い金色に変わった。帰宅猶予線だ。コヨリはそこを踏む。横断歩道を渡っただけなのに、胸がどきどきした。
反対側の歩道に、過去の自分がいた。ランドセルを揺らし、何も知らない顔で歩いている。声をかけたい。止めたい。神様に連れていかれるよと教えたい。
「だめ」
「はい」
「分かってる。でも、言いたい」
「はい」
コヨリは、両手で口を押さえた。声を出したら終わる。あの子を助けたい。でも、あの子を消す形で助けたら、今の自分も、ログルとの時間も消える。
過去の自分が角を曲がるまで、コヨリは動かなかった。見送るだけ。それができた時、帰宅猶予線は少しだけ太くなった。
「助けなかった」
「今は、それが正解です」
「正解なのに、ちょっと泣きそう」
「......はい」
見送ったあとも、喉の奥には呼び止めたい声が残っていた。コヨリはそれを飲みこみ、線の先だけを見た。
【新規獲得:過去自分接触禁止 Lv.1】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還時間シード
現在階層:85F突破
クラス:帰還者見習い
総死亡回数:1073回
帰宅猶予線:候補視認
過去自分接触:禁止確認
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡対象上書き Lv.1】
【千回死亡条件破壊 Lv.1】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【神様案内警戒 Lv.2】
【帰還座標仮視認 Lv.2】
【記憶擬態識別 Lv.1】
【現実擬態フロア警戒 Lv.1】
【帰宅線形成 Lv.2】
【時間不一致警戒 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【帰宅路ループ警戒 Lv.1】
新規獲得:【過去自分接触禁止 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ
最短帰宅路と過去の自分への接触で二回死んだ。遠回りする勇気を覚えた。
ログル
返事と接触の危険を止めた。帰宅猶予線の候補を確認した。
過去のコヨリ
召喚前の天野こより。助けたいが、触れると時間衝突する。
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