拠点成功ログ棚――消したくない時間
死んだ記録も、反省会も、ログルとの時間も残っている。
帰りたい。でも、全部なかったことにして帰りたいわけではない。
九十九階の王に向けて、コヨリは消さない帰還を選び始める。
拠点に戻ると、コヨリはまっすぐ成功ログ棚へ向かった。
そこには、これまでの攻略記録が並んでいる。最初に作った雑な地図。ログルが直した矢印。ベルが書いた神様への苦情文。ネムの死亡受付票。ゼルドがなぜか添削した「魔王軍ならこの罠配置は労災」というメモ。ミーナが差し入れてくれたパンの包み紙。
どれも、帰るためには不要かもしれない。
でも、いらない時間ではなかった。
「ログル」
「はい」
「召喚前に戻ったら、これ全部なくなる?」
「可能性があります」
「死んだのは嫌だった」
「はい」
「神様の説明不足も嫌だった」
「はい」
「一秒止められて斬られるのも、三倍速ウサギも、腹時計も、パン爆発も、全部かなり嫌だった」
「はい」
「でも、ログルと反省会した時間まで、なかったことにするのは違う」
ログルは、少しだけ黙った。いつもならすぐ返す。けれど今回は、宝石の光が静かに揺れただけだった。
「ぼくは、その判断を記録ではなく、覚えておきたいです」
コヨリは棚の端に、新しい紙を貼った。
【帰る】
【でも、消さない】
短い言葉だった。けれど、その二行を書くのに、コヨリはずいぶん時間がかかった。
アドミニスの窓が、遠慮がちに開いた。
「勇者ちゃん」
「神様、今は怒鳴る元気がちょっと少ない」
「うん。怒鳴られてもいいけど、先に言う。九十九階の奥には、きみが帰る時刻を選ぶための王がいる」
「王」
「時間の王。五秒、止める」
会議室の空気が重くなりかけた瞬間、コヨリは机を叩いた。
「一秒で死んだ幼女に五秒をぶつける神経!」
「本当にごめん」
「しかも王! 王様なら民を守って! 幼女を五秒止めて殴らないで!」
ゼルドが顎に手を当てる。
「王とは、民から時間を徴収するものではない」
「魔王が王の倫理を語ってる!」
「余は魔王だが、部下の休憩時間は守る」
「魔王軍ホワイト!」
ベルは淡々とアドミニスに書類を差し出す。
「主神様。時間の王への対策一覧を、今ここで開示してください」
「封印杖で完全封印は難しい。五秒を三秒に短縮できる可能性がある。鈍足杖で停止中の行動数を減らせる。変化の杖は王本体には効かないが、取り巻きには効く」
「最初からそれを言って」
「はい」
コヨリは、成功ログ棚を見た。
封印。鈍足。変化。視界切り。身代わり。待つこと。
全部、死んで覚えた。痛かった。悔しかった。笑うしかなかった。でも、全部が次の一手になる。
「ログル」
「はい」
「わたし、帰る時刻を選ぶ。神様が用意した楽な扉じゃなくて、わたしが消えたことも、ここで覚えたことも、どっちもなかったことにしない時刻」
「はい」
「難しい?」
「かなり」
「じゃあ、いつも通りだね」
ログルは、今度はすぐに答えた。
「はい。いつも通り、理不尽です」
ネムは、成功ログ棚の横に小さな箱を置いた。
「これは、持ち帰れない物入れです」
「持ち帰れないのに入れるの?」
「はい。持ち帰れなくても、ここで使った記録は残ります」
箱の中には、折れた杖の先、割れた砂時計、焦げたパンの包み、罠で外れた盾の留め具が入っている。どれも役に立たなくなったものだ。けれど、見ればすぐに思い出せる。
「これ、失敗のゴミ箱?」
「成功ログの材料箱です」
「言い方が上手い」
コヨリは、そこへ引き寄せの杖の折れた先を入れた。封印だと思って招待して死んだ杖。ひどい思い出だ。でも、そのおかげで未識別を信じなくなった。
「嫌な杖だけど、覚えてる」
「はい」
「忘れたら、また呼ぶ」
「はい」
「じゃあ、忘れない」
ベルが静かにうなずく。
「失敗を消さないことが、帰還条件になる可能性があります」
「ベル、難しい言い方をしたけど、つまり?」
「死んだことを無駄にしない、です」
「それなら分かる」
ガロも、いつの間にか会議室の端にいた。手には小さな金具と、折れた杖を直すための工具を持っている。
「杖は直せる?」
「完全には無理だな。だが、折れた理由は見られる」
「折れた理由?」
「雑に投げたか、効果を使い切ったか、反射にやられたか。道具にも死因みたいなものがある」
コヨリは、折れた引き寄せの杖を見る。雑に投げたわけではない。振った。効果は出た。だから死んだ。
「道具は悪くない?」
「使い方次第だ」
「それ、耳が痛い」
ガロは笑って、折れた先を箱へ戻した。
「痛いなら覚えとけ。次に同じ形で折るな」
「うん」
コヨリは、道具の失敗も自分の失敗も、同じ棚に置くことにした。責めるためではなく、次に拾った時、間違えないために。
成功ログ棚の奥には、まだ空いている棚板があった。コヨリはそこへ、今日の地図を置こうとして、少し迷った。赤い×が多すぎる。死因の印、踏まなかった罠、拾わなかった宝箱。成功した地図なのに、見た目は失敗だらけだ。
「これ、成功ログ棚に置いていいの?」
「置いてください」
「赤い×だらけだよ」
「避けた赤い×です」
「避けたなら成功か」
「はい」
その言葉は、思ったより胸に残った。死んだ場所だけが印ではない。死ななかった場所にも、ちゃんと印をつけていい。
ネムが受付票を一枚差し出した。死亡受付ではなく、生存記録の紙だった。文字は少ない。
【宝箱を開けなかった】
【封印杖を使った】
【早送り階段を踏まなかった】
「ネム、これ」
「珍しいので作りました」
「珍しいって言わないで」
「事実です」
「事実がいちばん刺さる!」
ベルはその紙を見て、満足そうにうなずく。
「勇者様。使わなかった道具、開けなかった箱、踏まなかった床も、十分に成果です」
「何もしないのも成果?」
「はい。深層では特に」
コヨリは、手をぎゅっと握った。何もしないことは、怖い。動かないと負ける気がする。急がないと置いていかれる気がする。でも、時間シードでは、待つこと、見ないこと、拾わないことが、ちゃんと次へつながっていた。
「ログル。成功ログって、派手じゃないね」
「はい。地味です」
「でも、あったかい」
「そうですね」
ログルが、珍しく即答しなかった。その間が、コヨリには少しうれしかった。記録としてではなく、同じ時間を覚えている相棒として、ログルが棚を見ている気がしたからだ。
「帰ったら、これ持っていける?」
「物理的には難しいです」
「じゃあ、覚えていく」
「はい。ぼくも覚えています」
棚の横で、ログルが小さな札を作った。
【使った道具】
【使わなかった道具】
【使えなかった道具】
「三つ目、つらい」
「でも重要です」
「使えなかった理由も残すの?」
「はい。取り出せなかった、未識別だった、温存した。全部、次の判断材料です」
コヨリは札の前で、少しだけ背筋を伸ばした。できなかったことも、棚に置けば次の武器になる。
ログルはその札を、棚の一番見やすい高さへ貼った。小さな勇者の目線に合わせた高さだった。
【新規獲得:消さない時間 Lv.1】
【帰宅猶予線:兆候】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還時間シード
現在階層:80F突破後の拠点整理
クラス:帰還者見習い
総死亡回数:1071回
帰宅猶予線:兆候あり
時間の王情報:開示開始
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡対象上書き Lv.1】
【千回死亡条件破壊 Lv.1】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【神様案内警戒 Lv.2】
【帰還座標仮視認 Lv.2】
【記憶擬態識別 Lv.1】
【現実擬態フロア警戒 Lv.1】
【帰宅線形成 Lv.2】
【時間不一致警戒 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【消さない時間 Lv.1】
更新:【帰宅線形成 Lv.2】→【帰宅線形成 Lv.3】
【登場人物紹介】
コヨリ
帰りたいが、ログルたちとの時間を消したくないと決めた。
ログル
その判断を記録ではなく覚えておきたいと言った。
アドミニス
時間の王と五秒停止について説明した。今回は少し早めに謝った。
ベル
時間の王への対策開示を迫った。
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