早送り階段――逃げたら帰宅日がズレる
七十階の階段は、踏むだけなら簡単。
でも早送り階段は、帰宅時刻を未来へずらす。
逃げることと待たせないことの両方を考える。
七十階の階段は、やけに親切だった。
入口から見える場所にあり、周囲に敵もいない。階段の横には『早送り可』と書かれている。コヨリは、もう騙されない顔で見た。
「ログル。親切」
「はい」
「つまり罠」
「可能性が高いです」
【早送り階段】
【次階層へ移動】
【ただし、帰宅時刻が一日進む】
「一日!?」
「階段即降りの代償です」
「逃げたら家族を一日待たせるの、重すぎない!?」
敵が来る。後ろから秒針ウサギ。横の部屋では時計兵が湧いている。階段を使えば助かる。でも、帰宅日がずれる。
「一回ぐらいなら」
「一回が積み重なると、未来食卓側に寄ります」
「言い方が怖い!」
コヨリは迷った。迷う一手。ウサギが近づく。もう迷えない。階段を踏んだ。
体は次の階へ落ちた。けれど、胸の奥で何かが一日ぶん遠ざかる。家の玄関の明かりが、少しだけ暗くなった気がした。
【死亡ログ】
【死亡回数:1067回目】
【死因:早送り階段を使い、帰宅時刻を未来側へ飛ばしすぎた】
【評価:逃げ足は正解。帰還時刻は不正解】
拠点で、コヨリは起き上がるまでに少し時間がかかった。
「今の、痛いっていうより、遠かった」
「はい。時間因子が未来側に引かれました」
「一日って、短いようで長いね」
「帰りを待つ側には、とても長いです」
コヨリは唇を噛んだ。
死ぬのは嫌だ。けれど、死ねば戻る。この世界ではそうなっている。だからどこかで、死を雑に数えてしまう時がある。でも、帰る時間を一日飛ばすのは違った。待っている人の時間を使ってしまう。
「ログル。階段即降り、全部ダメ?」
「いいえ。命が危険な時は必要です。ただし、早送り階段か通常階段かを見分ける必要があります」
「見分け方は」
「階段の影が針の形をしています」
「影まで見ろってことね」
再挑戦。コヨリは階段をすぐ使わない。影を見る。針の影がある。早送りだ。使わない。部屋の端へ逃げ、壁際の細い通路へ入る。
そこで、別の階段を見つけた。影は丸い。
「ログル、通常?」
「通常階段です」
「行く!」
敵を倒さず、杖も温存しすぎず、必要な分だけ振って道を作る。早送り階段は見えている。見えている安全は安全ではない。見えていない逃げ道を探すのが、この階の攻略だった。
階段を降りる前、コヨリは一度だけ振り返った。
「待たせないために、急がない」
「はい」
通常階段を見つけたあとも、コヨリはすぐには降りなかった。階段の影が丸い。それは分かった。だが、階段の横に置かれた時計札が気になった。
【一回だけ安全】
「ログル。これ、どういう意味?」
「一度目の使用は通常階段。二度目以降は早送り階段化する可能性があります」
「階段にも使用回数あるの!?」
「この階ではあるようです」
「階段を連打する人への対策が重い!」
つまり、戻ってくる余裕はない。降りたら進む。忘れ物を取りに戻る選択は、日付をずらす。
コヨリは所持品を確認した。パン、封印杖、鈍足杖、変化の杖、識別巻物。全部必要そうで、全部足りなさそうだ。
「足りない気がする」
「九十九階ダンジョンでは、だいたい足りません」
「不安を一般論で補強しないで」
階段の奥から、家の玄関灯がちらついた。今行けば近い。けれど、近さだけで踏むと早送りになる。
「急いで帰るために、急がない」
「はい」
「これ、頭がこんがらがる」
「時間シードですので」
コヨリは一度だけ深呼吸し、通常階段を踏んだ。早くではなく、正しく。
七十階を抜ける直前、遠くの壁に家のカレンダーが浮かんだ。日付は一日進んだり戻ったりしている。コヨリが早送り階段を見た時だけ、未来側へ大きく跳ねた。
「わたしが階段を見ただけで日付が動く」
「認識と選択が時間因子に干渉しています」
「見ただけで迷惑かけるの、つらい」
ログルは、少しだけ声を柔らかくした。
「勇者様。迷惑をかけない時刻を探すのではなく、戻れる時刻を探すのです」
「違うの?」
「はい。誰も傷つかない時刻を選ぶと、勇者様の時間が消える可能性があります」
コヨリは、カレンダーから目をそらした。
「じゃあ、少しは泣かせるかもしれない」
「はい」
「でも、待たせすぎない」
「はい」
その線引きは、階段よりずっと細かった。
階段を降りる瞬間、コヨリは自分の足に言い聞かせた。急ぐな。でも止まるな。早送りを踏むな。でも敵に追いつかれるな。
「ログル、わたしの足、忙しい」
「判断が多い階です」
「足に判断させないで、頭にさせたい」
「頭で判断し、足で実行してください」
「正論が一番きつい!」
正しい階段を踏んだ時、足元の影は丸いままだった。針にならない。それだけで、コヨリは少し救われた気がした。
【新規獲得:早送り階段警戒 Lv.1】
早送り階段の横には、逆に古びた階段もあった。木の手すりはささくれ、段差は低く、いかにも時間がかかりそうに見える。便利そうなのは早送り。安全そうなのは古い方。だが、安全そうなものも信用できない。
「ログル、古い階段」
「通常階段に近いです。ただし、満腹度消費が少し増えます」
「ちゃんとデメリットがある!」
「時間を飛ばさない代わりに、歩数を要求されます」
「帰るって、ほんと簡単にしてくれない!」
コヨリは、早送り階段を一度だけ見た。踏めば、敵を置き去りにできるかもしれない。九十九階まで長い。ここで一日進んでも、あとで戻せるのではないか。そんな甘い考えが、針の影みたいに足元へ伸びてくる。
「一日くらい......」
「勇者様」
「分かってる。言ってみただけ」
「その一日が、帰宅時刻を大きくずらす可能性があります」
「一日って、家では大きいんだよね」
「はい」
一日は、ゲームなら経過ログで済む。でも、家では違う。ごはんの時間が過ぎる。お風呂の時間が過ぎる。寝る時間が過ぎる。誰かが、いつ帰るのかと玄関を見に行くかもしれない。
その想像が、コヨリの足を通常階段へ向けさせた。
「待たせすぎない」
「はい」
「でも、わたしの時間も消さない」
「はい」
「むずかしい!」
「帰還は、かなり難しい条件です」
階段を降りる途中、手すりが一度だけ鳴った。ぎしり、ではなく、かちり。罠の音。コヨリは足を止める。
「手すり罠?」
「時間滑りです。手すりに体重をかけると、二階分飛びます」
「手すりまで早送り!」
コヨリは手すりから手を離し、一段ずつ降りた。遅い。怖い。けれど、確実だった。
「一段ずつ」
「はい」
「こういうの、ゲームだと焦る」
「現実でも焦っています」
「言わないで!」
階段の途中で、コヨリは一度だけ座り込みたくなった。足が重い。満腹度も減っている。早送りを使えば楽だったのに、という声が頭の端で鳴る。
「ログル、楽な方を選ばないの、けっこう疲れる」
「はい」
「でも、楽な方が正解とは限らない」
「この階では特に」
コヨリは干し肉を少しだけかじり、また一段降りた。食べることも、待つことも、帰るための準備だった。
【新規獲得:階段影確認 Lv.1】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還時間シード
現在階層:70F突破
クラス:帰還者見習い
総死亡回数:1068回
到達時レベル目安:Lv14
帰宅時刻:未来側ズレを一度経験
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡対象上書き Lv.1】
【千回死亡条件破壊 Lv.1】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【神様案内警戒 Lv.2】
【帰還座標仮視認 Lv.2】
【記憶擬態識別 Lv.1】
【現実擬態フロア警戒 Lv.1】
【帰宅線形成 Lv.2】
【時間不一致警戒 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【早送り階段警戒 Lv.1】
新規獲得:【階段影確認 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ
早送り階段で帰宅時刻をずらして死んだ。二度目は影で通常階段を見分けた。
ログル
早送り階段と通常階段の見分け方を伝えた。
早送り階段
命は助かるが、帰宅時刻を未来側へずらす罠階段。
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