遅刻廊下――叫んだら一手進む
学校型フロアでは、声も一手に数えられる。
遅刻していなくても、叫べばチャイムは近づく。
返事をしない勇気も、たまには攻略になる。
二階から五階までは、階段の数字だけがやけに早く進んだ。三階は一歩で終わり、四階は回廊を半周しただけで消え、五階に降りた瞬間、コヨリの靴音が廊下に吸われた。
そこは学校だった。
ワックスの匂いがする廊下。壁には時間割表。窓の外は夕方なのに、校内放送だけが朝の声で鳴っている。
「ログル。学校だ」
「はい」
「帰りたい場所ではあるけど、ダンジョンで出てくる学校はだいたい信用できない」
「判断としては正しいです」
「でもちょっと懐かしいのが嫌!」
廊下の時計が、八時二十九分五十秒を指していた。秒針が進むたび、壁の掲示物が少しずつ赤くなる。
【警告】
【遅刻廊下】
【チャイムまで十手】
「十手って何秒!?」
「ここでは、勇者様の行動十回です」
「時間割なのに、時間を秒じゃなくてわたしの行動で数えるのやめて!」
遠くで、犬のような鳴き声がした。廊下の奥に、ベルを首輪にした番犬がいる。まだ眠っている。だが、チャイムが鳴れば起きる。そういう顔をしている。
コヨリは反射で叫んだ。
「遅刻してない!」
廊下の時計が一手進んだ。
「今のも行動!?」
「大声発言です」
「正当防衛の主張なのに!」
チャイムが鳴った。扉が一斉に閉まり、寝ていた番犬が目を開ける。ベルが吠える。番犬は一手で三マス詰めてきた。
「速い! まだ授業開始しただけなのに殺意が部活の朝練!」
コヨリは教室へ逃げ込もうとした。閉じた扉に額をぶつけ、後ろから番犬に跳ね飛ばされる。
【死亡ログ】
【死亡回数:1052回目】
【死因:遅刻してないと叫んでチャイムを早めた】
【評価:主張は正しいですが、声量が行動でした】
再挑戦。コヨリは、今度は叫ばなかった。口を両手で押さえ、廊下の端を走る。走るのも一手。曲がるのも一手。扉を開けるのも一手。校則ポスターが目に入る。
【廊下を走ってはいけません】
「走らなきゃ死ぬ場合は!?」
言いかけて飲み込む。声を出せば一手。コヨリは無言で教室に飛び込んだ。
中は安全地帯ではなかった。机が全部こちらを向いている。椅子が勝手に引かれ、黒板に文字が浮く。
【返事をしなさい】
「......」
【返事をしなさい】
コヨリの喉が震える。返事をしないのは悪いことのように感じる。小学校の空気が、体の中に入ってくる。
「ログル、小声は?」
「今回は非行動判定です。ただし二文字まで」
「厳しい」
コヨリは、唇だけで言った。
「あとで」
黒板の文字が止まった。チャイムが廊下の外で鳴る。教室の中にいれば番犬は入ってこない。コヨリは息を吐いた。
「返事をしない勇気、学校で習ってない」
「このダンジョンでは必修です」
「カリキュラムが命に直結してる!」
しかし、安心したところで、机の下から小さなベルが転がった。踏む。チャイムがもう一度鳴る。扉が開き、番犬が顔を出した。
「二回目のチャイムいらないいいいいいいいい!」
【死亡ログ】
【死亡回数:1053回目】
【死因:教室内の小ベル罠を踏み、遅刻ベル番犬を呼び直した】
【評価:教室に入っても足元確認は必要です】
三度目。コヨリは廊下で叫ばず、教室で返事を保留し、机の下を見てから進んだ。黒板の端に、細い階段の絵が描かれている。
「ログル、あれ本物?」
「階段です。チョークで描いた出口ですが、このシードでは有効です」
「学校の抜け道、芸術点高い!」
コヨリは黒板に手をついた。チョークの粉が指につき、次の階の光が開く。
教室を抜けたあとも、チャイムはコヨリの耳に残った。鳴っていないのに、次に鳴る気がする。鳴ったら動かれる。鳴ったら扉が閉まる。鳴ったら、また番犬が来る。
「ログル。学校のチャイムって、こんなに怖かった?」
「本来は授業開始や終了を知らせるものです」
「このダンジョンだと、処刑開始の合図なんだけど」
「はい。教育目的がかなり歪んでいます」
「教育委員会に怒られて!」
廊下の先で、時計の針が震える。あと三手で鳴る。コヨリはすぐ教室へ入ろうとして、足を止めた。前回、小ベル罠で死んだ。入る前に床を見る。机の下、椅子の足元、黒板消しの影まで見る。
「慎重になった」
「はい」
「でも、慎重になりすぎるとチャイムが来る」
「そこがこの階の難所です」
「人生の締め切りみたいなこと言わないで!」
コヨリは一手で確認し、一手で入る。最後の一手で扉から離れる。チャイムが鳴った時、コヨリは教室の中央ではなく、出口に近い壁際にいた。番犬は扉の外で吠えたが、入ってこない。
「勝った?」
「まだです。勝ったと言うと油断が発生します」
「じゃあ、小さく勝った」
「小勝利です」
「ログル、そういう言葉も作れるんだ」
【新規獲得:チャイム前沈黙 Lv.1】
次の廊下では、床に小さなベルが落ちていた。踏めば鳴る。拾っても鳴る。蹴っても、たぶん鳴る。コヨリはベルの前でしゃがみこみ、遠くから小石を投げるかどうか迷った。
「ログル、小石で確認したら?」
「小石を投げる行動で一手進みます。チャイムまで残り二手です」
「確認したいのに、確認したら締め切りが近づく!」
「安全確認にも費用がかかる階です」
「学費みたいに言わないで!」
コヨリは小石を投げなかった。かわりに、ベルの影を見る。影が二重になっている。普通のベルと、時間差で鳴るベル。影のずれが、ほんの少しだけ床に伸びていた。
「影がずれてる」
「正解です。時間差チャイム罠です」
「見れば分かる。でも、見ないと分からない。見てる間にも時間が進みそうで怖い!」
「焦りで大声を出さなければ、今は進みません」
「焦ってる時に焦るなって言われるやつ、世界で一番むずかしい!」
教室の扉の隙間から、子供たちの声が聞こえた。『早く早く』『遅刻だよ』『返事しなよ』。誰の声にも聞こえるし、誰の声でもない。第26章で聞いた偽物の呼び声に似ていた。似ているからこそ、コヨリは一度まぶたを閉じる。
「返事、しない」
「はい」
「でも、無視じゃない。今は返事しないだけ」
「それで十分です」
チャイムが鳴る直前、コヨリは扉を開けず、廊下の壁に背中をぴたりとつけた。廊下の中央を、遅刻ベル番犬が走り抜けていく。黒い毛の間に時計の針が混じり、舌の代わりにベルの紐が揺れていた。
「こわっ」
「小声なので非行動です」
「小声ツッコミ、命を救う!」
番犬が通り過ぎた後、コヨリは床へ札を置いた。
【大声禁止】
【返事は保留】
【ベルの影を見る】
書いたら少しだけ落ち着いた。ルールは多い。でも、ルールを自分で書けるなら、まだ戦える。
「学校なのに、ノートが命綱」
「勇者様、かなり授業を受けています」
「単位、帰宅でください!」
階段の絵へ入る直前、コヨリは自分の靴先を見た。靴に白いチョーク粉がついている。その粉が、廊下の罠線を少しだけ浮かせていた。
「ログル、これ、使える?」
「足跡で罠線が見えます」
「チョーク粉、初めて好きになった!」
コヨリは、わざと靴先で床を軽くこすった。踏まない。なぞるだけ。白い線が、ベル罠の輪郭を出す。叫ばない、走らない、でも確認はする。廊下に怒られそうなほど地味な攻略だった。
【新規獲得:返事保留 Lv.1】
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還時間シード
現在階層:5F突破
クラス:帰還者見習い
総死亡回数:1054回
時間因子:未安定
帰宅線:維持
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡対象上書き Lv.1】
【千回死亡条件破壊 Lv.1】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【神様案内警戒 Lv.2】
【帰還座標仮視認 Lv.2】
【記憶擬態識別 Lv.1】
【現実擬態フロア警戒 Lv.1】
【帰宅線形成 Lv.2】
【時間不一致警戒 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【チャイム前沈黙 Lv.1】
新規獲得:【返事保留 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ
遅刻していないと叫んで死んだ。三度目で小声と足元確認を覚えた。
ログル
声も行動になると警告した。二文字小声ルールを提示した。
遅刻ベル番犬
チャイムで起きる廊下の番犬。無実の児童にも容赦がない。
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