時間シード入口――帰れる日はまだ違う
玄関の気配が、少しだけ見えました。
でも、帰る場所と帰る日は別です。
次は、神様の時計を疑います。
帰還門が、ほんの少しだけ開いた。
今までの偽玄関とは違う。コヨリの記憶を雑に混ぜた部屋でも、声で誘うミミックでもない。白い光の向こうに、遠い玄関の気配がある。見えないのに、分かる。あそこには、ただいまと言っていい空気がある。
コヨリは、一歩近づいた。
足元のマス目は青い。ログルの宝石も、強い警告は出していない。アドミニスは黙っている。今は言葉を選んでいるようだった。
「ログル」
「はい」
「近い?」
「座標は、かなり近いです」
「本物?」
「偽座標反応は、ほとんどありません」
「じゃあ」
コヨリの喉に、あの言葉が上がってきた。
ただいま。
言いたい。今度こそ。偽物には言わなかった。取っておいた。だから、ここで言いたい。
ログルが、静かに前足を伸ばした。
「勇者様」
「なに」
「時間が、合っていません」
コヨリの足が止まった。
「時間?」
「はい。座標は近いです。しかし、帰還先の時刻が揺れています」
「何時間くらい?」
「読めません」
「何日?」
「読めません」
「何年?」
「可能性から消せません」
白い光の向こうで、玄関の気配が揺れた。近いのに遠い。ドアの前に立っているのに、ドアの向こうが昨日なのか、明日なのか、何年も先なのか分からない。
「神様」
「......うん」
「場所だけ合って、日が違った勇者がいるって言ったよね」
「言った」
「今、わたし、それになりかけてる?」
「可能性はある」
いつもの軽い言い方は出なかった。アドミニスは、言えば怒られると分かっている顔をしていた。
「今入ったら、どうなる?」
「分かりません。召喚直後に戻るかもしれません。元世界では数時間しか経っていないかもしれません。何年も経っている可能性もあります。最悪、勇者様の名前と座標は合っていても、帰る日だけが別人になります」
「別人」
「はい」
コヨリは、手を胸に当てた。
天野こより。勇者コヨリ。千回以上死んだ自分。帰りたい自分。ログルと一緒にここまで来た自分。
帰る日を間違えたら、どの自分が帰るのか分からない。
白い光の向こうから、ほんの少しだけ声がした気がした。
おかえり。
コヨリは唇を噛んだ。
「言わない」
「勇者様」
「まだ言わない。座標が近くても、日が違うなら、まだ言わない」
ログルの宝石が、やわらかく光った。
【時間因子:未攻略】
【時間シード入口:開放】
帰還門の横に、新しい扉が現れる。時計の針が何本も重なったような扉だった。長針と短針が逆回転し、秒針だけが一手ごとに進んでいる。
「神様の地図の次は、神様の時計」
「はい」
「時計って、普通は人を殺さないよね」
「普通は」
「普通じゃないんだね」
「かなり」
アドミニスが、小さく手を上げた。
「勇者ちゃん。時間シードは、座標シードより危険かもしれない」
「でしょうね!」
「でも、座標が取れたから、次は時間を合わせられる」
「それ、最初からセットで用意して」
「......はい」
コヨリは帰還門を見た。開きかけた玄関の気配は、ゆっくり閉じていく。寂しい。悔しい。でも、前より近い。
「帰れませんでした」
「うん」
「でも、近づきました」
「うん」
コヨリは、帰還門の前で小さく拳を握った。
「ただいまは、まだ言わない」
「はい」
「本物の場所で、本物の日に言う」
「はい」
「だから次、時計を攻略する」
時計の扉が、かちりと鳴った。
【帰還座標シード:攻略完了】
【座標因子:仮安定】
【総死亡回数:1050回】
【時間シード入口:開放】
ログルの宝石に、小さな文字が浮かんだ。
【成功ログ:偽物のただいまを拒否した】
コヨリは、それを見て少しだけ笑った。
時間シード入口の光は、これまでのどのフロアよりも静かだった。現実世界に似た騒がしさも、偽の声もない。代わりに、遠くで時計の針が重なり合う音がする。かち、かち、かち。三つも四つも、別々の速さで。
「音が多い」
「時間候補が重なっています」
「候補って言い方、嫌」
「帰還日時が未確定です」
「もっと嫌」
帰還門の奥には、玄関らしい光が見えた。偽玄関とは違う。床が呼吸していない。マットも口を開けない。空気の温度も、食べ物の匂いも、作られた甘さではない。
だからこそ、コヨリは動けなかった。
「ログル」
「はい」
「これ、本物っぽい」
「はい。座標はかなり近いです」
「じゃあ」
「時間が合っていません」
その言葉は、静かなのに重かった。
アドミニスの窓が、今度は門の外側に開く。白い光を背負った顔は、疲れて見えた。
「きみの世界へ戻るには、座標と時間を両方合わせる必要がある。場所だけ合っても、きみが消えた直後に戻れるとは限らない」
「何年も後とか?」
「可能性はある」
「何年も前とか?」
「ある」
「わたしがいないことになってる日とか?」
「......ある」
コヨリは、拳を握った。
「神様ァ」
「うん」
「帰還条件、重すぎる! 最初に『魔王倒したら帰れる』って言った時のノリ、どこ行ったの! 剣と魔法と仲間と魔王って言ったじゃん! 時間合わせとか、アニメでよくあるやつじゃなかったよ!」
「ごめん。本当に、ごめん」
謝罪の声に、いつもの軽さはなかった。だからといって許せるわけではない。コヨリは怒ったまま、門を見る。
奥から、かすかに声が聞こえた気がした。
「こより」
今度の声は、擬態の甘さがない。近い。遠い。どちらとも言えない。
コヨリの喉が動く。
「た......」
ログルが、隣で小さく首を振った。止めるためではない。約束を思い出させるために。
ただいまは、本物まで。
コヨリは口を閉じた。涙が一粒だけ落ちる。足元の光の線が、消えずに残った。
「言わない」
「はい」
「でも、忘れない」
「はい」
門の前には、透明な床が一マスだけ伸びていた。ログルが宝石を光らせる。
「勇者様。試験的に一マスだけ踏めます。ただし、時間反動が来ます」
「死ぬ?」
「可能性があります」
「可能性がある時はだいたい死ぬ」
「否定しにくいです」
コヨリは笑った。泣いているのに、少しだけ笑った。
「じゃあ、踏む」
「止めません」
「止めてよ、そこは」
「止めても、勇者様は踏むと思います」
「よく分かってる」
コヨリは透明な一マスに足を置いた。世界が、かちりと鳴る。玄関の光が近づき、同時に遠ざかる。時計の針が逆に回り、進み、折れ、増える。
「うわ、時間、気持ち悪い!」
「勇者様、戻ります!」
ログルの声が遠くなる。アドミニスの窓が割れるように揺れた。コヨリは最後に、玄関の奥の明かりだけを見た。
まだ帰れない。
でも、見えた。
白い光が落ちる直前、コヨリは叫んだ。
「神様の時計も、絶対攻略してやるからあああああああああああああああ!」
拠点の床に転がった時、ログルの宝石には静かな文字が浮かんでいた。
【時間シード入口:開放】
【座標因子:仮安定】
【未攻略因子:時間】
コヨリは仰向けのまま、天井を見た。
「ログル」
「はい」
「家、見えた」
「はい」
「じゃあ、次は日付」
「はい」
怖い。けれど、遠くなかった。もう、何も見えない場所を走っているわけではない。
帰る道は、線になった。あとは、帰る日を見つけるだけだ。
ネムは、転がってきたコヨリの前に受付票を置いた。
「死亡処理ではありません。時間反動による強制帰還です」
「死んでない?」
「死んではいません。ただし、気持ちはだいぶ削れています」
「受付が正確」
ログルはコヨリの額に前足を乗せた。
「熱はありません。記憶欠損もありません。帰宅線も残っています」
「よかった」
「ただ、時間因子への接触で、新しい警戒が必要です」
「またスキル?」
「はい。【時間不一致警戒 Lv.1】です」
「神様の時計を疑うスキルだね」
「だいたい合っています」
コヨリは起き上がり、帰還門を見た。さっき見えた玄関の光はもうない。でも、見たという事実だけは残っている。
「次は日付も攻略する」
ログルだけが小さく尻尾を振った。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還座標シード攻略完了
クラス:帰還者見習い
総死亡回数:1050回
安定因子:名前/記憶/縁/扉/座標(仮)
未攻略因子:時間
時間シード入口:開放
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡対象上書き Lv.1】
【千回死亡条件破壊 Lv.1】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【神様案内警戒 Lv.2】
【帰還座標仮視認 Lv.2】
【記憶擬態識別 Lv.1】
【現実擬態フロア警戒 Lv.1】
【帰宅線形成 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【時間不一致警戒 Lv.1】
更新:【帰宅線形成 Lv.1】→【帰宅線形成 Lv.2】
【登場人物紹介】
コヨリ
本物に近い玄関を見たが、時間が合わないため踏みとどまった。
ログル
座標は近いが時間が違うと止めた。成功ログを出した。
アドミニス
時間シードの危険を認めた。今度は少しだけ説明が早い。
ベル
発言権管理で主神を制御している。今回は影で効いている。
続きが気になると思っていただけたら、ブックマーク登録や評価、コメント、レビューで応援していただけると嬉しいです!




