帰りたいまま疑う
帰りたい気持ちは、消しません。
会いたい気持ちも、捨てません。
そのまま、偽物だけを拒みます。
帰宅願望ミミックの入口に、コヨリはもう一度立った。
部屋は、また優しかった。玄関灯は温かく、台所からは湯気が上がり、教室の窓辺には親友に似た影がいる。公園のブランコが揺れ、自室のゲーム画面が光る。
全部が、こっちにおいでと言っている。
「ログル」
「はい」
「帰りたい」
「はい」
「会いたい」
「はい」
「ただいまって言いたい」
「はい」
「でも、ここじゃない」
「はい」
ログルは、それ以上何も言わなかった。
帰宅願望ミミックが、母親の声で言う。
「こより、ごはんできてるよ」
コヨリは答える。
「本物なら、先にどうしたのって聞く」
父親の影が言う。
「迎えに来たぞ」
「本物なら、待っててくれる」
親友に似た子が泣く。
「どうして来てくれないの」
「本物なら、怖がってるわたしを無理に呼ばない」
友達に似た声が、ログルを指す。
「その子、置いていこうよ」
「本物なら、知らないログルをいきなり捨てろなんて言わない」
食卓の椅子が、空席を見せる。
「座って」
「本物の席は、わたしを食べない」
ゲーム画面が光る。
【つづきから】
「帰宅とゲームの続きは別!」
部屋のあちこちが、ひび割れた。
帰宅願望ミミックは、最後に全部の声を重ねた。
「帰りたくないの?」
コヨリは、首を横に振った。
「帰りたい」
声は震えている。でも、もう足は出ない。
「帰りたいよ。何回死んでも帰りたい。千回死んでも、千五十回死んでも、帰りたい。だから、偽物の家には入らない。偽物にただいまは言わない。本物の玄関まで、取っておく」
足元のマス目が青く変わった。ログルの宝石が、同じ色で光る。
「勇者様、正面の一マスだけ安全です」
「行く」
「次の一手で、中核へ触れます。攻撃ではありません」
「うん」
コヨリは、胸の前で両手を握った。
一手。
正面へ進む。床は抜けない。声も伸びてこない。コヨリは部屋の中央にある小さな鍵へ手を伸ばした。鍵は、家の鍵に似ているが、歯の形が少し違う。これは本物ではない。本物ではないが、帰還座標を測るための欠片だ。
帰宅願望ミミックが叫ぶ。
「こっちにおいで!」
「行かない!」
コヨリは鍵をつかんだ。
部屋が崩れる。家も学校も公園も自室も、全部が白い光へほどけていく。母親の声も、父親の影も、親友の泣き声も、最後にはただのノイズになった。
それでも、消える直前、どこか遠くで本物ではない「おかえり」が聞こえた。
コヨリは答えない。
代わりに、小さく言った。
「本物に会うまで、待ってて」
白い光が晴れると、コヨリは帰還門の前に立っていた。手の中には、透明な鍵ではなく、細い光の線が残っている。住所の点ではない。玄関まで続く、帰り道の線。
ログルが、その線を宝石に記録した。
【座標因子:仮安定】
【元世界座標候補:天野こよりの帰宅線】
「家、ひとつじゃなかった」
「はい」
「でも、偽物は分かった」
「はい」
「じゃあ、次は本物に近づける」
「はい。近づけます」
死亡ログは増えなかった。
コヨリは、はじめて帰宅願望ミミックに勝った。
ボス部屋の空気は、甘い匂いがした。帰宅願望ミミックは形を失いながらも、まだ消えていない。壁に母親の声が貼りつき、床に友達の笑い声が染み、天井から父影の手が垂れている。
「勇者様、残り反応が三つあります」
「多い!」
「座標、記憶、縁の擬態です。どれも勇者様の帰りたい気持ちに結びついています」
「結びつき方がひどい!」
コヨリは短剣を握り直した。敵を倒す、というより、絡まった糸をほどく作業に近い。切りすぎると、自分の記憶まで傷つけそうで怖い。
「ログル。わたし、これを全部否定したら、帰れなくなる?」
「可能性があります」
「じゃあ、倒し方がむずかしい」
「はい。帰りたい気持ちは保持したまま、偽物の接続だけを切る必要があります」
「ゲームだったら説明欄に長く書かれてるやつ!」
アドミニスの白い窓が、壁の端に開いた。
「勇者ちゃん、無理に全部消さなくていい。座標として使える反応もある」
「神様」
「うん」
「今さら攻略ヒント出すなら、もっと早くチュートリアルして」
「はい」
ミミックが、コヨリの母親に似た声を出す。
「帰りたくないの?」
「帰りたい」
コヨリは即答した。そこだけは迷わない。
「じゃあ、どうして来ないの?」
「ここが偽物だから」
親友の声が重なる。
「会いたくないの?」
「会いたい」
「じゃあ」
「でも、あなたは違う」
父影の声が落ちる。
「迎えに来たぞ」
「ありがとう。でも、わたしが帰る」
友達の声が笑う。
「その変な子も連れていくの?」
「ログルは、変だけど大事」
「勇者様、変は余計です」
「ごめん。大事が本体」
そのやり取りで、ミミックの表面にひびが入った。言葉を奪えない。気持ちを消せない。コヨリが自分で「帰りたい」と認めているから、敵はそこを餌にしにくくなっている。
ログルの宝石に、細い光の線が浮かんだ。
「勇者様、その線です。帰宅線の芯が見えています」
「線?」
「住所ではなく、勇者様の記憶と意思を結ぶ線です。切らずに、引き寄せてください」
「引き寄せるって、どうやるの」
「言葉で」
「また言葉! このダンジョン、国語のテスト多すぎ!」
コヨリは短剣を下ろした。代わりに、両手を胸に当てる。怖い。敵はまだ目の前にいる。牙も口もある。でも、これは殴るだけでは終わらない。
「帰りたい」
声は震えた。
「お母さんに会いたい。お父さんに会いたい。友達にも、親友にも会いたい。自分の部屋に戻りたい。ゲームのつづきもしたい。ごはんも食べたい。ただいまって言いたい」
ミミックが、にやりと口を開ける。
「なら」
「だから、偽物には渡さない」
コヨリは顔を上げた。
「帰りたいまま、疑う。会いたいまま、見分ける。ただいまは、本物の玄関まで取っておく」
光の線が、コヨリの足元から伸びた。偽の家を通らず、偽の食卓を避け、偽の教室を抜け、どこか遠くへ向かう細い線。
帰宅願望ミミックの体が崩れる。優しい部屋の壁が紙のようにはがれ、黒い本体がむき出しになった。
「ログル、今なら?」
「はい。今なら、ただのミミックです」
「ただのミミックも嫌だけど、だいぶまし!」
コヨリは短剣を構え、笑った。泣きながら、少しだけ強い顔で。
「帰る気持ちを餌にしたこと、反省して!」
短剣が、黒い本体を斬った。
黒い本体を斬られたミミックは、最後に小さな声を出した。
「帰りたくないって言えば、楽になるよ」
コヨリは首を横に振った。
「楽にならない。嘘になるだけ」
「帰りたいって言うから、苦しいんだよ」
「苦しくても、本当だから持っていく」
ログルの宝石が強く光った。光の線が、コヨリの足元からさらに伸びる。偽の部屋が一枚ずつはがれ、暗い床の下から白い門の輪郭が現れた。
「勇者様、帰宅線が固定されます」
「固定って、もうワープ床にならない?」
「仮固定です」
「仮って言葉、神様界隈で信用しにくい!」
それでも、光は消えなかった。コヨリは短剣を下ろし、息を吐く。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還座標シード
クラス:帰還者見習い/地図師適性再発現
総死亡回数:1050回
座標因子:仮安定
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【神様案内警戒 Lv.2】
【帰還座標仮視認 Lv.1】
【ただいま保留 Lv.1】
【帰る意思固定 Lv.1】
【帰宅願望擬態警戒 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【帰宅願望保持 Lv.1】
新規獲得:【偽記憶拒否 Lv.1】
更新:【帰還座標仮視認 Lv.1】→【帰還座標仮視認 Lv.2】
【登場人物紹介】
コヨリ
帰りたい気持ちを捨てずに、偽物の家だけを拒んだ。座標因子を仮安定させた。
ログル
最後の一手を静かに支えた。帰宅線を記録した。
帰宅願望ミミック
本物の願いを餌にした敵。帰りたいまま疑われ、擬態を崩された。
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