帰宅願望ミミック――優しい家は口を開ける
家、学校、友達、家族。
全部を混ぜた、いちばん優しい部屋が出ます。
優しい部屋ほど、入口で止まりましょう。
その部屋は、部屋ではなかった。
家の玄関で、学校の教室で、公園で、自室で、食卓だった。壁の向こうから母親の声がして、廊下には友達の足音があり、机の上にはゲーム画面が光っている。窓の外には通学路が続き、ドアの前には父親に似た影が待っていた。
全部、知っている。
全部、帰りたい場所の一部だった。
「勇者様」
「分かってる」
「ここは、元世界ではありません」
「分かってる」
「記憶擬態の中核です」
「分かってるって言ってるでしょ!」
声が震えていた。
部屋の奥から、いくつもの声が重なる。
「こっちにおいで」
「おかえり」
「ごはんできてるよ」
「遊ぼう」
「もうがんばらなくていいよ」
「ただいまって言って」
【中核擬態反応】
【帰宅願望吸収】
【敵名候補:帰宅願望ミミック】
「敵名まで出た」
「はい」
「帰宅願望って、わたしの気持ちじゃん」
「はい」
「わたしの気持ちを、敵名にしないで」
「すみません」
部屋は、少しずつ形を変えた。今度は、コヨリの自室に近くなる。机の上に、ゲーム機。椅子の背にかけた上着。ランドセル。窓際の小物。
そして、ベッドの横に空いている場所。
帰ってきたら、そこで眠れる。
そう思った瞬間、コヨリの足が前へ出た。
「勇者様!」
「分かってる! でも、帰りたい!」
それは嘘ではなかった。偽物だと分かっていても、帰りたい気持ちは止まらない。帰宅願望ミミックは、そこを食べる。コヨリの本物の願いを、偽の入口へつなげる。
アドミニスの窓が開いた。
「勇者ちゃん、願望を切って! 帰りたい気持ちを一度遮断すれば」
「やだ!」
「でも」
「帰りたい気持ちまで捨てたら、わたし、何でここまで死んだの!」
コヨリは泣きながら怒鳴った。
その叫びで一手進む。部屋の床が口を開けた。机が牙になり、ベッドが舌になり、家族と友達の声がひとつの大きな笑い声へ変わる。
「勇者様、後退!」
「足が、動かない!」
帰宅願望が、足首をつかんでいた。鎖ではない。記憶だ。帰りたい。帰れるかもしれない。今度こそ。この部屋なら。
ログルがコヨリの肩から飛び降り、額の宝石を床に叩きつけた。青い光が一マスだけ道を作る。
「勇者様、ぼくを見てください」
「ログル」
「ここは、帰る場所ではありません」
「でも」
「ぼくは、勇者様に帰ってほしいです。でも、ここには入ってほしくありません」
コヨリは、ログルを見た。帰りたい気持ちは消えない。消えないまま、少しだけ足が自由になる。
「一マス、下がる」
「はい」
一手。
コヨリは下がった。だが、帰宅願望ミミックは待っていた。下がった先の床に、最初の横断歩道と同じ白いワープ線が浮かぶ。
「最初の罠!」
「学習されています!」
ワープ床が足元で開いた。落ちながら、部屋の中の声が全部重なった。
「おかえり」
「まだ言わない!」
【死亡ログ】
【総死亡回数:1048 → 1050】
【死因:帰りたい気持ちを読まれて、優しい家に入った】
【評価:帰りたいは本物。家は偽物】
【拠点側保存:本人死亡ログ/座標因子反動ログ】
【新規獲得:帰宅願望擬態警戒 Lv.1】
帰宅願望ミミックは、これまでの敵と違って、形を一つに決めなかった。
住宅街になり、学校になり、台所になり、自室になり、食卓になり、玄関になった。コヨリが一番見たいものを、その瞬間ごとに選んでくる。だから、目を閉じても意味がない。耳を塞いでも足りない。心の中の「帰りたい」が、敵の材料にされている。
初回死亡のあと、拠点は妙に静かだった。
「帰りたいは本物。家は偽物」
コヨリは死亡ログの評価を読み上げ、机に額をつけた。
「評価が正しすぎてつらい」
「はい」
「わたしの気持ちは、本物なんだよね」
「はい」
「でも、それを読まれる」
「はい」
「プライバシーの概念、神様空間にないの?」
アドミニスは窓の中で、両手を上げた。
「ある。あるけど、帰還処理は例外で」
「例外が多い運営は信用されない!」
「はい」
ベルが万年筆を走らせる音がした。抗議書がまた増えている。
ログルは、コヨリの前に座った。いつもなら死因ログを整理するところだが、今回はすぐには始めない。
「勇者様。帰りたい気持ちを消そうとしないでください」
「消せるわけないよ」
「はい。だから、消さずに疑います」
「帰りたいまま疑う?」
「はい。帰りたいからこそ、偽物に渡さない」
その言い方は、コヨリの胸に少しだけ入った。
再戦のフロアは、最初から家だった。玄関の扉があり、表札があり、奥から光が漏れている。けれど、家の壁は呼吸していた。安全地帯のふりをした巨大な口だ。
「こより」
「こっちにおいで」
「席、空いてるよ」
「ただいまって言って」
「ゲーム、つづきからできるよ」
声が重なる。優しさの詰め合わせみたいで、吐き気がするほど甘い。
コヨリはその場で膝をつきそうになった。帰りたい。帰りたい。帰りたい。何度死んでも、壁に書いてきた言葉が、敵の腹の中から返ってくる。
「勇者様」
「......言わないで」
「はい」
「今、ログルが止めたら、たぶんわたし、ログルに怒る」
「はい」
「自分で止まる」
コヨリは震える手で、小石を握った。いつもの小石。元世界のものではない。異世界で何度も命を拾ってくれた、ただの小石。
「帰りたい」
声に出した。世界が一手進む。帰宅願望ミミックの扉が、少し開く。
「でも、ここじゃない」
もう一手。壁が伸びる。玄関マットが舌のように動く。
「会いたい」
奥から、家族や友達の影が手を伸ばす。
「でも、あなたたちは違う」
コヨリは小石を投げた。狙いは扉ではない。家の影の下、呼吸している床の中心。小石が当たると、家全体がびくりと跳ねた。
「ログル!」
「右後方に本体の影。壁ではなく、影です!」
「家の影を殴る勇者、聞いたことない!」
コヨリは【死因刻みの短剣】を抜いた。真正面の玄関ではなく、足元から伸びる影を切る。黒い線が裂け、家の形が歪む。扉が口になり、窓が目になり、食卓と教室と自室がぐちゃぐちゃに混ざる。
「ただいま」
ミミックが、コヨリの声で言った。
それが、一番腹が立った。
「その言葉、勝手に使うなああああああああああああああああ!」
叫びで一手。敵も動く。でも、今度は引かない。コヨリは影をもう一度切った。
ミミックの影を斬るたびに、コヨリの頭の中で記憶の断片がはじけた。朝の玄関、学校のチャイム、ゲームの起動画面、夕方の道。どれも本物の一部で、敵の一部でもある。
「ログル、切りすぎてない?」
「今のところ、偽接続のみです」
「今のところ禁止!」
「では、かなり慎重に成功しています」
「それならよし!」
帰宅願望ミミックは、最後にコヨリ自身の姿になった。幼女勇者ではなく、元世界の天野こよりに近い姿。ランドセルを背負い、泣きそうな顔で手を伸ばす。
「帰ろう」
コヨリは短剣を止めた。
「......わたしの顔まで使うの」
「勇者様、これは最終誘導です」
「うん。知ってる」
コヨリは短剣ではなく、小石を投げた。自分に似た影の足元へ。床が割れ、偽のこよりが黒い口に戻る。
「わたしを使って、わたしを騙すな!」
今度の叫びは、敵の中心まで届いた。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還座標シード
クラス:帰還者見習い/地図師適性再発現
総死亡回数:1050回
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【神様案内警戒 Lv.2】
【ただいま保留 Lv.1】
【帰る意思固定 Lv.1】
【食卓モンスターハウス警戒 Lv.1】
【操作前確認 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【帰宅願望擬態警戒 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ
帰りたい気持ちそのものを罠にされて死亡。でも、帰りたい気持ちは捨てなかった。
ログル
帰ってほしいからこそ、偽物の家へ入らせなかった。相棒としてかなり大事な場面。
帰宅願望ミミック
家、学校、友達、家族、自室を混ぜた中核擬態。コヨリの本物の願いを餌にする。
アドミニス
願望遮断を提案したが、コヨリに拒否された。方法は正しくても、心を見ていない。
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