先生フロア――廊下を走ってはいけません
学校の廊下では、先生が注意してきます。
従えば鈍足、走れば罠。
校則より命を守りたい日もあります。
学校の廊下は、まっすぐすぎた。
窓の外には夕焼けに似た紫色の空が広がり、床はワックスをかけたばかりみたいに光っている。右には教室の扉が並び、左には掲示板がある。そこに貼られた紙には、見覚えのある丸文字でこう書いてあった。
【廊下を走らない】
「ログル」
「はい」
「これ、絶対罠だよね」
「かなり強い校則反応があります」
「校則反応って何」
「守ると鈍足、破ると罰則罠の可能性です」
「教育委員会に怒られろ!」
廊下の奥から、先生に似た影が歩いてきた。顔はぼやけているが、手に持った出席簿だけが妙にくっきりしている。
「廊下を走ってはいけません」
声が廊下に響いた瞬間、床のマス目が黄色く光った。
「走ると右の掲示板から矢が飛びます。歩くと後ろの倍速雑巾が追いつきます」
「雑巾が倍速!?」
「はい。濡れています」
「情報量がひどい!」
後ろから、ぺたぺたぺたぺた、と湿った音が近づいてくる。振り返ると、雑巾が四つ足で走っていた。速い。とても速い。学校の掃除道具にあるまじき機動力だ。
「走るなって言われてるのに、後ろから雑巾が来る!」
「場所替えの杖があります」
「先生と?」
「はい」
「先生を雑巾の前に置くの、道徳的にどうなの」
「先生ではありません。先生型監視者です」
「ならよし!」
一手。
杖の光が走り、コヨリと先生型監視者の位置が入れ替わる。次の瞬間、倍速雑巾が先生型監視者の足元へ突っ込んだ。
ぬるっ。
先生型監視者が見事に転ぶ。出席簿が宙を舞い、廊下の掲示板から矢が三本飛んだ。矢は先生型監視者の影をすり抜け、反射してコヨリのほうへ戻ってくる。
「戻ってくるの!?」
「反射掲示板です」
「掲示物に反射性能つけるなああああ!」
コヨリは廊下を走らず、一マスだけ横へ跳んだ。矢は制服の袖をかすめ、背後の黒板消し型トラップを起動させる。白い粉が廊下を満たした。
「目つぶし粉です」
「学校の罠が全部いや!」
視界が真っ白になる。コヨリは、ログルの声だけを頼りに壁へ手を伸ばした。
「右に一マス。止まって」
「止まる!」
「次、歩いてください。走ると罰則です」
「今それ守るの!?」
「守らないと矢です」
「校則の圧が命より強い!」
コヨリは歩いた。だが、目つぶし状態の足元に、給食袋の紐が落ちていた。つまずく。転び慣れで前転はできたが、一手遅れる。倍速雑巾が二歩進み、背中にぬるりと乗った。
「冷たっ!」
【死亡ログ】
【総死亡回数:1037 → 1039】
【死因:廊下を走らず倍速雑巾に追いつかれた】
【評価:校則は守りました。命は守れませんでした】
【拠点側保存:本人死亡ログ/座標因子反動ログ】
【新規獲得:校則罠警戒 Lv.1】
先生型監視者について、ミネルはやけに長い説明書を持ってきた。
「校則型拘束魔物は、対象の倫理記憶と集団生活経験を参照し、違反行動に罰則、遵守行動に遅延を付与する非常に教育的かつ非教育的な存在です」
「教育的と非教育的を同じ文章に入れないで」
「説明書は全八百ページです」
「燃やすね」
「まだ一ページ目です」
「一ページ目から燃やす価値がある!」
ベルは、先生型監視者の校則を魔王軍法務用語に翻訳していた。
「走ると罰。歩くと追いつかれる。立ち止まると説教。返事をすると拘束。無視すると廊下全体が敵化。非常に悪質です」
「学校の廊下で詰み将棋しないでほしい」
ログルは、地図の廊下部分に赤線を引く。
「正解は、校則に付き合わないことです。走らない。歩き続けない。先生に返事をしない。場所替えの杖で位置を入れ替え、監視者自身を鈍足敵の前に置きます」
「先生を盾にするの、すごく怒られそう」
「相手は先生ではありません」
「わかってる。でも、気分が職員室送り」
再挑戦の廊下は、やけに長かった。窓の外には校庭が見えるのに、走れば届きそうな距離が、何マスも何マスも引き伸ばされている。廊下の真ん中に、先生型監視者が立っていた。顔はぼやけ、口元だけがはっきりしている。
「廊下を走ってはいけません」
コヨリは反射で「はい」と言いそうになり、両手で口を押さえた。返事は一手。礼儀で死ぬな。自分に言い聞かせる。
「勇者様、右後方から倍速ぞうきんです」
「ぞうきんが倍速!?」
床を濡らしながら、黒いぞうきんの塊が二マス分進んでくる。学校の掃除道具まで敵だ。コヨリは泣きそうになりながら、杖を握った。
「場所替えの杖、残り一回」
「使いどころです」
「先生っぽい敵と場所替えするの、心がざわざわする!」
「命を優先してください」
「はい!」
「返事で一手」
「今のはログルに! ログルにだけ!」
世界が一手進み、倍速ぞうきんが近づく。コヨリは慌てて杖を振った。光が廊下を走り、先生型監視者とコヨリの位置が入れ替わる。
「廊下を走ってはいけません」
先生型監視者は、今度は倍速ぞうきんに向かって校則を告げた。ぞうきんは止まらない。濡れた布の塊が、先生型監視者の足元へ滑り込む。
「先生、ぞうきんも注意して!」
「勇者様、見ていないで出口へ」
「はい! あ、今のはいは行動?」
「小声なので非消費です。たぶん」
「たぶん怖い!」
コヨリは走らなかった。走るかわりに、壁際を斜めに一マスずつ抜ける。廊下の床には、踏むと「反省文」と書かれた紙が貼りつく罠があった。踏めば書くまで動けない。コヨリは小石でそれを起動し、紙がむなしく空中に貼りつくのを見た。
「反省文罠!」
「踏むと三ターン拘束です」
「反省は拠点でやる! ダンジョンに提出しない!」
出口の扉に手をかけると、背後から先生型監視者の声がした。
「廊下を走ってはいけません」
コヨリは振り返らず、扉を押した。
「走ってない。攻略してるの!」
出口の扉を開ける前に、先生型監視者が最後の校則を投げてきた。
「忘れ物をしてはいけません」
廊下の真ん中に、かわいい筆箱が落ちている。コヨリの記憶にあるものと同じ色だった。拾いたい。拾わないと怒られそうな気がする。
「ログル、あれ」
「忘れ物型ミミックです」
「筆箱まで!?」
「鉛筆に見える牙があります」
「文房具の誇りを持って!」
コヨリは筆箱を拾わず、かわりに反省文罠の紙を一枚投げた。紙が筆箱に貼りつき、筆箱がびくびく震える。
「忘れ物は先生に提出!」
「かなり雑ですが有効です」
扉が開く。コヨリは職員室送りにならず、廊下を抜けた。
外へ出ると、校舎の壁に「よい子の目標」と書かれた紙が貼ってあった。一番上には、返事をしましょう。二番目には、廊下を走りません。三番目には、忘れ物を拾いましょう。
「全部、今回の死因候補じゃん!」
「現実の規範を反転利用しています」
「難しいこと言わなくていい。いい子を殺す紙だよ!」
コヨリは紙の端に、鉛筆で小さく書き足した。
【命が先】
すると紙は、悔しそうにしわしわになった。
紙がしわしわになるのを見て、コヨリは少しだけ胸を張った。いい子の目標より、生きて帰る目標のほうが、今はずっと大事だった。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還座標シード
クラス:帰還者見習い/地図師適性再発現
総死亡回数:1039回
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【返事保留 Lv.1】
【親友擬態識別 Lv.1】
【母声ごはん警戒 Lv.1】
【抱擁距離警戒 Lv.1】
【遊び誘導警戒 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【校則罠警戒 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ
校則と命の板挟みで死亡。廊下では走らないが、倍速雑巾からは逃げたい。
ログル
場所替えの杖で打開を提案。反射掲示板までは少し遅れた。
先生型監視者
校則を武器にする敵。先生本人ではない。
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