父親フロア――迎えに来たぞ
玄関の向こうから、迎えの声がします。
抱きしめる腕に見えても、射程は確認しましょう。
父性と触手は別物です。
玄関のフロアは、夜の匂いがした。
靴箱の上には鍵置きがあり、傘立てには見覚えのある色の傘が一本だけ刺さっている。ドアの向こうから、車のドアが閉まるような音がした。コヨリは思わず顔を上げる。
「......この音、知ってる」
「勇者様。足元を先に」
「分かってる」
コヨリは小石を転がした。玄関マットに当たった小石は、ふかっと沈んだあと、何事もなかったように止まる。怪しい。何事もないのが一番怪しい。
ドアの向こうから、低い声がした。
「こより。迎えに来たぞ」
父親に似た声だった。
ドアが開いた。外は暗いのに、そこに立つ影だけがはっきりしている。顔は見えない。大きな腕が、玄関の光の中へ伸びた。
「おいで」
コヨリは、一歩だけ前に出かけた。その瞬間、腕が伸びた。人間の腕の長さではない。玄関から三マス先まで届く、黒い帯のような腕。抱きしめる形をしているのに、指先は鍵爪になっていた。
「リーチ長っ!」
「下がってください!」
コヨリは後ろへ飛ぶ。玄関マットが口を開け、さっき小石を飲み込まなかった顔で牙を見せた。後退先も罠。いつものやつだ。
「後ろも罠!」
「右の傘立てへ」
「傘立てって安全地帯になるものなの!?」
一手。
コヨリは傘立ての横へ体を滑らせた。世界が動き、黒い腕が玄関マットごと床をえぐる。傘立ての傘が勝手に開き、盾のように爪を受けた。
「傘えらい!」
「長くはもちません」
影が、もう一度言う。
「迎えに来たぞ」
コヨリは傘の影で、息を吐いた。
「迎えに来たって言えば、わたしが行くと思った?」
黒い影は答えない。
「本物なら、わたしが怖がってたら、玄関で待つ。腕を伸ばして捕まえたりしない」
影の輪郭が歪んだ。父親の声に、別の獣のうなりが混ざる。
コヨリは吹き飛ばしの杖を構えた。ログルが短く言う。
「斜めです。正面は反射壁」
「斜め、苦手!」
「失敗すると抱擁距離です」
「抱擁距離って言うなあああああ!」
一手。
杖の光が斜めに走った。父影ゴーレムの体が玄関の外へ弾かれ、反射壁ではなく靴箱の角にぶつかる。だが、腕だけが床を這って戻ってきた。
「腕だけ戻るの反則!」
爪が足首をつかんだ。抱きしめられる直前、コヨリは叫ぶ。
「本物のお父さんなら、触手判定じゃないでしょおおおおおおおおおお!」
【死亡ログ】
【総死亡回数:1033 → 1035】
【死因:父親の迎えに見える拘束攻撃に入った】
【評価:父性ではなく射程三マスの拘束でした】
【拠点側保存:本人死亡ログ/座標因子反動ログ】
【新規獲得:抱擁距離警戒 Lv.1】
父影ゴーレムの死因ログを見たゼルドは、額を押さえた。
「父親の姿で拘束攻撃か。余の魔王軍でも、家族の姿を使う作戦は倫理部門が止めるぞ」
「魔王軍に倫理部門あるの?」
「ある。ベルが作った。主に神々への抗議文を書く部署だ」
「魔王軍のほうが人間にやさしいの、どういう世界なの」
ベルは、すでに書類を三枚作っていた。
「主神様。未成年勇者の家族記憶を用いた拘束型モンスター配置について、苦情を提出いたします。控えは三部です」
「ベル、仕事が早い」
「魔王軍は再発防止を重視しております」
「神様より運営がちゃんとしてる!」
アドミニスは白い窓の中で小さくなっていた。
「いや、あれはフロアが自動生成した擬態で、僕が直接お父さん型にしたわけじゃ」
「自動生成に丸投げした神様が悪い!」
「はい」
再突入した玄関前フロアでは、父親に似た影が門の前に立っていた。夕方の住宅街に、長い影が伸びている。大きい背中。手を上げる仕草。見たことがある気がするせいで、足がすくむ。
「迎えに来たぞ」
コヨリは、ぐっと唇を結んだ。
「ログル、距離」
「五マスです。ただし、腕の射程は六マス」
「父性のリーチじゃない」
「触手判定です」
「言い方をやわらかくしてって前にも言った!」
父影ゴーレムは、一歩も動かない。動かないのに、腕だけが少し長く見える。玄関のタイルはきれいに磨かれていて、安心できそうに見えた。だが、タイルの目地が細いマス目になっている。
「迎えに来たぞ」
「来なくていい」
コヨリの声は震えた。でも、出した。今度は叫ばず、必要な分だけ。
「わたしが帰る」
父影ゴーレムの肩が、ぴくりと動いた。迎える側として配置された敵は、帰る側の意思に少し弱いらしい。ログルの宝石が淡く光る。
「勇者様、左の植木鉢。中に【眠り玉】があります」
「植木鉢に打開アイテム入れないでほしい。家庭菜園の難易度が高い」
コヨリは植木鉢へ一マス。土を掘る一手で、父影の腕が伸びる。眠り玉をつかむ一手で、腕はさらに近づいた。世界が丁寧に殺しに来る。
「残り三マス」
「分かってる!」
「投げるなら、今です」
「父親っぽい敵に眠り玉を投げるの、親不孝っぽくて嫌!」
「本物ではありません」
「分かってるけど、気分!」
コヨリは泣きそうな顔で眠り玉を投げた。玉は玄関タイルで割れ、白い煙が広がる。父影ゴーレムの腕が、眠そうに垂れた。完全には止まらない。鈍足になっただけだ。
「寝ないの!?」
「父性擬態の耐性が高いです」
「お父さんっぽさを耐性に使うな!」
それでも、鈍足なら間に合う。コヨリは玄関へ直進しなかった。右の細い路地へ回る。迎えの腕を避け、見た目だけ安全な玄関マットを踏まない。
路地の先に、古い門柱があった。そこには表札がない。名前で誘う罠ではない。ただ、奥へ進む道だけがある。
「ログル」
「はい」
「迎えに来たって言われると、安心しそうになる」
「はい」
「でも、わたし、迎えられるだけじゃ帰れないんだね」
「自分で帰る道が、必要です」
コヨリは小さくうなずき、眠ったふりをした父影ゴーレムから目を離さなかった。
路地の壁には、古い自転車が立てかけてあった。前かごに、見覚えのあるようなタオルが入っている。父親が使っていたものに似ていた。
「触らないでください」
「分かってる。タオルも罠?」
「おそらく、抱擁距離延長アイテムです」
「タオルで距離を延ばすな!」
コヨリは自転車を避け、路地の端へ進んだ。父影ゴーレムはまだ眠り玉の煙の中で揺れている。追ってこないのに、声だけが何度も届く。
「迎えに来たぞ」
「ログル」
「はい」
「本物なら、わたしが自分で歩くって言ったら、待ってくれるかな」
「たぶん、待ってくれると思います」
「たぶんじゃなくて」
「待ってくれます」
「うん」
その返事を胸に入れて、コヨリは次の角を曲がった。
路地の先で、郵便受けがかたりと鳴った。中には手紙が一通だけ入っている。宛名は、天野こより。字は父親のものに似ていた。
「ログル、手紙」
「封筒型ミミックです」
「家族フロア、郵便物まで信用できない!」
小石を入れると、封筒が勢いよく閉じた。もし指を入れていたら、たぶん次の死因ログに載っていた。
「読まなくてよかった」
「はい。読んだら泣いて、その後噛まれます」
「二段構えがひどい!」
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還座標シード
クラス:帰還者見習い/地図師適性再発現
総死亡回数:1035回
千回死亡条件カウンター:1000/1000 停止
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【神様案内警戒 Lv.1】
【母声ごはん警戒 Lv.1】
【親友擬態識別 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【抱擁距離警戒 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ
父親に似た声で一瞬揺れたが、三マス拘束にキレた。
ログル
射程と反射壁を冷静に確認した。言い方が少しひどい。
父影ゴーレム
父親の声と迎えの言葉を使う大型擬態敵。抱擁ではなく拘束。
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