友達フロア――名前を呼ばれたら返事をしてしまう
学校の昇降口に、知っている顔が並んでいます。
名前を呼ばれたら、返事をしたくなる。
でも、返事も一手です。
次に開いた帰還門の先は、学校の昇降口だった。
床には砂が少し残っていて、下駄箱には白い名札が並んでいる。窓から入る光はやわらかく、誰かの上履きがきゅっと鳴ったような音まで聞こえた。けれど、天井の蛍光灯は点滅するたび、青白いマス目を床に浮かべている。
「学校、だよね」
「学校に似ています」
「ログル、そこ言い直さないで。心がすりむく」
「すりむいても確認は必要です」
昇降口の奥から、何人もの子どもが顔を出した。クラスメイトに似た顔。よく一緒に帰った子に似た髪型。給食の時間に笑った声に似た声。
「こよりちゃん」
「おはよう」
「遅いよ」
「早く教室行こう」
コヨリの喉が、反射で動いた。
「おは......」
言いかけた瞬間、ログルが前足でコヨリの靴を叩いた。
「返事をしないでください」
「え?」
「ここでは、声も行動判定になる可能性があります」
コヨリは口を両手で塞いだ。昇降口の空気が、ぴたりと止まる。靴箱の影から出てきた子たちの笑顔も、紙で貼ったみたいに固まった。足元に浮かんだマス目が、返事を待つように薄く明滅している。
コヨリは心の中で叫んだ。
返事できない学校、いやすぎる。
アドミニスの白い窓が、昇降口の壁に小さく開いた。
「勇者ちゃん、返事をすると相手の認識に引っ張られるかも」
「それを先に言う! 名前呼ばれた後じゃなくて、呼ばれる前に言う!」
「今は心の声だから、たぶん一手じゃない」
「たぶんで児童の命を運用するな!」
子どもたちの中の一人が、少しだけ首をかしげた。
「こよりちゃん、無視するの?」
その声は、ずるかった。責めるみたいで、寂しそうで、でも一番奥に冷たいものが混ざっている。
「......ごめん。でも、わたしの友達は、返事しないだけで床を殺しにこない」
その瞬間、昇降口の床が波打った。返事を引き出せなかった記憶擬態たちが、いっせいに笑顔を剥がす。顔の下に、黒い空洞が見えた。
「勇者様、右の下駄箱の裏へ」
「右って、上履き入れるとこ!?」
「はい。今だけ安全マスです」
「学校で下駄箱に避難する日が来ると思わなかった!」
コヨリは右へ一マス跳んだ。世界が動き出す。子どもたちの腕が伸び、さっきまでコヨリが立っていた場所をつかんだ。爪の先が、黒板消しみたいな音を立てて床を削る。
廊下の向こうから、もう一度声がした。
「こよりちゃん」
今度の声は、さっきより近い。コヨリは返事をしなかった。しなかったのに、目だけがそちらを見てしまった。視線が合った瞬間、足元のマス目が勝手に一つ進む。
「視線も!?」
「認識反応です。まずいです」
子どもの姿をしたものが、倍速で二歩進んだ。
「ずるいずるいずるい! 見るだけで一手扱いは、学校生活が詰む!」
逃げようとして、コヨリは下駄箱の端に足を引っかけた。転び慣れで体勢は立て直したが、その一手が遅れになる。黒い腕が、背中に触れた。
【死亡ログ】
【総死亡回数:1027 → 1029】
【死因:名前を呼ばれて返事をしかけ、視線で認識された】
【評価:礼儀正しい子ほど危険】
【拠点側保存:本人死亡ログ/座標因子反動ログ】
拠点で目を覚ましたコヨリは、床に突っ伏したまま言った。
「学校であいさつ禁止とか、道徳の授業が泣くよ......」
「新規獲得です。【返事保留 Lv.1】」
「そんなスキル、現実で使いたくない!」
死因図鑑室には、その日のうちに新しい札が増えた。
【返事は一手】
コヨリはその札を見て、両手でほっぺたを押さえた。
「礼儀を死因にしないでほしい」
「勇者様の元世界では、名前を呼ばれたら返事をするのが普通なのですね」
「うん。普通。先生にも怒られる」
「このフロアでは、先生も敵になる可能性があります」
「学校生活の信頼を根こそぎ奪わないで」
ログルは反省会テーブルの上に、三枚の札を並べた。声、視線、足元。それぞれに丸と×がついている。声は×、視線は△、足元は最優先。子どもの安全教室というより、暗殺者養成講座だった。
「次から、返事は心の中だけにしてください」
「心の中で『はい』って言えばいい?」
「はい。ただし、心を読む敵がいる場合は危険です」
「もう何を信じればいいの!」
「小石です」
「小石、万能説やめて!」
再突入した昇降口では、友達に似た子たちが今度も並んでいた。上履きの匂い、廊下のワックス、遠くで鳴るチャイム。全部が本物に近い。だから、ひどい。
「こよりちゃん」
「ねえ、聞こえてる?」
「返事してよ」
コヨリは口を閉じたまま、胸元のポケットから小さな紙を出した。拠点でログルと作った紙札だ。そこには大きく、子どもらしい字で書いてある。
【返事しません。床を見ます】
友達擬態たちは、きょとんとした。ログルが小声で言う。
「勇者様、紙を見せる行動で一手進みました」
「えっ」
廊下の奥から、黒い腕が一マス分だけ伸びる。コヨリは紙札を胸に戻し、上履き箱の影へ滑り込んだ。
「紙でも一手なの!? 世の中きびしい!」
「かなり丁寧に判定されています」
「親切じゃなくて陰湿!」
友達擬態の一人が、頬を膨らませた。
「こよりちゃん、前はもっと返事してくれたのに」
その言葉に、コヨリの指が止まる。前は。こっちへ来る前の、普通に学校へ行っていた日のことを言っているように聞こえた。でも、違う。これはコヨリの記憶を材料にした声だ。材料が本物でも、料理人が敵なら食べてはいけない。
「ログル」
「はい」
「本物の友達って、わたしが返事できなくても、理由を聞いてくれるよね」
「少なくとも、黒い腕は伸ばさないと思います」
「そこは絶対って言って」
「絶対です」
「よし」
コヨリは息を整えた。右の下駄箱、二マス先の床、壁際の傘立て。傘立てに入っている傘のうち一本だけ、先端がぴくぴく動いている。敵だ。
「傘も敵?」
「記憶擬態の補助器官です」
「学校の備品にまで敵意がある!」
コヨリは傘立てではなく、反対側の靴箱に向かって小石を投げた。小石が当たると、靴箱の扉がぱかっと開き、中から黒い手が出た。友達擬態たちは、そこへ一斉に視線を向ける。
「今!」
ログルの声で、コヨリは一マス抜けた。返事はしない。謝らない。目を合わせない。胸の中だけで、ごめんね、と言う。本物に会えたら、ちゃんと声に出す。そのために、今は黙る。
昇降口の出口にたどり着いた時、背中から一斉に声が重なった。
「こよりちゃん」
コヨリは振り返らず、小さく舌を出した。
「返事は予約制です。偽物は対象外」
ログルが珍しく、ほんの少し笑った。
出口の手前で、チャイムが鳴った。反射的に急ぎたくなる音だった。遅刻、先生、みんなの視線。そんな記憶が足を押す。
「走らないでください」
「分かってる! でもチャイムが急かす!」
「音による行動誘導です」
「学校の音、全部敵に見えてきた!」
コヨリはランドセルに似た黒い塊をまたぎ、昇降口の外へ出た。出るだけで息が切れる。学校へ行くだけの場所が、こんなに命がけになるなんて、元世界の自分に言ったら絶対信じない。
「ログル」
「はい」
「帰れたら、ちゃんと返事する」
「はい」
「でも今は、無視じゃなくて攻略」
「成功ログにそう書きます」
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還座標シード
クラス:帰還者見習い/地図師適性再発現
総死亡回数:1029回
千回死亡条件カウンター:1000/1000 停止
神様側死亡ログ送信:遮断維持
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡対象上書き Lv.1】
【千回死亡条件破壊 Lv.1】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【ログ差し戻し Lv.3】
【死亡ログ所有権確認 Lv.2】
【千回後死亡ログ確認 Lv.1】
【手招き警戒 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【返事保留 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ
名前を呼ばれると返事をしたくなる普通の子。普通の礼儀がダンジョンでは死因になる。
ログル
声、視線、足元を同時に警戒した相棒。返事まで止めるのは少しつらそう。
記憶擬態
友達の姿と声を借りる敵。本物ではないが、似せ方がかなりいやらしい。
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