座標シード入口――ここ、わたしの町じゃない?
帰還門の先にあったのは、知らない異世界ではなく、知っている町でした。
でも、足元にはマス目があります。
つまり、帰宅ではなくダンジョンです。
帰還門の光を抜けた瞬間、コヨリは息を止めた。
草原でも、神殿でも、魔王城でもなかった。目の前にあったのは、細い歩道と白い横断歩道、少し古い電柱、低いブロック塀の続く住宅街だった。夕方に似た光が町を染めているのに、空だけは異世界の紫色で、雲の形が妙に四角い。
コヨリは小さな靴の先で、アスファルトをそっと押した。足元に、青白いマス目が一瞬だけ走る。
「......わたしの町、っぽい」
「勇者様。ここは元世界ではありません」
「でも、あそこの曲がり角、見たことある。あっちにコンビニがあって、その先に学校へ行く道があって」
「記憶層から生成された可能性が高いです」
「記憶層?」
「勇者様の脳内に残っている座標記憶を読み取り、現実世界に似せたフロアを作っています」
白い窓が、遠慮がちに開いた。アドミニスが困ったように笑っている。
「帰還座標の照合には、本人の記憶が必要なんだ。住所だけだと、世界間でズレるから」
「神様」
「うん」
「脳を勝手に読むなああああああああああああああああああああああ!」
叫んだ声が、住宅街に跳ね返った。その反響に合わせて、横断歩道の向こうで制服姿の女の子が手を振った。髪型も背の高さも、コヨリの記憶の中にいる誰かとよく似ている。
「こよりちゃん、こっち!」
名前を呼ばれた瞬間、胸が勝手に動いた。足が前へ出そうになる。ログルが尻尾を膨らませた。
「勇者様、止まってください」
「でも、あの子」
「足元です」
右足を下ろす寸前で、コヨリは固まった。横断歩道の白い線のひとつが、ほんの少しだけ呼吸している。マス目の端が、ぬるりと歪んだ。
「ワープ床?」
「はい。おそらく」
向こうの女の子は、さっきより少し大きく手を振った。
「早く。置いていくよ」
「......本物なら、そんな言い方しない」
コヨリは唇を噛んだ。分かっている。分かっているのに、知っている声に似ているだけで、体がそちらへ傾く。帰りたい気持ちが、足首をつかんでくる。
コヨリは小石を取り出し、横断歩道の白い線に向かって投げた。小石が触れた瞬間、白い線が裏返る。足元の景色がぐにゃりと沈み、向こうの女の子の笑顔が、紙を破るみたいに裂けた。
「やっぱり敵じゃん!」
次の瞬間、コヨリの立っていたマスまでワープ床が伸びた。小石を投げた一手で、床のほうも一手進んだのだ。
「勇者様、後退を!」
「分かってる! 分かってるけど、足場のほうが先に来たああああああああああ!」
床が抜けた。
【死亡ログ】
【総死亡回数:1025 → 1027】
【死因:友達っぽい子の手招きでワープ床に乗った】
【評価:友達確認前に踏み出しました】
【拠点側保存:本人死亡ログ/座標因子反動ログ】
白い拠点の床に転がったコヨリは、起き上がる前に叫んだ。
「友達の顔でワープ床に誘うなあああああああああああああああ!」
「新規獲得です。【手招き警戒 Lv.1】」
「もっと普通の友達の作り方を覚えたい!」
反省会テーブルの上に、ログルは横断歩道の簡易地図を広げた。白い線のうち、三本目だけが赤く塗られている。横には、アドミニスが小さく「記憶再現精度九十一パーセント」と書いた紙を置こうとして、コヨリに無言で払い落とされた。
「九十一パーセント似てたら、ほぼ本物じゃん」
「ですが、残り九パーセントが床を食べます」
「九パーセントの殺意が濃い!」
ネムが死亡受付用の判子を押しながら、眠そうに目を細めた。
「死亡受付番号、またコヨリさんですね。今回は友達風ワープ床。分類としては、精神誘導型初見殺しです」
「分類しないで。わたしの心が死因図鑑に収納される」
「もう半分くらい収納済みです」
「受付が冷たい!」
白い窓の中のアドミニスは、今度こそ反省した顔を作っていた。作っているだけかもしれないので、コヨリは信用しなかった。
「勇者ちゃん、記憶を使うのは危険だけど、帰還座標を絞るには必要なんだ。きみの世界の住所を、こちらの世界の座標系へ変換しないといけない」
「神様。説明はいい。先に同意を取りなさい」
「次からは」
「次からじゃない。今、もう脳内町内会が開かれてるの!」
ログルが小さく咳をした。額の宝石に、白い横断歩道の映像が浮かぶ。女の子の笑顔はぼやけ、足元だけが赤く強調された。
「勇者様、次は手招きそのものではなく、手招きの先にある床を見てください。声に反応しない。顔に反応しない。まず床です」
「友達より床を信じる人生、かなしい」
「このフロアでは、床のほうが正直です」
「正直な床はワープしないで」
再突入した住宅街では、向こうの女の子がまた手を振っていた。コヨリは今度、声の方を見ずに足元へ小石を転がす。小石は一マス目で止まり、二マス目で少し沈み、三マス目で消えた。女の子の笑顔が、にこりと硬くなる。
「こよりちゃん、どうして来ないの?」
「通学路で小石が消えたからです」
「え?」
「本物の友達は、小石が消える横断歩道で待ち合わせしません!」
言った瞬間、コヨリは自分の声量にびくっとした。大声は一手。世界が動く。ワープ床が一枚、ぬるりと前へ伸びた。
「勇者様、叫ぶと進みます」
「口が先に動いた! わたしの口、敵側のギミックに協力しないで!」
コヨリは慌てて一マス後ろへ下がり、ログルが尻尾で安全マスを示す。たった一歩なのに、背中に汗が流れた。知っている町に似ているせいで、油断が肌にくっついてくる。
それでも、今度は落ちなかった。横断歩道を渡れないかわりに、ブロック塀沿いの細い道が開く。そこには、子どもの字に似せた看板が立っていた。
【ともだちについていく】
【こわくない】
【こっちはちかみち】
コヨリは看板を読み、深く息を吸った。
「ログル」
「はい」
「近道って書いてある道、だいたい遠回りか死因だよね」
「かなり正しいです」
「よし。遠回りする」
その判断に、白い空の奥で何かがきしんだ。帰還座標シードは、コヨリが思ったよりもずっと嫌な顔をしていた。
曲がり角を抜ける直前、コヨリはふと足を止めた。電柱の根元に、元世界で見たことのあるような小さな貼り紙がある。迷子の猫を探しています、という文字に似ていたが、よく見ると猫の顔が宝箱になっていた。
「ログル、あれ、猫?」
「ミミックです」
「迷子のミミックを探させるな!」
「近づくと、善意確認判定で噛まれると思います」
「善意まで罠にしないで!」
コヨリは貼り紙から目をそらし、地図の端に小さく書いた。
【かわいそうでも近づく前に確認】
書き終えた瞬間、胸が少し痛んだ。助けたい気持ちまで疑うのは嫌だ。でも、疑わなければ、助ける前に死ぬ。コヨリは小石袋を握り直し、遠回りの道へ進んだ。
遠回りの道へ入る前、コヨリはもう一度だけ横断歩道を見た。友達擬態はまだ手を振っている。でも、もう手だけを見ない。足元、声の言い方、笑顔の硬さ。見る場所が増えたぶん、胸の痛みも少しだけ小さくなった。
【今回の勇者ステータス】
現在シード:帰還座標シード
クラス:帰還者見習い/地図師適性再発現
総死亡回数:1027回
千回死亡条件カウンター:1000/1000 停止
神様側死亡ログ送信:遮断維持
拠点側死亡ログ:保存中
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【一フレームの神様 Lv.3】
【死亡対象上書き Lv.1】
【千回死亡条件破壊 Lv.1】
【死亡ログ返還 Lv.1】
【ログ差し戻し Lv.3】
【死亡ログ所有権確認 Lv.2】
【千回後死亡ログ確認 Lv.1】
【神様案内警戒 Lv.1】
【帰還座標仮視認 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【手招き警戒 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ
元世界に似た町を見て足が止まった幼女勇者。帰りたい気持ちは本物なので、偽物ほどよく刺さる。
ログル
足元の違和感を見逃さなかった解析神獣。今回のフロアがかなり嫌い。
アドミニス
帰還座標の照合に記憶を使うと説明した主神。説明の順番が最悪。
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