扉の底――帰還門は泣いている
帰還門の核は、開く音ではなく泣く音を出した。
扉はコヨリだけを待っていたわけではない。
扉の底へ降りるほど、空気は重く、耳の奥が痛くなった。そこにあったのは扉というより泣き声だった。白い輪郭が震え、開くたびに誰かが我慢しているような音を立てる。
「ログル。扉って泣くもの?」
「通常の扉は泣きません」
「通常じゃないんだね」
「はい。帰還門です」
白い輪郭には、コヨリの死亡ログ以外の糸も絡んでいた。消えたシードの墓標、過去に帰れなかった勇者、魔王役として処理された記録。保存壺に詰め込みすぎた道具みたいに、大事なものほど奥へ沈んでいる。
アドミニスが言った。
「本当は、扉を軽くしたかった。きみ以外のログを落とせば、帰還成功率は上がる」
ネムの受付票が止まり、ベルの羽ペンが紙を削る。ゼルドの影が床を黒く染めた。
「それを、わたしに黙ってやらせるつもりだったの?」
「そうならないようにしたかった」
「したかった、じゃなくて。実際にどうするつもりだったの」
「千回死亡条件で世界切替処理が走れば、扉に絡んだログの一部は処理側へ吸収される。きみは軽くなった扉から帰れる可能性があった」
「つまり、知らないうちに誰かを落として、わたしだけ帰すつもりだった」
アドミニスは答えなかった。
扉の奥から、薄い声がした。
【まだ】
【帰れていない】
【名前が】
【ここに】
ログルが尻尾でコヨリの足を押さえる。
「扉の内側は大部屋モンスターハウスに近いです。敵ではなく未帰還ログが一斉に寄ってきます」
「通路に下がって一体ずつ処理は?」
「通路がありません」
「最悪の大部屋じゃん」
ベルが命綱の契約糸を結び、ゼルドが影の杭を打つ。コヨリは左端の細いログだけに手を伸ばした。触るのは一手。拾った瞬間、部屋が動く。分かっている。分かっていても、泣いている扉を見ないふりして帰りたくなかった。
指先が白い糸に触れた瞬間、扉の泣き声が止んだ。止んだことが、一番怖かった。
【死亡ログ】
【総死亡回数:1012回 → 1014回】
【|千回死亡条件カウンター《せんかいしぼうじょうけんカウンター》:1000/1000 停止】
【神様側送信:遮断】
【拠点側保存:実行】
【死因:泣いている扉の未帰還ログへ手を伸ばし、重さに引き込まれた】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
帰ってきたコヨリは、しばらく耳を押さえていた。扉の泣き声が、まだ奥に残っている。停止カウンターは動かない。だが、総死亡回数の増加だけが、あの扉へ手を伸ばしたことを否定せずに残した。
「未帰還ログ、重かった」
「重さは数値化不能です」
「数値化できない重さで死ぬの、わたしの人生が詩的にひどい」
「送信はされていません。扉共鳴事故として、拠点に保存しています」
「神様に渡さないで。これは、わたしが見た泣き声だから」
アドミニスは、扉を軽くするとは言わなかった。言ってしまえば、今度こそコヨリが本気で怒ると分かったのだろう。遅い学習だが、学習ではある。
扉は、巨大ではなかった。
むしろ、子ども部屋の戸くらいの大きさに見えた。だから余計に怖い。世界を越える扉が、手を伸ばせば届く距離にある。白い縁は震え、木目のようなものが光の中に浮かぶ。そこから、泣き声にも、軋みにも聞こえる音がした。
「ログル、泣いてる?」
「音響解析では、扉の歪みです」
「扉の歪みが泣き声に聞こえるの、もうそれは泣いてるでよくない?」
「詩的判断としては、はい」
「ログルが詩的判断した!」
アドミニスは扉を見て、顔から笑みを消した。
「この扉は、重すぎる」
「また軽くする話?」
「本当は、きみ以外のログを落としたかった。未帰還勇者、消えたシード、魔王条件、死亡扱いログ。それらを切れば、帰還成功率は上がる」
「それを、わたしに黙ってやらせるつもりだったの?」
「......そうならないように、別の処理へ逃げた」
「逃げた結果が千回死亡条件?」
「うん」
コヨリは拳を握った。怒鳴る言葉はあった。山ほどあった。でも、扉の奥からかすかな声が聞こえる。誰かが帰りたかった声。誰かが帰れなかった声。そこに自分の声も混ざっている気がした。
ネムがコヨリの前に立つ。
「近づくなら、紐をつけてください」
「遠足?」
「未帰還ログに引かれます」
「命綱の理由が重い!」
ゼルドが影を伸ばし、ベルが契約糸を結び、ログルが宝石の光を細くする。アドミニスも手を伸ばした。コヨリはそれを見て、一度だけ眉を上げる。
「今の手伝いは、何を隠してる?」
「隠していない。扉の底は、僕にも怖い」
「神様でも?」
「神様でも」
その答えだけは、言い訳ではなかった。
命綱の契約糸を外す前に、ベルは扉の音を記録した。コヨリは『泣いている扉を踏み台にしない』とだけ書く。短いのに、手は少し震えていた。
【今回の攻略メモ】
【帰還門共鳴 Lv.1】
【未帰還ログは敵ではないが寄ってくる】
【触る前に命綱と退路を作る】
扉の底で、コヨリは初めてアドミニスが本気で怖がっているのを見た。
白い窓の輪郭が揺れている。主神のくせに、と言いたかった。けれど、扉の奥から流れてくる未帰還ログの重さを感じると、簡単には笑えなかった。
「ここで、何があったの」
「帰還失敗が、溜まった」
「溜めないで」
「溜めるつもりはなかった。けれど、失敗を消すと、同じ失敗を繰り返す。残すと、扉が重くなる」
「だから、世界切替処理に逃げた」
「そうだ」
コヨリは一歩だけ近づく。ネムの命綱が腰に結ばれ、ゼルドの影が足首を押さえる。
「わたし、帰りたいよ」
「はい」とログル。
「でも、この泣いてるのを踏み台にして帰るの、嫌だ」
「では、踏み台ではなく、橋にしましょう」とベル。
「ベル、今のかっこいい」
「契約上は、橋の方が責任範囲を明確にできます」
「かっこよさの理由が法務!」
アドミニスはその言葉に目を見開いた。踏み台ではなく橋。たぶん、その発想は神様の仕様書になかった。
帰還門の奥で、次の区画が静かに開いた。
扉の底に残った白い糸を、ベルが石板へ固定した。コヨリは『扉の底――帰還門は泣いている』と書き、少しだけ手を止める。笑い飛ばすには、まだ音が耳に残っていた。
「泣いてる扉に引っ張られた記録、ちょっと感傷的すぎない?」
「感傷も危険判定に関わります」
「ログル、感情を罠一覧に入れないで」
「入れないと、勇者様はもう一度手を伸ばします」
「伸ばすかもだけど!」
「そのための記録です」
「相棒の信頼が鋭い!」
「神様」
「うん」
「扉を軽くする、じゃなくて、橋にする。次からその言い方にして」
「橋にする」
「本当に分かってる?」
「踏み台にしない、という意味だね」
「......そこは、少しだけ合ってる」
コヨリは泣き声の残る扉を見た。怒りだけではなく、忘れないための重さも一緒に持っていく。
【登場人物紹介】
コヨリ:扉の底――帰還門は泣いているで帰還門攻略に振り回される。ログル:盤面と記録を照合。アドミニス:案内しつつ言い訳を重ねる。ベル・ネム・ゼルド:それぞれ契約、死の扱い、役割の被害から神様仕様を刺す。
【今回の勇者ステータス】
総死亡回数:1012回 → 1014回
千回死亡条件カウンター:1000/1000 停止/扉の底――帰還門は泣いている後も不動
神様側死亡ログ送信:遮断維持/拠点保存ログ確認番号08
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
神様仕様突破:【一フレームの神様 Lv.3】【死亡対象上書き Lv.1】【千回死亡条件破壊 Lv.1】
ログ・所有権:【死亡ログ返還 Lv.1】【ログ差し戻し Lv.3】【死亡ログ所有権確認 Lv.2】
帰還門攻略:【持ち帰り選別 Lv.1】【帰還座標疑似視認 Lv.1】【帰還時間警戒 Lv.1】【帰還門共鳴 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【帰還門共鳴 Lv.1】
内部更新:帰還門ダンジョン攻略ログを拠点側へ保存。
【ローグライクあるあるネタ】
大部屋モンスターハウスの圧を、未帰還ログの群れへ変換しました。通路に下がって一体ずつ処理できれば楽ですが、大部屋で囲まれると巻物・杖・階段位置が命綱になります。今回は敵ではなく“帰れていないログ”が一斉に寄ってくるため、触る一手が足元のアイテムを拾う以上に重い事故になりました。
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